第58話 100メートル走
開会式もつつがなく終了し、体育祭の第一種目である100メートル走が始まろうとしている。
スタート地点には同級生の男子が四人、横並びで各々体を動かしている。
数十秒後、準備が整ったのか位置についた先生がピストルのようなものを頭上に構え、生徒たちはクラウチングスタートの体勢を取る。そして合図が鳴ると同時に勢い良く飛び出していった。
ついに始まった。本来なら自分の番が来るまでぼーっと眺めてるだけだったけど、麻倉との勝負が決まった今となってはそうもしてられない。
俺はちらりと横を見る。俺と同じ五組目で走る同級生たちだ。
事前に体育の授業で計ったタイムを基に決めれられているため実力差に大差はない。練習でも何度か走ったがその時の順位は二位か三位。全力で走れば二位は固いだろう。
他力本願を前提に夏休みを謳歌しようとしているやつに負けるわけにはいかない。
とか考えている内に麻倉の走る出番が来た。
今しがた目の前で友人たちと仲良く談笑していた時とは違い、レーンに並ぶ麻倉の姿は真剣そのものだ。
髪も走りやすくするためか一つに束ねポニーテールにしている。
「位置について、よーい──」
先生の合図に合わせて腰を上げる女子たち。
どん、と言う掛け声と共に発砲音が鳴り響く。
他とは覚悟が違うのか完璧なスタートダッシュを決める麻倉。一位をキープした順調な出だしだったが、一人また一人と抜かされ、そのままゴール。地力の差が出る形となり結果は三位となった。
個人的にはほぼ負けがなくなり嬉しいけど、麻倉からしたら悔しい思いでいっぱいだろう。
色々と思うところはあるが、感慨に浸っている暇はない。なぜなら次は俺の出番なのだから。
練習通り4コースに入りクラウチングスタートの体勢を取りながら集中力を高める。
その五秒後、合図が鳴った。
気合を入れていつもより全力で走ったおかげか、予想通り二位でフィニッシュした。
体育祭委員へ順位を伝えてから、俺は自分の組である赤組の席へと戻る。
「お疲れ丸口くん」
そう言って俺を出迎えたのは、ぶすっと頬を膨らませている麻倉だ。
「お疲れ様。そこ俺の席なんだけど」
「隣に座れば」
勝負に負けたことがよほど悔しいらしい。仕方なく俺は隣の椅子に腰を下ろす。
「……スタートは一番だったし、今回は運が悪かっただけだと思うぞ」
「運じゃなくて実力だよ。……ああ、宿題やりたくないなぁ」
やれよ。
「毎日コツコツやれば終わるんだから頑張ろうよ」
「は? それができないから困ってるんですけど」
親の仇でも見るように目を細める麻倉。
「いやできないって、去年はどうしたんだよ」
「昂輝に見せてもらってたに決まってるじゃん」
言いながら麻倉は自嘲気味に乾いた笑みを浮かべる。
そうか一条か。麻倉次第だけど、まあ今年は無理か。
「……全部は無理だけど半分くらいなら写してもいいぞ」
「えっ? いいの? ほんとに⁇」
「半分だけな」
「見直したよ丸口くん。ありがとね、これで夏休み思う存分遊べるよ」
「あっうん。釘指すようで悪いけど半分だけだからな」
「……ありがと」
コイツ絶対に全部写す気だろ。
さっきまでの膨れ顔が嘘のように笑顔溢れる麻倉を見て、内心で溜息をついていると息を切らせた茅野が戻ってきた。
「はぁ、丸口さん、見ててくれましたか?」
呼吸を整えながらキラキラと輝かせた目で見つめてくる茅野。
「見てないけど、その反応だと一位だったのか?」
「そうなんです! 見事一位を取りました!」
「つくちゃん凄いじゃん! おめでとー」
椅子から立ち上がり茅野と両手を合わせてピョンピョンと飛び跳ね始める麻倉。
今のうちにと俺は自分の席へと移動する。
「ちょっと丸口くん。つくちゃん一位取ったって」
「えっ、ああうん。おめでとう」
「ありがとうございます! えへへ」
麻倉に促され伝えた賛美だったが、茅野は嫌な顔どころか頬を赤く染めていた。
それがなんだか気まずくて俺は顔をそらした。
「あっ次走るの未仲ちゃんじゃない?」
麻倉の指さす方を見れば、気怠げに構えをとる吉野の姿が目に入る。
やる気なさそうだな。体育祭だしちゃんと走るとは思うけど不安だ。
俺の心配をよそにスタートを知らせる発砲が鳴る。
それから25秒。ダントツのビリで吉野はゴールを果たした。
走ってはいたがあまりにも遅すぎるぞ吉野。
「ナイスファイトだったよ!」
「スポーツドリンクです! 飲んでください!」
「……ん、疲れた」
だらんと両手を下げて戻ってきた吉野を温かい労いの言葉と共に出迎える二人。
茅野からドリンクを受け取った吉野はふらふらとした足取りで俺の隣へ腰を落とす。
「……死ぬ」
「俺が言えた義理じゃないけど、もうちょっと運動した方がいいぞ」
「死ね」
人からの心配にひどい言い草だ。
「次って何の種目だっけ?」
俺の前の席に跨るようにしてこちらを見る麻倉。
「次は……ハードル走です」
俺の右隣に座った茅野がプログラム表を見ながら答える。
「玉入れってその次だっけ?」
「玉入れは次の次です」
「じゃあ当分暇だね……あっそういえば──」
俺を挟みぎゃいぎゃいと会話は進んでいく。どっか行ってくれないかな。
体育祭は始まったばかりだ。
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