【ケース2】1年A組 料理研究部所属 関焼阿知子

「ようこそ悩める変態ちゃん! さ、解決してほしい事件はなにかな? 言ってみ言ってみ!」

 六月某日、雨の放課後、時刻は五時半ちょっとすぎ。

 我が新聞部部室へやってきた訪問者に向かって、ゆあるさんはとびっきりの笑顔でそう言った。……いやいや。

「……あのー、ゆあるさん、なんでキミ最近ずっとここに居座ってるの」

「だってこの部屋すっごくゲロくさくて最高なんだもん! さ、入って入って!」

 ゆあるさんは、入り口の前で佇む女の子の手を引っぱり、椅子に座らせる。

「あのね、ゆあるさん、この部屋がゲロくさいのはキミがやたらに吐きに来るからで、あと、キミ今日も今日とてなんでいっつもスクール水着姿なの」

「お名前は?」

 まったく僕の言葉に耳を貸さず、女の子に質問をぶつけるゆあるさん。

 対する女の子は、長い前髪を指でいじりながら、もじもじした様子で。

「えっと……あたし、料理研究部の、関焼阿知子って言います。……作った料理が、誰かに食べられちゃったんです」

 か細い声で、そう言った。


 * * *


 関焼せきやけ阿知子あちこ

 前髪も横髪も後ろ髪も全体的にやたらに長い、黒髪ロング中の黒髪ロングとでも呼ぶべきビジュアルの彼女は、料理研究部ただ一人の部員であり、ゆえに自動的に部長でもあるらしかった。僕の新聞部しかり、ゆあるさんの水泳部しかり、この学校、妙に一人ぼっちの部活多いなーとか、それはそれとして。

「……今度の土曜日に、コンテストがあるんです。それで、今日はしっかり練習しようと思ってフルコースで六品目作ったんです。でも、10分ぐらい目を離してる間に、めちゃくちゃに食べ散らかされてて……」

 俯きながら、消え入りそうな声で喋る阿知子ちゃん。垂れた長い前髪が完全に顔の上部を覆っていて、ちょっと不気味だなあとか、それはともかく。

「……うん、何が起きたかはなんとなくわかったけど、で、なんで新聞部室ここに?」

「……え? だって」阿知子ちゃんは、ゆっくり顔を上げる。「噂坂先輩は、変態にすごく優しいってウワサを聞いて、それで」

「…………あ、そう」

 ふと隣りを見ると、極上の笑顔でゆあるさんが僕に向かってウインク&Vサインをしている。なるほど、ウワサの発生源が判明した。……って、いやいや。

「え、変態……なの? キミが?」

「はい。まあ、名高いゆある先輩に比べれば、全然レベルの低い人間ですが」

 とか言いながら、阿知子ちゃんは申し訳なさそうに肩をすくめる。どこに申し訳なさを感じてるのかよくわからないし、ゆあるさんの名が轟いてる変態界隈の情勢もよくわからないけど、何よりこの子のどの辺に変態的要素が潜んでるのかが一番わからない。

「えーそっかあー、私、名高いんだー。えへへ、なんか照れげべぼっ」

 照れ笑いの語尾でいきなりゲロを吐く、ゆあるさんのタイミングもよくわからない。

 ……と、まあ、そんな感じで。

 よくわからないことはいっぱいありつつも、とりあえず事件現場へ向かうことにする僕だった。……いや、なんで向かうことにしちゃってるのか自分でもよくわからないけど、うん。


 * * *


 というわけで、到着したのは家庭科室。

 調理実習のときに使ったぐらいで、それ以外ではまったく入ったことがない、かなりなじみの薄い教室だ。シンクとガス台がテーブルにくっついた実習台がずらずらーっと並んでいて、あとは大きな冷蔵庫と食器棚があるぐらいの、清潔感はあるけどなんとも殺風景な部屋。

