びきドン! ~粘ヶ丘高校新聞部のドン引き事件ファイル~
百壁ネロ
【ケース1】2年B組 水泳部所属 煮間野ゆある
「
空は快晴、気温は快適。そんな最高に爽やかな五月某日の放課後。
机一つに椅子一つ、そしてノートPCが一台という、簡易式ネットカフェ(もしくはネット環境の付いた独房)みたいな佇まいの我が新聞部部室に、いかにも快活そうなポニーテールの女の子が駈け込んで来た。……スクール水着姿で。
「私、今日は思いっきりゲロ吐こうと思って、たっくさん消化に悪いもの食べたのに! なのに誰かに先に吐かれてたの! 私の、私だけの吐き場所なのにっ! こんなのってないよっ! あんまりだよーっ!」
アーモンド型の大きな目にうっすら涙を浮かべて叫ぶ少女を前に、僕はネットサーフィン中のノートPCを静かに閉じて、一言。
「……えっと、キミ、誰?」
と、スク水ポニテ少女は目をパチクリさせて、
「あ……私、B組の
「うん、はじめまして……だね。あ、僕、C組の噂坂です」
「知ってるよー、ってか噂坂くんのこと知らない人とかこの学校にいないよー」
「……あ、そう」
それはおそらく『僕を知らない人がいない』というより『我が新聞部の存在を知らない人がいなくて、だから、今現在ただ一人の新聞部員である僕の存在も同時に知れ渡っている』ってことだと思うけど、まあ、それはどうでもいい。
「で、えーっと……煮間野さんだっけ」
「ゆあるでいいよー? もしくは、ゲロ女って呼んでー?」
「あうん、じゃあ前者で。……えー、ゆあるさんは、その、いったい何をしに
僕が尋ねると、ゆあるさんはぴっちりしたスクール水着の上からでもはっきりわかるほどボリューム感のある胸を、えっへんとばかりに大きく反らして、
「だって噂坂くん、変態にすっごく理解があって、変態的な困りごとにはなんでも協力してくれるってウワサだったから、なら私みたいなクソゲロ女のことも助けてくれるかなあーって」
「…………はあ」
僕がなんとも気の抜けた返事をすると、ゆあるさんは急速に顔を曇らせて、
「……あれ? もしかして、私みたいなゲロ吐き女の力には、なってくれない、とか……? え、ゲロ好きじゃダメ? ゲロ好き程度じゃ変態って認められない? ゲロ好きはゲロ以下ってこと? ねえ、私ゲロ以下? ゲロ以下?」
「うん、あの、とりあえずゲロゲロ言うの一旦やめようか」
* * *
スカトロ、虫姦、近親相姦、風船、全タイ、虫クラッシュ、シャブ漬けセックス、食ザー、食人などなど、この世のあらゆるディープな性嗜好をすべて自分のモノにするというアグレッシブすぎる実験ルポルタージュ『ディープ・ディーパー・ディーペスト!』をアンダーグラウンドマガジン『実話バッカリズ』にて十三年に渡り連載。そのすべてを一冊に凝縮した単行本が昨年出版され、アングラ系・サブカル系書籍としては異例の超超超大ヒットを飛ばす。その内容のセンセーショナルさは各種メディアで大きく取り上げられ、すぐさまドラマ化・映画化・コミック化されてすべてが大ヒット。更に『性の多様性をリアルかつ真摯に説いた功績』とやらが認められて文部科学大臣賞を受賞し、内容をソフトにした上で小・中学校の保健体育の教科書にまで取り上げられる始末。終いには、なんとその年のノーベル平和賞(文学賞とかじゃなく、なぜか平和賞)にノミネートされてしまうという奇跡を起こした、今、日本で――いや、世界で最も注目されているノンフィクション作家、それが岩丸幻丈である。
そんな岩丸氏が高校時代を過ごしたのが、この粘ヶ丘高校新聞部らしいのだ。
氏が何かのインタビューで『ネバ高の新聞部がなかったら今の変態的な僕は存在しなかったよ』とかなんとか言ったので、それでもう『ネバ高新聞部=将来有望な変態の集まり』というあまりにも偏ったイメージが、我が校の生徒のみならず、世間的にも広く広く浸透してしまった。
で、それをきっかけに部員が大量に辞めちゃって(だって変態だって思われたくないもんね)、結果、僕だけが残ったというわけだ。
「……ってことは、噂坂くんは相当パラフィってるってことだよね? でしょ?」
くりっくりの目で僕を見つめて、首を傾げるゆあるさん。
「えと、パラフィ……?」
「パラフィリア。性的倒錯のこと。私みたいなゲロゲロ女を、パラフィってるって言うんだよー」
