第4話

 夜店の中に飛び込むと、また昨日のように僕はすっかり楽しい気持ちになってしまった。

 今日は昨日あまり見回ることが出来なかった分、思い切り沢山買い食いをしようと心に決めて、まずは一通り見て回る。


 しかし、遠くで「ぼんっ」という爆発音が聞こえたとたん、僕はどうしようもなくなって、結局ポン菓子の店へ一直線で走った。


「さあ、いらはいいらはい。ポン菓子はいかが! ふっくら膨らんだポン菓子はいかが!」


 昨日と同じ、かすれた声が聞こえてくる。

 僕はどうしたわけか変なことは思い出さず、暖かい気持ちになった。


「滋養満点、風味豊かで甘露なポン菓子はいかが。糖蜜も沢山かけております!」


 あの子の声だ。

 そう思うと、なんだか僕はいっぺんに幸せな気持ちになって、じゃあ他のものはいらない、ポン菓子を買って食べようと決める。


「一つ下さい」


 僕はサツキに声をかける。


「あいよ、板? あられ?」

「うん、板が欲しい」

「どうぞ。できたてだからね。もちうちに持って帰るのなら、帰る前に買いに来てね、すぐにしぼんでしまうよ」


 割と威勢がよい声で、聞いていて気持ちが良かった。

 紙袋を受け取ると、サツキはすぐに他のお客さんに声をかける。


「さあ、いらはいいらはい。ポン菓子はいかが! ふっくら膨らんだポン菓子はいかが!」

「はいどうぞ。ありがとうございました」

「板ですか? あられですか?」

「すみません、売り切れました」


 僕はどうしてもそこを動く気になれず、サツキの声をずっと聞いていた。


 しばらくして、


 ――――ばんっ!!


