紙人形

鼬炉ヒソ

紙人形

『——ねぇ、噛んで』

 委員長がそういう趣味なれば。

 痛みで相手の存在をより強く感じ。そこに興奮を覚え、痛みを快楽にして。

 右、鎖骨の上、首から肩にかけて伸びる筋を千切るように、犬歯が皮膚に突き刺さるように。閉じようとする口から溢れる吐息は耳朶より、髪の擦れる音と共に。腕に痺れ、走る電撃は回復不可の幻覚、歯形は所有の証であり、破壊的衝動に塗れた愛欲であるか。

 求愛、接触、自分の損傷は相手の多大なる干渉の表れ。

 右腕は使い物にならぬやもしれぬ、より一層、雷が落ちるが如く一過性の衝撃で、先の一生に欠損を残すのであろうか。——利き手だって。

 只、それでも尚彼女は依然求め続けるであろうし、捕食者も又。

 >ギャルの歯は特別、鋭いか?

 丹田より出ずる肉体的興奮は身体の操縦権における最高権利者であり、彼女の思考危うく。尚目の前の生命体を求めん接触せんとの意思は根源的捕食への誘導。咬合の威力なぞ到底考慮する暇なく己が衝動のまま、噛んで。

 欲の塊、その二者は、何も思考及ぶことなく、教室の真ん中にて一つにならんと身体抱き寄せ色と食の欲として、シャツを夕日にする。

 噛んで、息が漏れて、筋に捩れ、腕に痛み。二人がそこにいる。

 そういう、設定。


     ○


 紙人形は依然として紙人形であり。

 そのファインダー越しによって少しばかり現実となる。

 個人的撮影会は夕日の沈み込みによってシャッターチャンスが消失し、終わる。

 夕日に照らされる二人には無限の可能性が秘められ、それを辿るにすぎない。しかしてそこには生命必需品あるいは財宝が眠っているが故に、求めずにはいられない性分である。

 難儀な自我、撤収準備と回収。主役の彼女らはまだそこで待っている。

 木製と付加される光沢のある膜の天板、上に。人間にしては小さい二人が微塵動かず、立って、事実、語弊一つなく、重なり合っている。奥行き三㍉の人間はいない。重なり合って六㍉の二人は故に紙である。紙人形とは実際ただの補強された写真にすぎない。

 クラスメイトの写真を撮ったことがある。

 >彼女は顔が良かったから、きっと他の女を誑かしているだろうと。

 別のクラスメイトの写真を撮ってみた。

 >彼女は目立たない人間が目立つ役職にいるからで、多分誑かされた一人だろうと。

 偶然。

 生身の人間はデジタルよりもアナログであるべきと、その写真を現像した。アクリルスタンドにはできない輪郭、人体境界線上の切断の果て。雑踏をたった二人で再現できるほどに、彼女達は机に並べられた。

 二人の身長差は比率にすればほとんど現実のそれであったし、自身の技量と運があったということで、重なった写真の二人は抱き合っているかのようで——

 ——明らかギャルの方が受けであった。


     ○


 委員長とギャルに関して私の知るところは実際何一つない。

 黒髪、メガネ、おさげ、それが委員長で、金髪、ピアス、ゆるふわパーマのロング、それがギャルで——以上、正確に言えばこのような観測による外見の特徴量は把握しているなど例外はあるものの。

 一体、女の肉体を有する齢一六あるいは一七、高校二年で同クラスの人間である。とはあくまで予測であり、彼女らの肉体に男性特有のそれが生えているかもしれぬし、留年を経験しているのかもしれない。確証はない。

 ギャルと委員長が実際喋っているところも、何らかコンタクトを取っているところも、何一つ観測してはいない。否定された事象からの推測によれば二人の関係値は全くと無しに、それこそ委員長の身分でありながらそこまでの関与のなさを疑う具合でもある。

 彼女らを一番に見ていようと、情報は一体得られぬ。現実はただそうであった。

 裏で密会をしている想像の余地。それだけが確実であって。

 しかして彼女らは近くにいるのであった。

 二限は体育の授業である。

 一限終了と同時に更衣室の需要は最大限に達し、ただ人混みが生まれている。その中でなお照準を継続する視線、対象物は三㍍先、訂正一㍍、眼前。

 委員長が言う。

「——さん、練習グループの変更、アタシのミスで伝わってなくてごめんね、ええと……」

「あっ、その、わ私今日見学で、だだだ大丈夫です」

 群衆へ、人混みに隠れる。目線だけがその隙間より。

 密集の女体に渦中、委員長とギャルは偶然か何か近距離に二人。一言二言も喋ることなく淡々と服を脱いでいる。だが、見ては明らか委員長は視線を右方、そのギャルの体を舐めるように、首を右に振ってはすぐ左に。意識していなければ何があるのか服に虫でもついているのか、視線送りの果て、ギャルに背を向ける。