「はあ」
自分で自分のことをしっかり客観的に見れてる点は、素晴らしいと思う。……うーん。
「いや、あのね、僕はただ単に新聞が大好きで、辞めたくないから残ってるだけで」
「またまたー」
「またまたーって」
「じゃあ噂坂くん、ちょっと見ててね? いーい?」
言うや否や彼女は自分の右手をグーに握りしめ、思いっきり振りかぶって自分のおなかをぶん殴り「うぶっ」続けてもう一発ぶん殴り「ぐっ」更にもう一発「ぐぶ」おまけでもう一発「ぶば」……えー、なにやってんだこの子。
なんて、思う間もなく。
ラストの「ぶば」の声と共に、ゆあるさんは口からべしゃべしゃっと前方、僕のノートPCに向かって液体を噴出した。うわ、マジかー。
吹っかけられたその液体(というか半固体)を見る。粘り気のある薄ピンク色の液体の中に、ツブツブした大小さまざまな固形物が混じっていて、形容しがたい凄いにおい。
「おぇ、おべ、え、え」
と、続けてゆあるさんは大きく口を開けて、その中に指を――というか右手を全部突っ込み、前後左右めちゃくちゃに動かしては
「あの、ゆあるさん、いったい何をしてるの」
「えおあよ」
「(ゲロだよって言ってるんだろうなあ)まあ、それはわかるんだけど、なぜ」
僕が尋ねると、ゆあるさんは「うえぷ」と口から手を抜いて、その手で僕を指差し、
「ほらっ! 噂坂くんドン引きしてないじゃん! がっつりパラフィってるよー!」
「いや、顔には出してないけど相当ヒいてるよ僕」
「ううん、全然だよー」ふふん、となぜか得意げに笑むゆあるさん。「だってこれやって見せたらウチの部員は全員走って逃げてそのあともれなく退部したんだよー?」
えー、部員にやって見せたんだー。この子、可愛い顔してだいぶ歪んでるなー。
まあ、でも――確かにドン引きってほどではない……かもしれない。実際、わりと冷静に彼女の吐しゃ物の中のこのツブツブしたやつって天カスかなー、油って消化に悪いしなー、とかじっくり観察しながら分析してる自分がいる。ううーん。
「よし! じゃあさっそく行こうよ噂坂くん! 事件現場っ!」
そう言うとゆあるさんはぎゅっと僕の手を握り、ぐいぐい引っ張って部室から飛び出した。ちなみに、さっき口に突っ込んでたほうの手で握られてるので、ものすっごいヌルヌルする。……あとで洗おう。
* * *
初めて訪れる水泳部の部室は、プールの裏に建つプレハブの一室にあった。
引っ張られるがままに中に入ると、そこは部室というかほぼロッカールームみたいな感じで、数台並んだ薄ねずみ色のスチールロッカーが、狭い室内でかなり幅をとっていた。いくつか戸が半開きになっているものもあって、なんとも雑然と置かれている感じだ。
他に目ぼしいものといえば、長机とパイプ椅子数脚、冷蔵庫、扇風機、そして洗面台。奥にはトイレにつながってると思しき扉まであって、なんというか、うーん、わりと住めそうだなここ。
「……で、問題のブツはどれなの」
「え、気付いてなかったの? それだよそれ! そこっ!」
ゆあるさんが指差す先を見ると、今しがた僕が入ってきた入り口のど真ん前、かつど真ん中にオートミールをぐっちゃぐちゃにしたようなビジュアルのブツが思いっきり飛び散っていて……えー、踏んだな僕これもしかして。おそるおそる右足を上げて靴の裏を見てみると、そこにはしっかりと薄い黄土色のブツがびっちゃり付着。おお、家帰ったら洗おう、念入りに。
ゲロを踏んづけて意気消沈している僕の傍らで、ゆあるさんは、ふうーっとため息をつく。
「部活終わってね、よーし今日も吐くぞーって意気込んで部室に戻ったら、そのゲロがあったの。確かに私、部活前にもそこで一回吐いたけど、でもそれは絶対に私のゲロじゃないんだよー。だって味が全然違うもん」
「うん、あの、ごめん、情報が一気に入ってきすぎて完全に混乱してるんだけど、え、部活前にも一回吐いたの?」
「うん。部活前、部活中、部活後に吐くのが日課だから。ちなみに部活中は、プールの中で吐くんだよー」
「そっかあ、塩素消毒の意味を無に帰す行動だね。……えーと、それで、『味が全然違う』っていうのは、どういう」
「ん? そのままだよ?」きょとん顔のゆあるさん。「舐めたら、私のゲロと味が違ったの」
