第3話
次の日、学校へ行くと、和が皆に昨日の夜店のことを自慢していた。
「大人と一緒じゃないのに夜店に行くなんて。和たちは勇気があるよ」
皆が口々にそんなことを言うものだから、和は得意になって、自慢話はどんどん止まらなくなってゆく。
終いには裸踊りの話になって、皆は顔を赤くしながらそれを聞いた。
「すげぇ、俺も行けばよかった」
「僕も。女の裸ってまだ見たことがないんだ」
「俺は父様の机から愉快本(色本のこと)を見たことがあるけど、本物は無いんだ」
そのうちに皆股間を膨らませて、女の裸の話で盛り上がってゆく。
僕は昨日のことがあってなんとなく疎外感を感じ、ただそれを聞くだけでどうしても話に入ってゆくことができなかった。
カランカランと鐘の鳴る音がした。
先生が入ってくる。
「静粛に」
先生が仰ると、皆静かになる。
日直が立ち上がる。
しかしどうやらまだ股間が膨らんでいるらしく、不自然に前にかがんだ格好だったものだから、それに気付いた男達は皆くすくすと笑った。
「起立」
日直がむっとしながらそう言うと、何人かが噴出した。
全員が一斉に立ち上がる音に混じって
「何処を起立させるんだ」
などと、下品な掛け声が聞こえてきた。
「着席」
皆が座ると、先生がもう一度仰った。
「静粛に」
皆は椅子を引いて、さっと静かになる。
先生は一つ咳払いをして言った。
「二日間だけ、当学校で共に学問を学ぶ、新しい友人を紹介します」
すぐに、静かだった教室がざわざわとなる。
「さ、君、入ってきなさい」
先生が言うと、扉の向こうでずっと待っていたのだろう、女の子が一人、教壇の横まで歩いてきた。
その女の子は昨日のポン菓子屋の子で、僕はああなるほど、あの子が話に出ていた女の子なのかと思った。
「自己紹介はできるかね」
先生が仰ると、女の子は堂々とした声で言った。
「サツキと申します。短い間になりますが、どうぞよろしくお願いいたします」
その態度はまったく物怖じした様子も無く、教室にいる二十数名と対峙しているのに、むしろ僕達のほうが圧倒されてしまうように思えた。
「サツキ君は、ご両親の仕事が行商のために、一所(ひとところ)に留まっていることができない。だからこうして行く先々で学校に行っているとのことだ。なんにせよ、学校に行っているものがまだ少ない世の中だと言うのに、こうして無理をしてまで勉学に励むと言うのは素晴らしいことです。皆も見習うように」
先生は畏まった口調でそう言うと、サツキを教壇のすぐ前の机に座らせた。
教科書も無いのに、どうやって勉強なんてするのだろう、と思ったが、サツキ授業が始まると他の誰よりも真剣に授業を聞いていて、これならばきっとどんなことでも頭に入るだろうと感心した。
授業中、例の三人を中心に、男達の何人かがサツキを指差してはニヤニヤと嫌らしい笑い方で何かをこそこそと話していて、僕はなんとなく嫌な気持ちになった。
ものめずらしさが手伝って、その日の授業は一日いつもとは違う雰囲気のうちにあっという間に過ぎ去った。
四時限が終わると、皆家に帰ることになる。
今日は給食の日ではないので、すぐに解散となるはずだったのだが、ふと見ると和と数人の男達が僕のところへやってきて話し掛けた。
「よう、誠一」
「どうしたの?」
僕が声をかけると、一人が僕の横まで来て、小声で言った。
「誠一。お前、昨日は逃げたんだから、明日は逃げるなよ」
「明日? 何の話?」
「ほら、昨日言ってたじゃないか。行商の娘は、悪戯されても文句を言わないって」
「えっ」
僕は思わずそんな声を出した。
「大きな声を出すなよ。だから、それが本当かどうか、確かめてみたいんだよ」
「着物の裾をまくって、尻を覗いてやろうと思うんだ。なぁに、叱られやしないさ」
そう言ってそいつはにやりと笑った。
「そんなことしちゃ駄目だよ」
僕が少し大きい声で言うと、数人が慌てたようにこちらに来て、小声で怒ったように言った。
「うん? また怖いから逃げる? 大丈夫さ、どうせこいつは明日までしかここに来ないんだから」
「すぐに違う土地に行くんだから、なんも問題になんかならないさ」
「ちょっと見せてもらうだけさ」
「そういうことじゃないよ、サツキさんだって嫌がる」
「もし嫌がったらやめるさ」
和が言う。
「だから、まず誰もいない所に行って、あいつに聞いてみよう。ほら、裏の山なら誰もいない」
僕は顔がさっと青くなるのを感じた。
「勝手にすれば。僕は行かない」
そう言って、僕は何食わぬ顔をして教室を出ようとした。
「なんだ誠一、また逃げるのか。それでも男かよ」
「僕はそんなことしたくない」