 という爆発音がして、僕は我に帰る。

 耳を塞いでいなかった所為で耳が痛かった。


 そうだった。僕はこの子に言わなくちゃいけないことがあるんだった。


 またしばらくの間サツキの売り子を眺める。

 きっともうしばらくしたら、昨日と同じようにお兄さんか誰かが交代に来るだろう。

 そうしたら、もう一度話し掛けよう。


 そう決めると、まるで父様に叱られに行くときのように、胸がドキドキと早鐘のように打ち鳴らされる。


 そうこうしていると、サツキが走って僕のところへやってきた。


「ねぇお兄さん、なにしてるの」


 サツキは笑顔で、しかしおそらくこれはずっとサツキを目で追っている僕を不審に思っているのだろう、わざとらしい口調で話し掛けてきた。


「え、あの、その」


 僕はしどろもどろになってしまい、顔を真っ赤にしてしまった。


「なにしてんの? 顔が赤いで」


 ――――言葉の雰囲気が変わった。

 きっとどこかの方言なのだろう。


「あのさ! 僕!」


 僕は思い切って話し掛けた。


「僕、君と同じ教室にいたんだ。覚えてないかな」

「同じ、教室?」


 サツキが怪訝そうにする。


「うん、ほら君、今日学校に転向してきただろう? あの同じ教室で僕もいたんだ」

「ごめん、あたし、ほとんど人の顔見てないから」


 サツキはなぜか不機嫌そうな顔をする。


「それで? なんか用なの? お兄さん」

「……お兄さんじゃない。僕は誠一だ」

「誠一。ふうん、でその誠一さんが何の用?」


 サツキがどんどん不機嫌そうになってゆく。

 僕はなんだか悲しくなって、しかし何とかして明日のことを伝えようと思った。


「あのさ、明日……」

「明日、何」

「明日! 学校に来ないで欲しいんだ!」

「は?」


 サツキは怒ったような顔で聞き返して来た。


「なんでそんなこと言われなくちゃいけないの」

「いや、僕が来ないで欲しいわけじゃないんだ。その……教室の何人かが、君に悪戯をしようって言ってるんだ。僕にはきっと止められないから、学校に来ないで欲しい」


 僕は思い切って全部話した。

 するとサツキはようやく表情を崩し、言った。


「なあんだ、そんなこと」

「そんなことって、君」

「そんなこと、いつものことなんだ。ふつう、あたしみたいな流れ者は学校なんか行かないじゃない」

「僕、よく知らないんだ」

「ふうん、でも、とにかく学校に行くと、よく悪戯されそうになるよ。でも、今のところ何とかなってるし、これからも何とかなるよ」

「そんなの、わからないじゃないか」

「じゃあ、誠一さんはあたしは学校に行くなって言うの?」

「そんなことないけど、でも明日は……」

「一緒のことよ。だってあたし、何処に行ったってそういう目で見られるんだもの、もう慣れた」

「だめだよ!」


 僕は言った。


「そんなことに慣れちゃだめだよ、それにいつか本当に悪戯されたらどうするの」

「だから、それを怖がってたら学校に行けないの。あたしは父ちゃんとお兄との約束で、きっと読み書きが出来るようになる。約束したんだもの、行くよ」


 サツキはきっぱりと言った。

 僕は何も言い返せなくて、でも明日のことはどうにかしないと、特にあの和は乱暴ものだから、きっと酷い目に遭わされるんじゃないかと思った。


「でも、心配してくれる男の子と会ったのは、これが始めて」


 サツキがそう言って笑った。


「サツキ!」


 後ろから、お兄さんが話し掛けてきた。


「珍しいな、もしかして学校の友達?」


 品定めでもするようにお兄さんが僕をじろじろと見た。

 僕は居心地が悪かったけれど、ただ


「そうです」


 と答えた。


「この子は誠一君。友達になったんだ。とても優しい子だから、お兄は心配しないで」


 サツキがそう言うと、品定めは終り、お兄さんは僕に笑いかけた。


「そうか。短い間だけど、サツキをよろしくな、誠一君」

「え、はい……」

「よし、サツキ、今からしばらく時間をやるから、二人で遊びにいけ。今日は子供よりも大人が多いから、昨日と比べたら暇だろう。友達と遊びに行け」

「ありがとう、お兄」


 サツキがそう言って、そして僕の手を握ってきた。


「じゃあ、誠一君、遊ぼう」

「う、うん……」


 僕は女の子に手を握られたのが初めてだったので、自分でもわかるくらい、顔に血が上ってしまっていた。




 サツキは他のテキ屋の人たちにもよく顔を知られているようで、何処に行っても声をかけられた。


「よう、サッチャン、その子ぁサッチャンのいい人かい!」

「阿呆やな長一ちゃん。学校の友達!」

「お、男連れかい。サッチャンにしちゃ上手くやったな」

「そんなじゃないの! もう、ウチが男が苦手なん知ってるやろ」

「サッチャン、買うていってや」

「いらん。六さんのカルメラ、前に食べ過ぎて気分悪ぅなったんやもん」

「そんなもん、五個も十個も食べるからやろ」

「いらんもんはいらん」

「そか、で、そのよこのいい男は、サッチャンのアレかい」

「あほ! ただの学校の友達!」


「すごい」


 僕は驚いていた。

 サツキは何処の屋台のご主人とも友達のようだった。

 僕があんなふうに話できる大人なんて、一人もいない。

 でも、この子は大人たちの中でも少しも物怖じせず、まるで対等であるように見えた。


 僕や、ほかの友だちなんかよりもずっと大人に見えて、僕はまたどきどきしてしまった。


「それで、誠一君はなにを見たい? 食べたいものがあるなら、多分あたしと一緒ならおまけしてもらえるよ」

「うん、じゃあ僕、射的をしたい」

「射的? 得意なの?」

「うん、得意なんだ」

「じゃあ、こっちだ」


 サツキはまた僕を引っ張って先々歩く。


 射的屋にたどり着くと、サツキは店主に声をかける。


「清二さん、こんにちわ」

「おっと、サッチャン! なんだい男連れかい?」

「気持ち悪い言い方せんとってんか。ただの学校の友達。でな、射的が得意やねんて、やらせたって」

「うっしゃ、わかった! じゃあ坊主、サッチャンの友達とあっちゃ、サービスせにゃな」

「ありがとうございます。でも僕、ちゃんとお金払うつもりです」

「おっと、いい心がけだ! さすがサッチャンの将来の旦那だな」

「清二さん!」

「まぁまぁ。じゃあ坊主、せめて弾をおまけしてやろう。なぁに、どうせ当たりゃしないから一緒さね」

「ありがとうございます」


 僕は鉄砲を受け取る。

 思ったよりもずっと重かったので、驚いた。