「へー、なるほどね」
あんまり掘り下げるとこの子の闇に触れそうなので軽く流した。
と、ゆあるさんは突然目を輝かせて、
「そうだ、噂坂くんも舐めてみてよー! そしたら手がかり見つかるかもだよっ!」
「で、部活中はここには鍵掛けてたんだよね」
完全に頭のおかしいことを言い始めたゆあるさんをスルーして話を続ける僕。
「噂坂くんはゲロ舐め慣れてないから、そういう人の意見も必要だと思うの。ね?」
「そっか、鍵は掛けてたんだね。窓にも鍵は掛けてたの?」
尋ねる僕を無視してゆあるさんは入り口前へと移動し、床にしゃがみ込んだ。そしておもむろに床のゲロを手ですくい上げ、僕のもとへと戻ってくる。
「はい、噂坂くん。舐めてみて?」
めっちゃ笑顔のゆあるさん。
「……えーっと、部活中、入り口と窓に鍵は」
「掛けてたよ。密室だったよ。誰も入ってこれないはずなのにゲロがあったんだよ。はい、舐めて?」
めっちゃめちゃ笑顔のゆあるさん。
…………えー、なんだこの有無を言わさない感。
「……えと、ゆあるさん、僕、この密室の構造とか、密室状態だった時間帯とか、そういう側面から捜査を進めたいんだけど」
「えー舐めたほうが早いよー、味はそんなに悪くないよ?」
言うが早いか彼女は、ぺろぺろっと自分の手の上のブツを舐めだした。
「ううーん……野菜? 草? そういう系の味がするなあー」
「そっかあ、じゃあ犯人はベジタリアンだね。よし、解決でいいかな」
「ダメだよ、ほら舐めて? ひと舐めでいいから。ね?」
「じゃあ解決したことだし、僕帰るね。またね」
くるっと回れ右――しようとする僕の顔面に向かって、
「えーーーいっ!」
という掛け声と共に、バチコーンと掌底を喰らわさんばかりの勢いで、ゆあるさんがゲロ付きの手を叩きつけた。
「あ」
――ちょっと口に入った。
「えいえいえーいっ!」
僕の顔の上で、むちゃくちゃにゲロ付きの手を動かすゆあるさん。なすすべなく塗りたくられていく僕。どんどんどんどん口腔内に侵入してくるゲロ。
……あ。確かに野菜っぽい味するな、これ。
なんて、意外と冷静に考えている僕だった…………って、えあ、う、うう。
「ぶえっ」
* * *
「噂坂くん、お昼、チョコレート系のパン食べたでしょー?」
「…………うん、当たり」
幸せそうに目を細めてペロペロ自分の指を舐めるゆあるさんを、じっと見つめる。
なんだろう。ゲロを顔面に塗りたくられて、自分でもゲロ吐いて、それをこうして女の子に舐められて、なんか、いろいろ、だいぶ吹っ切れてきた。
というわけで、床のゲロを手ですくってベロッと舐める(ほら、吹っ切れてる)。
「……ゆあるさんは、部活前にここで一回、ゲロ吐いてるんだよね? それは、中身は?」
「カレーパン!」自信満々の表情でゆあるさん。「カレーパンとカレーパンとカレーパンとカレーパンとカレーパン食べて吐いたから、間違いなくカレーゲロだよ!」
なるほど。自分の体にそれだけの負荷を加えてゲロ吐きに挑むその姿勢、まさにアスリート。
しかし、そうなると、間違いなくこの床のブツはゆあるさん以外の何者かのゲロということになる。だって、微塵もカレー味じゃなかったから。
「ちなみにゆあるさん、そのカレーゲロを吐いたあとは何してた?」
「えーっとねー、吐いたあとは、両手ですくって自分の体にベタベタ塗ってー……あ、私、部活前のゲロは裸で吐くって決めてるんだー。それで、ゲロまみれになって写メ撮ってツイッターに上げてー、それからトイレで一人で気持ちいいことしてから、水着に着替えてここを出たよー」
うん、気になる部分は多々あったけど捜査に関係ないことには触れないという鋼の心でここはスルー。
「出るときには、ゲロは自分のだった?」
「うん、それは間違いないよ。ウンチみたいな色のホカホカしたカレーゲロをまたいだの覚えてるから! あ、そうだ、そのときのゲロの写メ撮ってるよ? 見る?」
「うん、見ない」
ということは――考えられる可能性はひとつだろう。
トイレでゆあるさんが一人で気持ちいいこと(何かは知らない。訊かない。触れない)してる間に、何者かがこの部室に侵入し、隠れた。そして、ゆあるさんが出て行ったあとで、カレーゲロを拭き取り、そこに自分のゲロを吐いた。
でも、いったい誰が……?
