菅野レミ

 高校二年生になれば、何かが変わると思っていた。

 でも、甘かった。


 他力本願で、誰かが何とかしてくれると思ったら、大間違い。

 こんな当たり前のことに、気づかない振りをしていた。


「オラ。フトシ、この野郎!」


 女子とは思えない罵倒ばとう

 ボク――山田やまだフトシは、教室でギャルの集団に囲まれていた。


 俗にいう、イジメというやつだ。

 みんなが見ている前で四つん這いにされ、背中にはイジメの主犯格である菅野レミが乗る。


「お、おい。やめてやれよ。可愛そうじゃあないか」

「あ?」


 これまた意外な事に、ボクのイジメは誰かが止めてくれるのだ。

 女子たちはボクを毛嫌いして、イジメに参加してくる。

 一方で、男子達は控えめな感じで、菅野さんに声を掛ける。


 答えは、睨みの一つに表れていた。


「邪魔すんな」

「だ、だけど、フトシは悪くないぜ? どうしてイジメるんだ?」

「イジメじゃないって。なあ、フトシぃ?」


 髪を引っ張られた直後、背中に乗った尻が左右にグリグリと振られる。

 ボクは何とも言えない気持ちになった。


「はい! イジメじゃないです!」

「ハンっ、気持ち悪ぃ」

「生まれてすいません!」


 親からの教育が、こういう時に活きていた。

 返事は元気よくすること。

 いや、たぶん、こういう意味じゃないんだろうけど。


 菅野さんの場合は、怒りの沸点が低いので、気を付けなければいけないのだ。


 他の学校では、どんな感じのイジメが広がっているのか、ボクには分からない。だけど、少なくともボクの学校では、色々と奇妙な光景になっている。


 きっと、菅野さんはいつものように、片方の口角を持ち上げ、ニヤニヤとしているに違いなかった。

 意地悪で、バカにする笑みだ。


「オラ。歩くんだよ」

「きゃははは! がんばれ~っ」

「マジでブタじゃんっ」


 小柄なボクは、デブではあるけど、筋肉は皆無。

 常に、女の子から負けている。

 腕力でも勝てない。


 こんな屈辱。

 普通の人なら、絶対に心が折れているに違いない。

 だけど、背中に乗った温もりが、ボクの心を不思議と温めてくれる。


 気持ちとしては、本当に嫌なんだけど。

 女子に触れられる機会が、こういうイジメの時じゃないと全くないため、皮肉にも心のオアシス化してしまっている。


「遅いぞ。走れよ」

「ワン!」

「ブタはワンじゃねえだろ!」

「あ、そっか。ブー!」


 ボクは決して喜んでいない。

 男子達が悲しそうに肩を落とし、手の平を強く握っていた。


「くそ。イジメを止めなきゃいけないのに! フトシ。すまねえ!」


 いや、諦めるのが電光石火でんこうせっかの如しなんだよ。

 もちろん、他人の力を当てにしてばかりじゃダメだ。

 それにしても、男子達が一言だけで終えて、すぐに背中を見せるのは早すぎる気がするのだ。


 ピーン、ポーン。


 チャイムが鳴った。

 男子達は席に着くが、女子たちは机の上に座って喋ったり、スマホを弄ったりと、自由である。


「よし。廊下に行け」

「あ、あの……」

「んだよ」

「先生来ますって」

「関係ねえんだよ。行け!」


 尻を叩かれ、ボクは菅野さんを乗せたまま廊下に出た。

 扉を潜った辺りか。

 廊下の向こうから、ジャージ姿の先生が教室に来るのが見えた。


「おい! ホームルーム始まるぞ!」


 ヒゲを生やしたゴリラ顔の男教師。

 目を剥いて怒ってくるが、その横に不穏な影があった。


「うりゃ!」


 ドンっ。


「ああんっ!」


 あろうことか、先生のわき腹を蹴る女子がいた。

 勢いのあまり、先生は気持ち悪い悲鳴を上げて、窓ガラスに肩をぶつける。


「きゃははは! バーカ!」

「ぐ、くそ。どうして、ウチの学校は……ッ!」


 先生が言いたいことは、よく分かる。

 時代といえば、時代。

 ただ、いつから、世の中は女尊男卑じょそんだんぴに染まったのか。


 学校は社会の縮図と言うが、本当にその通り。

 底辺の人間は、どこまでも底辺。

 今現在、女子で底辺はいない。


 いるとしたら、男子のみ。

 男子自体のカーストが低いため、必然とその真下にいるのが底辺となる。


 つまり、ボクだ。


「止まんなよ」

「う……」


 菅野さんが顔を近づけてメンチを切ってくる。

 重心が肩の方に移り、前のめりになりそうだった。

 苦しいのに、菅野さんの胸元からはボディソープの匂いがした。


 ピーチの香りだ。

 清々しくて、あまり癖のない匂い。


「フトシ」

「は、はひ」

「今日、部活棟の物置にこい。いつも通り、可愛がってやる」

「……はひ!」


 サンドバッグになったり、椅子になったり。

 やられることは、いつもの事。

 慣れてしまっている自分がいて、少しだけ怖くなった。

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