 見ると、すぐそこに髪留めのポッチリがあったので、それを狙い撃ちする。


 ――――ぽんっ。


 しかし、掠りもせず弾はあらぬ方向へ行ってしまう。


「あれ?」


 ――――ぽんっ。


 またも見当違い。


「思ったよりも難しいよ、これ」


 ――――ぽんっ。


 当たらない。


「なによ、誠一君。得意だったんじゃないの?」

「うん、得意だと思ったんだけど、打つのは初めてなんだ」


 僕が言うと、サツキはしばらくあんぐりと口を開けて固まった後、大声で笑った。


「面白い子だね、誠一君!」


 そして、僕にくっついてきて、そして鉄砲を奪い取った。


「これはね、実は打つときよりも、弾を詰めるときのほうがずっと大事なんだよ」


 サツキはそう言って、銃口に弾を詰める。


「そして、こう」


 ぐっと身を乗り出して、僕が取ろうとしていた髪留めの横の、ロボットのすぐ目の前まで銃口を寄せて、


 ――――ぽんっ。


 とそれを取った。


「ほらね。ほらどうぞ」

「サッチャン、お前さんは出入り禁止だって言ったろう」


 店主がそう言いながらも笑ってロボットを渡してくれる。

 僕は、本当は髪留めを取ってサツキきに上げたかったのだけれど、サツキにとってもらったことが嬉しくて、それは言わないでおいた。


 そんなこんなで、しばらくするとサツキは言った。


「そろそろ店に戻らんと、お兄が困る」

「そう。じゃあこれでお別れだね」

「明日、学校で会えるじゃない」

「……どうしても、来るつもりなの?」

「うん。だから、父ちゃんとお兄には黙っておいてね」

「――明日、僕には助けられないと思うんだ」

「うん、うん。でも、どうにかなる。今までだって危ないことなんかいくらもあったけれど、でも大丈夫だったんだから」


 そう言って、サツキは笑った。


「いつも二三日で他の土地へ行くから、友達が出来ることなんて滅多にないんだ。もしまたここに来ることがあったら、また会ってくれる?」

「うん、また来るよ。僕、夜店は大好きなんだ」


 僕が答えるとサツキは嬉しそうにして、そして走って行った。


 ほんの短い間だったけれど、僕はサツキと一緒に遊べてとても楽しかった。

 その間、一度だって変なことは考えずに済んで、きっとさっきまでの僕は、どこかおかしかったんだと思った。




 それから、いか焼きとビー球を買うと、父様を探しに囲碁大会を見に行く。

 行くと父様はまだ試合の真っ最中で、しかも顔つきから言ってどうやら負けているらしかった。

 相手を見ると、いつも父様が目の敵にしている米屋の源五郎さんで、この分だと父様はまた次の試合までいつも愚痴愚痴言うに違いなかった。


 しばらくそこで待っていると、がっくりと肩を落とした父様が出てきた。


「負けた」


 力なくそう言うと、はぁと溜息をつき、そしておもむろに背筋を伸ばした。


「負けたが、良い試合であった。次の戦いが楽しみだ」


 そう言って、僕の頭に手を置いた。

 僕はなんとなく、父様のことを格好いいと思った。




 次の日、学校が始まり、やはりサツキはちゃんと教室まで出てきていた。

 僕は残念であると同時に、またサツキと会えたことが嬉しかった。

 一度目が合って、サツキは他にわからないように笑って、小さく手を振ってくれた。

 僕はそれだけでとても幸せな気持ちになってしまった。


 昼、食事しながら僕は悪友達と話をしていた。


「今日の計画なんだけどな」


 和が言った。


「何の計画?」


 僕が言うと、


「ほら、サツキに悪戯をしてみようって話さ」


 そういやらしく笑って言った。


「父様に話してみたら、もしかしたら裸踊りでもしてくれるかもって言ってた」


(裸踊り!)


 僕はそれを聞いたとたん、どうしようもなく頭に血が上ってしまった。


「そんなこと、させちゃ駄目だ!」


 僕が言うと、皆はぽかんと口を開けた。

 遠くで、サツキが一瞬こちらを驚いたように振り返って、でもすぐに向こうを向いてしまった。


 僕はまた慌てて声を落として、そして言った。


「そんなこと、させちゃ駄目だよ。そんなことしたら、サツキさんだって嫌がるよ」

「そんなことないって、テキ屋の娘はみんな裸が恥ずかしくないんだってさ」

「誠一、おまえ女の体がどうなってるのか興味ないのかよ」

「そんなこと言ってるんじゃない。人が嫌がることをしたら駄目だって先生が言っていたのを忘れたの?」


 僕が言うと、和が睨んできた。


「おい、いいかげんにしろよ誠一」


 そして、僕の胸座をつかんで前後に揺さぶった。


「お前、なにいい子ぶってるんだよ。お前も参加しろよ、絶対だからな」

「僕は絶対嫌だ」


 僕が答えると、和はぱっと手を離し、そして言った。


「もしかして、おまえあのテキ屋の娘が好きなんじゃないのか?」

「そんなこと、ない」


 答えるが、和が怖くてまともな声にならなかった。


「よし、じゃあ今日あの女を裸にするときに、お前も裸にしてやるからな。もしお前がオッタテやがったら、お前だって俺と同じってことだ」


 恐ろしい言葉を聞いて、僕はさっと血の気が引くのがわかる。

 すると和は笑って言った。


「嘘だって。なに、乱暴なことをするわけじゃないんだから、お前も一緒に来いよ、な?」


 僕はそれを聞いて、もうどうしても我慢できなかった。

 そしてよせばいのに、僕よりも体が数段大きい和に向かって殴りかかった。


 ――ばちん。


 と音がして、僕の拳が和の頬に当たった。

 しばらく驚いて、そして和は怒り狂った。


「なにしやがる、誠一!」


 ――ぼこん。


 僕は思い切りぶん殴られて、尻餅を着く。


「何をしてるのかね!」


 先生が駆け寄ってきた。

 僕は殴られたせいで怖くて何も言えなかったが、和が平然と答えた。


「口喧嘩していたら、誠一がいきなり殴りかかってきたんです。でもおあいこで仲直りします」


 そういって、僕に手を差し出す。


「ほら、誠一」


 僕はむっとしてそれを振り払う。


「誠一君! 和君がこうして紳士的に手を差し伸べていると言うのに、君は何をしてるんだね!」


 先生が怒った。

 僕はもう何もかもがどうでもよくなって、ゆっくりと立ち上がった後、走って教室を飛び出した。


 生まれて初めての無断早退だった。

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