頭を悩ませながら床のゲロをもうひと舐め、ふた舐めしていると――喉の奥に、異物感を覚えた。
けほけほと咳き込みつつ、口の中に指を突っ込んで異物を取り出す。それは――、
「……毛玉だ」
そのとき僕は、この事件の犯人がハッキリとわかった。
* * *
それから。
僕とゆあるさんの必死の捜索により、半開きになったロッカーの中に隠れていた犯人が見つかった。そいつが犯人であることは、口の周りの毛に付いたゲロを見れば明らかだった。
「そっかー、お前が犯人だったのかあー、もー驚かせないでよー」
ゆあるさんは、犯人を胸に抱えて困ったような笑顔で言う。
「なんか、知ってる風な口ぶりだけど……えーっと、お知り合い?」
「うん! 仲良しだよ!」にこにこ笑顔のゆあるさん。「この子、たまーにここに入ってきちゃうの。それで仲良くなったんだよー」
そう言うゆあるさんに抱えられた犯人――小さな三毛猫は、気でも狂ったかのように手を振り回してジタバタ暴れまくっていて、うん、全っ然仲良しには見えない。
そう。この事件の犯人は、この野良の三毛猫だったのだ。
カレーゲロの強烈なにおいに釣られて部室に入ってきた猫は、トイレで気持ちいいこと(何かは知らない。訊かない。触れない)を終えて出て来たゆあるさんから一旦隠れて、彼女が出て行ったあとでカレーゲロを食べ、そしてその場で吐いた。ゲロが草っぽい味がしたのは、猫がよく食べるといわれる草――いわゆる猫草のせいだろう。ゲロの中に毛玉が入っていたのも、言わずもがな、猫の習性。
「ま、とにかく、これで一件落着だね」
「うん、なんかモヤモヤしてたのがスッキリしたよー。ありがとね、噂坂くんっ!」
ふわっとゲロまみれの口元をほころばせて微笑むゆあるさん(さっきなんの脈絡もなく突然吐いてた)。その笑顔を見て、なんだか妙な充足感を覚え、思わず一緒にゲロまみれの口元をほころばせてしまう僕(ゆあるさんのゲロ見てもらいゲロした)。
「それにしても、ほんとにお前はイタズラっ子なんだからー。猫鍋にして食べちゃうぞー?」
とか言いながら、ゆあるさんは三毛猫の顔を覗き込む。……うん。
「ゆあるさん、ゲロはいくらでも吐けばいいと思うけど、猫を鍋にするのだけはダメだよ絶対」
「え? ちょっと、なに本気になってるの噂坂くん。するわけないじゃんそんなことー」くすくす笑うゆあるさん。「猫を殺して鍋にするのは、パラフィリアじゃなくて単なる異常者だよー。私、そういうのじゃないからねー?」
「あ、そうなんだ」うん、その辺の境界、僕にはよくわからない。「……でも『猫鍋食べて猫ゲロ吐きたい』とかゆあるさんなら考えちゃうかなと思って……ごめん」
「………………猫ゲロ?」
急に真面目な顔になり、ゆあるさんは、しげしげと猫の顔を見つめ始める。
見つめたまま、口を開けたり閉じたり、開けたり閉じたりを繰り返して、一言。
「――猫ゲロって、どんな味かなあ?」
結論。
三毛猫は、新聞部の部室で責任を持って飼うことにしました。危ないしね、うん。
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