 そんな感じで、ビジュアル的には変わったところは特にないんだけど、ひとつだけ明らかに異様なことがあった。それは――、

「阿知子ちゃん、ここ、めっちゃくちゃくさいんだけど、なにこれ?」

 と尋ねたつもりが、鼻をもがんばかりの勢いでつまんでいたので、

「あいおあん、おお、えっあうあうあいんあえお、あいおえ?」

 僕の口から出たのは、そんな母音満載な言語だった。

 けど、なぜか阿知子ちゃんには伝わったらしく。

「これは、猫のフンバーグの香りです」

 …………あれー? この子、今すごく変なこと言った気がするなー。鼻つまんだら耳まで悪くなったのかなー僕。

「ふんばーぐ? それって、もしかしてだけど……ウンチのハンバーグだったり?」

 ゆるっと首を傾げるゆあるさん(彼女は僕と違って異界あっち側の人間なので、このぐらいのにおいでは鼻をつままなくても平気っぽい)。

 と、阿知子ちゃんは、こくこくと小さく頷いて、教室の隅っこの実習台を指差した。

「その台にある、茶色いのが入ったお皿がそうです。……もうかなり食べられちゃって、原型あんまりないですけど」

 見ると、彼女が指差す調理台の上には皿がいくつか載っていて、いかにも食べ散らかされたらしく料理が台上に散乱していた。

 阿知子ちゃんが、つかつかとその実習台に歩み寄っていく。一方、僕はフンバーグのインパクトで完全に気圧されてしまって、全然そこに近寄りたくない。というか完全に帰りたい。……けど、

「ほらほらー、早く行こうよー噂坂くんっ! 現場検証、現場検証っ!」

 ディズニーランドに初めて来た子供かぐらいのテンションでゆあるさんが僕の腕をぐいぐい引っ張るので、引きずられる形で実習台デンジャラスゾーンに到着してしまった。

「食べられてたのは、『猫のフンバーグ』と、こっちの『カマドウマの酒蒸し』、それと『ナメクジのバターソテー』に、冷蔵庫の中に入れていた『黄痰の冷製ポタージュスープ』です」

 なるほど。確かに皿の上の茶色いブツにはハッキリとかじられた跡があるし、白くゆで上がっている長い脚&長い触角を携えた虫は腹の辺りをガブッとやられてるし、ほんのりキツネ色に炒められた大小さまざまな無数のナメクジは皿から乱雑に飛び出して台のあっちこっちに散ってるし、今しがた阿知子ちゃんが冷蔵庫の中から取り出してきた透明なガラス製のスープカップの中には黄色くてとろみのある体に悪そうな流動体がたぷたぷと……というか、なんだろう、この子だいぶ狂気を纏ってるな。

「逆に食べられてなかったのは、この『目くそ耳くそおにぎり』と、『水垢せんべい』なんです」

 阿知子ちゃんが指差すそれらは、見た目普通のおにぎりとせんべい。狂気感なし。

「えーっ、これ、そういうお料理だったんだ! すごーい!」なぜか目を輝かせるゆあるさん。「ねねね、味見してみてもいいかなあ?」

「え、はい、いいですけど……ゆある先輩のお口に合うかどうか」

「合う合う! 私ゲロでも美味しく頂いちゃうゲロゲロ女だからっ!」

 言うが早いかゆあるさんは右手におにぎり左手にせんべいを掴み、パクパクーッと交互に食べ始める。なにそのアグレッシブさ。

「あ……ほんとだ、なんかちょっと酸っぱくて、苦いかも」

 ふむふむと一人で頷きながらそんな感想を漏らす。果たしてそれは目くそ耳くそ水垢、どれの味を知覚して言ってるのか。うーん、全然どれでもいいや。


 * * *


 そんなわけで。

 物的証拠の検証でわかったことは、阿知子ちゃんはかなりアレな子だった、という事実だけ。

 これじゃ全然捜査にならないので(いや、捜査しなきゃいけない義理も特にないんだけど)次に犯行時刻の特定をすることにした。

「阿知子ちゃん、料理は何時ごろに完成したの?」

 僕がそう尋ねると(※長時間この部屋にいるせいで鼻が完全にバカになったらしく、もう鼻をつまむ必要がなくなった)、阿知子ちゃんは壁の時計を見上げて、考えるような仕草で顎に手をやり、

「えっと……授業が終わってすぐに来て作ったので……五時ちょっとぐらいです」

 授業が終わるのは四時だ。たった一時間でこれだけの品数を作れるんだから彼女の腕前は凄まじい。けど、作ってる料理が料理なだけに『彼女は素晴らしいシェフだ』とかそういう風に手放しで褒められないのがなんとも歯がゆい。