 赤らんだ顔と首筋がこちらから見えるようになり、

 首筋が赤い。

 広範囲に広がる、それがなんであるかただの痣か、私は知っている。皮膚の裏に隠れ滲むよう広がった赤さは、その赤さは紛れもなく! 自分の想像は現実であるかもしれないその興奮に私は一人の世界に入る、時間は忘却される、視界はもはや幻覚に移る。

 間抜けにも下着姿で教室に佇む者、一人。

 鐘が鳴る。


     ○


 体育は見学で居る。

 それは別に何も変哲のない決定事項だが、隣にはギャルがいる。それだけが予想外であった。

 彼女の目は一途である。人間、瞳の運動は無意識の産物であり、一点の集中でさえもその軸止まること能わず。だが、そうであろうと彼女の眼は不動であり、その視線は一直線揺れることなく一点委員長を見つめていた。

 走り高跳びは得意ではない。それは明らか一目瞭然のこと、故にギャルはその成功に一喜一憂の反応を見せる。誰彼に伝達することを目的としない、ただその喜びが身体を動かすような、原始的興奮。

 身体の運動、手は最大限の可動域を以て動き、私の肩へ仕事をする。

「あっ、ごめんなさい。大丈夫?」

「は、はいっ だ。ですっ」

 口を開けて、声を出して、その間から歯が、犬歯が見えて。

 ——あれが委員長の首筋に刺さったんだ。

 確定事項ですらないただの想像はひどく腑に落ちる。現実と妄想のリンク、自身の幸運、妄想は現実に?

 非現実。委員長とギャルにその何ら関係性はないはずである。紙人形を作りし時から彼女らの一挙手一投足を確認してきたこの記憶が否定を弾き出す。だが、感覚に彫られた溝には彼女達の交際がひどく綺麗に嵌まり、抜けることはない。

 ギャルの瞳は黒であって光が灯っていた。それは恋の眼か?

 知識を授ける。人間、「目が合う」の時間が長ければ恋するらしい。

 実際、私が瞳を覗く時、ギャルもまた瞳を覗く。

 落下。


     ○


 ギャルは委員長とデキている。

 それはもはや疑いようのない事実としてのみ認可を下ろす。

 二人は、今日も教室で密会をした。それは紛れもない事実のようにのみ思えて、ギャルはまた委員長の首筋を噛んだんだろう。視線は踵に、だが視界は何をも見ていない。感覚として除外された情報に意味はない。

 部屋、過去にあった事象を思い起こす。

 見つめ合う。言葉を交わすこともなく、目の下を親指でなぞる。頬から下へ、金に染まった髪が指の間をくぐり抜けていく。首元のリボンは一本の紐に戻る、襟が鎖骨を見せるように開かれる。赤くなった首筋が夕日のオーバーレイでは目立たない。

 手は腰から背中にかけて這い、力は体を引き寄る。誰彼の挟まる余地のない密着、生まれては布と布が擦れる。何を求めるとも言わず、頭は首に垂れ、歯が首筋を挟む。痛みが愛を表象するように、彼女の腕はより強く体を引き寄せて、制服のボタンが体に食い込むように、ボタン同士がぶつかって、パチンと。

 首筋から耳までなぞるように舌が、声が漏れ、吐息は荒く、私の腕は強く強張る。

「行かないでね……ずっと、ずっとウチのそばにいて、ね……?」

 耳元で声。

「好きだよ、——」

 私の名前が呼ばれた。


     ○


 背骨の痛みは現実的感覚であり、現実世界への帰還である。天板に垂れた唾液は髪の毛を固め、窓より注ぐ陽光は右半身へと温もりを送る。現実現状の認識から行われる見当による結果なれば畢竟ただの寝落ちであり、時刻は幾重の防衛ラインを越え本丸へ歯牙をかけんとしていた。

 紙人形はただ一人で朝日に照らされている。


     ○


 委員長は珍しく休んでいるようで、その席は空白であった。

 彼女のマメな性格を表すかの如く。一切の荷物をも残されていない机だけがそこにある。

 明朝、遅刻を受け入れる覚悟で捜索した委員長の紙人形は一向未だ見当たらず。一人に一つと揃って今頃一体何をしているのかとの思考に陥る。風邪をひいたか風にふかれたか云々何か。

 始業は鐘によって知らされる。

 短、二分。

 小テストは、再提出に有らず。小テスト点数推移の統計における中央値の大幅な変動の起こる点数がそこにはあった。三〇のうちに二十九。

 それも当然、昨日の夜に予習復習を済ませてたからで——。

  (——でも昨日の夜は寝落ちをしてしまったはずで——)