「ふぅん、じゃあ、せめて邪魔はするなよ。明日は授業が終わったらとっとと帰れ」
和がそう言ってるのが聞こえたが、僕は無視して教室を出た。
僕はうちに帰り、父様が帰ってきたら今日のことを話してみようかと思った。
でも、ふと思い出す。
――ほほう、テキ屋の娘か。そりゃおまえ、夜店なんかよりもずっと危ないぞ
――いいか誠一、その娘には近づくんじゃないぞ
父様はそう言っていた。
つまり、きっと彼らが言うように、テキ屋の女は悪戯されても文句を言わないのかもしれない。
でも、僕はなぜだか、あの子が皆に悪戯されることを考えるとどうにも腹が立って仕方が無かった。
しばらくして父様がお帰りになる。
「父様、お帰りなさい」
僕が言うと、父様は嬉しそうに言った。
「おう、誠一。すぐにでも用意しなさい。俺はもう今すぐにでも源の字をこてんぱんにしてやりたいのだ」
「はい、父様!」
僕はすぐに嬉しくなって、返事をする。
母様がやってきて、膝をついて出迎える。
「お帰りなさい。準備は出来ておりますよ」
「うむ、ご苦労」
父様はそう言って家へ上がり、母様が用意したいつもよりも少しだけ上等の紺の浴衣に袖を通した。
紺をまとった父様は、とても颯爽としていて格好が良かった。
「それでは、行ってらっしゃい。御武運をお祈りしておりますわ」
母様が普段やらないのに、火打石を鳴らして父様を送り出した。
夜店までの道のりの間、僕はずっとあの女の子のことを考えた。
本当はあの子が悪戯されないようにするにはどうしたらよいかを考えたいのに、どういうわけか僕はあの子の裸ばかり思い浮かべてしまって、自分でもどうしようもなかった。
僕は悲しくなって、きっと僕はとても酷い人間なのだと思った。
「どうした誠一、顔が暗いな」
父様がそう言って、僕の顔を覗き込んだ。
「いえ、なんでもないんです」
僕が応えると、しばらくして父様が仰った。
「ん? 女のことで悩んでおるな? いいから父に話してごらん」
「え、僕、女のことなんか、考えておりません」
僕が真っ赤になって否定すると、父様は声を上げて肩で笑った。
「そんな言い訳は利かない。男同士だからな。わかるんだよ」
なぜそんなことまでわかるのだろう、父様は僕の心の中まで見通せるのかと不思議に思ったが、自分の股間がどうなっているのか気付いて、僕は慌てた。
しばらく必死で違うことを考えて、気持ちと身体を落ち着かせてから、僕は言った。
「あの、父様」
「なんだ」
「僕、ずっと気になっていることがあるんです」
「話してみればいい」
父様が明るい声で仰るので、僕はエイヤと覚悟を決めて、昨日のことと今日のことを話した。
「――――というわけなんです」
話し終えても、父様は何も言わなかった。
「……父様、僕はどうしたらいいのでしょうか」
「どうするも何も、お前はどうしたいんだ?」
「わからないんです。でもそんなこと見過ごしたままだと、きっと後から苦しくなるに決まっています」
「うん、そうだね、人が嫌がることはしてはいけない」
「でも、どうしていいのかわからないんです」
僕が言うと、父様は笑った。
「しかし誠一。お前もその子の体に興味があるのではないのか? さっきお前、その子の裸か何かを想像していたろう」
「えっ……」
僕は恥ずかしくてうつむく。
「いや、恥ずかしがることは無い。男同士なんだ。腹を割れ」
「でも僕、本当は考えたくないんです。なのに勝手にそんなことばかり考えてしまうんです」
僕はまた悲しくなって、自分が嫌で涙が溜まってきた。
「うん、男と言うのはそういうものだ。特にお前くらいの年になると、そう言うこともある。女を見ても平気になるのは、そうさな、もうずっと大人になってからだ」
「でも、紅白の裏では大人たちが裸踊りを見ているんでしょう。何故でしょうか」
「いや、違うな。俺達大人はもう女のことは平気だから、見ても大丈夫なのだ。おまえ達子供は一度考え始めたらそれっきりだろう。さっきのお前のようにな。それじゃ身体にも心にも悪い。だからおまえ達にはまだ早いな。もう五年ほど待て」
「ううん、父様、僕そんなことしたくない。考えたくも無いのに、考えちゃいけないことを考えてしまって苦しいんです」
僕が言うと、父様は笑った。
「そら、もう夜店に着くぞ。どうしたいかはお前が考えなさい。そして、自分が一番後悔しないように、よく考えて勇気を持ちなさい。さあ、俺は源の字をやっつけに行く」
そういって、僕の背中を叩いて、先に行けと促した。
僕は仕方なく走り出した。
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