「料理が食べられてることに気付いたのは何時?」

「料理が出来て、儀式して、戻ってきたときだから……五時十分ぐらいですね」

 …………んー? 今、なんか完全に場違いな単語出てきたなー。

「阿知子ちゃん、料理が出来て、なにしたって?」

「儀式です」

「うん、だからそれはなに」

「オナニーです。平たく言えば」

「…………」長い前髪の隙間から僕を見る目の、なんとまっすぐなことか。「……なんか、ごめん」

 小声で謝る僕の隣りで、なぜかしきりに頷いているゆあるさん。

「うんうんわかるわかる! なにかを達成したときって無性にシたくなるよねー!」

「ですよね、ゆある先輩もそうですよね! オナニー気持ちいいですよね!」

 おおー、なんだかすっごい居づらい空気に仕上がってきた。ので、強制話題転換。

「えーと、ということは、阿知子ちゃんは十分程度この部屋にいない時間があったんだよね? その間、この部屋の鍵は?」

「掛けてませんでした。あたし、料理たくさん作れば作るほど早くイく体質なので、今日はかなり早くイくだろうなーと思って鍵は」

「うんそっかそっかうんうん」まあまあデカいボリュームの相槌で遮った。「じゃあ、誰でも犯行におよぶことが出来たわけかあ……」

 うーん、可能性がかなり広がってしまった。これは難しい――と、そこまで思って我に返る。

 いやいやいや。は犯行におよばないだろ。

 だって、こんな鳥肌フルコースに手をつけるような奇特で危篤な人間、そうそういない。ゆあるさんの言葉を借りて言うならば、こんなもの食べるヤツは相当パラフィってる。

 つまり。

 こういうものを平気で食べれちゃうアレな人物がこの事件の犯人なワケで、だったらずいぶん容疑者も絞られる――というか、

「あのさ、一応、訊いておくんだけど……ゆあるさんって、そのぐらいの時間ってなにしてた?」

 ひとまず一番身近にいるアレな人物に尋問してみた。

 ちなみに今日、ゆあるさんが新聞部の部室にやって来たのは、五時十五分ぐらいだった。ということは犯行時刻にはアリバイがないわけで。

 と、ゆあるさんは大きな目をそれはそれはパッチパチさせて、

「えっ? わ、私? 私は、その時間は普通に部活してたよー?」

「……部活? 雨降ってるのに?」

「うん、雨降ってるから、今日はプール入らないで部室で吐くだけで終わったの」

「でもゆあるさん、こないだ、『雨の日はゲロのノリが悪いから部活やらない』とか全然よくわかんないこと言ってたじゃん」

「よくわかんなくないよっ! 湿気はゲロの天敵なんだよ噂坂くん!」

「うん、なのに、今日は吐いたの?」

「う……」口をつぐむゆあるさん。「て、ていうか、なんで私が疑われてるのっ?」

「だって、ゆあるさんアレな人だから」

「確かに私はアレなほうだけど! いくらアレでもこんなゴミ料理食べないよっ!」

「いや食べてたじゃんさっき嬉々として」

 僕が淡々と返すと、ゆあるさんはむううーっとほっぺたを膨らまして、

「言っとくけどね噂坂くん! 私、犯人の目処たってるんだよっ!」

 大声でそう言って、食器棚のほうを指差した。

「そこにエメトのゲロがあるの、私見つけたんだよ! だから犯人はエメトなの!」

「エメト……って、誰ですか?」

 僕らのやりとりを静観していた阿知子ちゃんが横から尋ねてくる。

「ああ、えっと、エメトっていうのは、新聞部ウチの部室で飼ってる三毛猫だよ」

 ちなみに名付け親はゆあるさんだ。なんでも嘔吐性愛者を『エメトフィリア』って呼ぶらしくてそれが由来なんだけど、人間のエゴが露見した酷い由来だと思う。

「ほら、これ見てよ! 毛玉入ってるもん、これ絶対エメトのゲロだよ!」

 食器棚に駆け寄り、ゆあるさんが床の一角を指差す。ついていって見てみると、確かに棚の陰に黄土色のぐちゃぐちゃしたブツが散乱していた。食物の残骸らしきツブツブした固形物の合間に、いくつか小さな毛玉も混じっている。けど、

「ゆあるさん、これいつ見つけたの?」

「来てすぐだよ。私、ゲロを気配だけで察知する能力あるから」

 うん、あながち嘘じゃなさそうなのが怖い。

「でも、だったらなんで早く言わなかったの?」

「そ、それはー……」目を泳がせるゆあるさん。「それは、独り占めしたかったからだよっ! ゲロがあるって言ったら噂坂くんが舐めちゃうじゃん!」

 僕は聡明なのでそんな戯言にムキになったりはせず、論理的に反論する。

「でもね、ゆあるさん。『黄痰の冷製ポタージュスープ』は冷蔵庫の中に入ってたんだよ? 猫がどうやってそれを食べることが出来たの?」

 サッとゆあるさんの顔色が変わったのを僕は見逃さない。更に反論を続ける。

「食べられてた料理は、見た目からしてハッキリとアレなものばっかりだったよね。一見普通な『目くそ耳くそおにぎり』や『水垢せんべい』は手つかずだった。それはつまり、犯人はアレな見た目のものを食べてたってことなんだ。そんな芸当、猫には出来ないよ」