「今回の小テスト、最高点は二十九点! 誰かはわかると思うが、みんな見習うように」

 教師の一言が放たれる。視線はただこちらに集まるばかり。


     ○


 気がつけば口に米が入っていた。

 見知らぬ箱、詰められた食料、半分なくなった白。右手には箸を、そして左手にはギャルが握られていた。魚の内蔵を食うかの如く対に持たれたそれに一向一才の関連を見出せず、ただ数十秒の硬直に及ぶ。

 依然新規となる情報を流し込まぬ視界が、凪の脳裏に波紋を起こす。

 ギャルの金髪にケチャップの付着、染み込み、その形を歪へと。あぁ! 一心の後悔、紙人形になんたる無礼、観念の思いにて、これ以上の侵食許すまじにその部位を千切って——。

 「え、ちょっと今髪めっちゃ落ちたんだけど! やばい! ウチもしかしてハゲる?!」

 現実、そのギャルは声を上げる。

 床には赤い髪が広がっている。


     ○


 夕日の教室にいた。

 記憶はない。紙人形を持って教室に佇む自分がいるというシーンが意識の始まりである。

「あ、いた。待った?」

 ギャルが、

 私のところに、アタシだから、

 >それ以前に私の反射はこう言ったんだ。

「っす、っぅいませんっお邪魔しました今すぐ出ますから許してください!」


     ○


 焦り、共に働く行動にロクなことはない。

 視線からの隔絶、背面の展示、帰宅準備、紙人形を搬送定位置へ、ファイルへの収納、それは紙、神そして付喪と九十九、ファンブル的終着の訪れ。


 ——首筋に液体。


 唐突な湿潤、己が肉体より表出したものではないという確信。然しながら己が肉体にも流れるソレが、生暖かいソレが、髪の毛の隙間から滴り落ちて首筋に落ち、伝う。首の円柱を進む液体はやがて重力に引かれ、滴る。

 手のひら、皺のつき、酷く折れた加工済み印刷紙は特殊インキを受け入れるかのよう、新たな赤を滲ませる。実態を再現していよう現象、疑念を疑念のままにせんと目を瞑る。感覚の遮断と鋭敏化、匂いと臭いが鼻腔に辿り着く。

 行動は全て反射であり、拒絶の表現は逆行である。

 顔を背けることのなんと浅はかな。

「ひっぅ、゜ン」

 理解の八割、視覚の認識。あれほどまでに求めていた肉感実感の粋は目の前に惨然と広がる。非現実からの忌避は昼食にて払われる。

 咄嗟にあてがう手には紙。口腔への押し付けは新たなる形状変化をもたらし、眼前の肉は血を再び飛ばす。くぐもった鈍い音が鳴る。手が震え、吐瀉物は増え、その度呼応するよう彼女らの腕は振られ、足は曲がり、腹は捩れ潰れ血を吐き出す。

 足元で黄色と赤は混ざり、夕日の橙に近づいては隠れて——隠蔽、私の関与を無かったことにしなければならない。逃げ、私は違う、責任は、

 バレて暴かれ思われて私の所為にされてしまう——!


(転)


 トイレの洗面台は、制服を洗うには少し狭い。溜め込んだ水に紺と白は満ち満ちて、赤が少し浮いてくる。指で擦るたびに時間の経った粘りが広がり、感覚のファクターは溜まった水へ何度目かの胃酸を混ぜる。

 手は混合液に濡れ、顔は乾いた血に表情を矯正され、股および足には最早目も当てられぬ不快が塗れている。下着姿の自分が鏡に映る。——今人が来たら、自分は飛んだ変態だと思われるんだろう——。自分の心配をしてしまう、してしまっ——しなければならない、

 死んだんだろうか、でも明らか死んでいるような、血が!

 私が殺したんだ、この手で、この私が!

 ——前を向く、洗面台の上には鏡。そこに映る顔は見知った顔で、然しそれは鏡を通さぬ視界に存在できる、黒髪、メガネ、おさげ——アタシが!

 肉体の違和感、何かが私の頭を、脳を、心を、這って侵食するような、薄い何かが——!

 吐き気、黄色が再び漏れる。

 床に広がり、視線はその先を追う。

 

     ○


 彼女がいる。

 /血まみれのギャルが、私が殺したはずのギャルが


 歪んだ体で、足取りで、アタシの元に来てくれている。

 /来ないでっ、私はあなたの求める人じゃない、私は、私は


 瞳は黒であって光が灯っていた。それは恋の眼か?

 /私は私で、違う、アタシじゃない、それを、それを向けるな


 アタシの口は開き、根源的欲求を告げる。

 /私は、そこにいてはいけない、そこにしてはいけない、違う、違うっ


 そういう設定みたいに。

 /してはならない!


『——ねぇ、噛んで』

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紙人形 鼬炉ヒソ @itatirohiso

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