「で、でも……じゃあ、毛玉はっ? このゲロ、毛玉が入ってるんだよっ?」

「それは――つまり、こういうことだよ」

 そう前置きして僕はしゃがみ、ゲロをひと舐め、ふた舐め、おまけでもうひと舐めする。

「うん。このゲロ、ほんのりコーンの味がするよ。おそらくこの毛玉は、トウモロコシの毛の部分が丸まって出てきたものだね。……ちなみにゆあるさん、今日のお昼はなに食べた?」

「そ、それは……トウモロコシ以外のもの、だよ」

「ふうん、そっか。じゃあさ、ゲロ吐いてみせてよ。今ここで」

「……っ!」

「ほら、いつもやってるみたいに吐いてよ。舐めるからさ、僕がこの場で」

「………………う、うう……」

 小さく声を漏らして、ゆあるさんは静かにうなだれた。


 * * *


 結局、この事件の犯人はゆあるさんだった。

 手頃なゲロ吐き場を求めて校舎内をうろついていた彼女は、猫のフンバーグの強烈な香りに誘われて家庭科室にやって来て、目の前に広がる格好のゲロ材料群に舞い上がり、我を忘れて犯行におよんでしまったということだった。

「出来心だったんだよ、だって……だって、『ゲロ吐いてください』って言わんばかりのお料理だったんだもん。それに私、最近スカトロにも興味あるから、人のウンチ食べる前にまずは猫のウンチで慣らしとこうと思って、それで……」

 涙と口元のゲロ(結局吐いた)を手で拭いながら静かに語るゆあるさん。

 僕は口元のゲロ(結局舐めた)を拭いながら、ふう、とため息をひとつ。

「キミの性嗜好にとやかく言うつもりはないけど、ゆあるさん、とりあえずまずは阿知子ちゃんに謝るべきだと思うよ」

「……うん」小さく頷き、おそるおそる阿知子ちゃんのほうを見て、「えっと、その……ごめんなさい」

「ありがとうございます!」

 『ごめんなさい』を打ち消す勢いで言うと、阿知子ちゃんはぺこんっと頭を下げた。

 完全にきょとんとする僕とゆあるさんを置いて、彼女は言葉を続ける。

「自分の作った料理がゆある先輩のゲロになれたなんて、あたし、正直すごく感激してます。だから謝ることなんて全然ないです。ゆある先輩はご存知ないと思いますが、先輩、あたしたちの業界では『吐き神さま』って呼ばれてるんです。神さまのゲロになれたなんて、あたし、認められたって気持ちですっごくすっごく嬉しいです!」

 今日イチの生き生きした表情で饒舌に語る阿知子ちゃん。きらきら輝く目と、興奮でほんのり紅潮した頬。長い髪に隠れて今まであんまりわからなかったけど、この子、結構可愛いかも知れない……けど、喋ってる内容があんまりにもあんまりすぎて、なるほど、天は二物を与えないってほんとなんだなあ……というか、

「……ゆあるさん。キミ、神さまとか呼ばれて、なにしてるのいっつも」

「えー? 私は普通に、街のあちこちでゲロ吐いたり舐めたり、ゲロの味のレビューをブログにアップしたり、今のゲロのトレンドについてツイッターで」

「うん、もういいや、うん」

 僕が心底げんなりしていると、阿知子ちゃんがおずおずと話に入ってくる。

「あ、あの……もしよかったら、教えてほしいんですが……ゆある先輩、私の料理、お味どうでしたか……?」

「ん? 味?」ゆあるさんは小さく首を傾げて、「クソまずかったけど?」

 瞬間、阿知子ちゃんはスタンガンでも喰らったのかってぐらいビクンッ! と大きく上半身をのけぞらせた。そして、

「あ、あの、もう一回言ってください」

「ん? クソまずかったー」

 再度、大きくのけぞる阿知子ちゃん。完全に恍惚の表情。

「せ、先輩、あの、あたし今からちょっとお手洗いで儀式するので、個室の外でクソまずかったって言い続けてもらえませんか……?」

「えー、別にいいけど……なら私も隣りで儀式しちゃおっかなー、なんて。えへへ」

 とかなんとか、楽しげにきゃっきゃしている二人を静かに傍観しつつ、僕はゆっくりゆっくり後ずさりして、家庭科室を後にした。


 結論。

 無駄な時間だった。

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