第16話 何かと苦労するエリアーナ



 透過魔術。

 低体温化魔術。

 空間隠蔽魔術。

 ………

 ……

 …

 その他、無数の魔術を重ね合わせて自分にかける。

 そうしてラウラは、久方ぶりに洞穴の封印用の鉄扉をくぐった。


「──よし、往くか」


 眼前に広がったのは地獄の窯の淵と呼ばれる深淵世界。

 上にも下にも果てしなく続く、鋭く切り立った渓谷。

 見下ろせば、遥か彼方にマグマの噴出光が見える。

 空気は鈍く淀み、酸素が薄い。

 そんな極限環境の中、ラウラは洞穴から続く肩ほどの幅もない細い路を歩いた。


 歩いて歩いて歩く。

 そうして十分が過ぎ、ニ十分が過ぎた頃、ラウラは遅れて気が付く。


「……ん? これ、転移すればよいではないか」


 魔王軍の拠点である以上、必ず外部からの魔術的干渉は全て遮断できるよう特殊な結界を張っている。そのため、普通のやり方であれば・・・・・・・・・・、内部へ直接転移するなど絶対にできない。


 しかし、ラウラとて腐っても先代魔王。

 その結界の抜け穴を、ラウラは知っていた。


「う~む、飛ぶか」


 二度目の宣言。

 しまらない呟き。

 その直後、ラウラの視界は深淵にほど近い死の渓谷から一変し──


 次の瞬間、ラウラの身体はバスルームに立っていた。


「ん?」

「へ?」


 もうもうと立ち込める湯煙。

 ふんふんと響いていた軽快な鼻歌。

 シャワーが滴る音が鳴り、

 もくもくと泡立っていたシャンプーの香りが鼻一杯に広がる。


 その湯煙の奥に、彫像よりも彫像らしい美しさをもつ、女性的な肉感の強いシルエットがひとつ。

 そのシルエットはその豊満にすぎる胸を揺らしながら振り返った。


「…………何か、聞こえたような?」


 ラウラはどっと冷汗をかいた。

 あれだけ念入りに重ね掛けをした隠蔽魔法の数々……。

 それなのに、よりによって〝音声遮断〟の術式を忘れていたのだ。


 エリアーナは首を傾げながら、ボソボソと呪文を唱える。

 それすなわち、解呪の術式。


 直後。

 ガラァアアアアンッ──という無数のガラスを同時に割ったかのような盛大な音を立てて隠蔽魔術が解除され、ラウラの姿が露になった。


「────」

「────」


 ラウラは気まずそうに目を逸らし、頬を人差し指で掻く


「あ──……。一週間ぶりであるな、エリア」

「──きゃぁああああああああああああ!!!!!」


 そこは、四天王エリアーナの私室のバスルームだった。


 ★ ★ ★


「いっ、いいいいいいっ、いったい、どういうおつもりですのラウラ卿!?!! お、乙女の湯浴み中を襲うなど、男子の風上にも置けませんわ!!」


 魔王軍本部内にあるエリアーナの執務室兼私室──というには一流ホテルのスイートでさえ見劣りしてしまうほど広く豪奢な部屋。

 そこの柔らかな絨毯の上に、ラウラは正座させられていた。


 その正面。

 エリアーナは一人掛けのソファーにゆったりと座りながら、バスローブの裾から伸ばした長い足を悠然と組む。

 一目でわかる女王様っぷり。誰も足元に坐する青年が彼女の元上司だとは露程にも思わないだろう。

 しかし、そんな彼女も今はうら若き少女のように頬を真っ赤に染めていた。


「が、我慢ができなくなったのなら、そう言ってくださればよろしいのに……わ、わたくしにも準備というものがありますのよ……?」

「すまんエリア。別に我はそういうつもりではなかったのだ。ただエリアの魔力を追いかけて転移してみたら──」


 直後、ジュッ、と何かがラウラの頬を掠めた。

 ラウラの少し後ろの絨毯が金貨一枚大の大きさに黒い焼き痕を残す。


「…………」


 エリアーナの差し出した人差し指からもわもわと灰色の煙が昇っていた。

 今の一撃は、彼女の黒雷魔術によるものである。

 笑顔で小首を傾げるエリアーナ。


「よく聞こえませんでしたわ。もう一度仰っていただけます?」

「……我は、その、そういうつもりが・・・・・・・・なかったわけでも、なくはない」


 ラウラは震えながら言った。

 片言で応えるラウラの言葉に、エリアーナは少女のように両手を合わせて笑顔の花を咲かせる。


「ええ、ええ。そうですわよね、こんなわたくしの裸まで見ておいて、そんなつもりがないだなんて、ラウラ卿が仰られるはずありませんわよね?」

「そうで……あるな…………」


 着々と何か埋められてはならない外堀を埋められている気がするラウラであった。

 しかし、今はそんなことに気取られているわけにもいかない。

 ラウラにはやらねばならぬことがあるのだ。


「……すまないがエリア。我はこれくらいで失礼する」

「お待ちなさい、ラウラ卿」


 立ち上がろうとしたラウラの胸部を、エリアーナが裸足のままの右の爪先で押し留めた。

 重心を抑えられてしまい、必然的にラウラは元の正座の位置に身体を戻す。


 ウララはエリアーナの真意が読み取れず視線を上げる。

 しかし、正直今にも目を逸らしてしまいたかった。

 なぜなら、この位置からだと彼女の短すぎるバスローブの絶対領域が丸見えだからだ。


「エリア……その……何かを着てみてはどうか」

「あら、一糸纏わぬわたくしの身体を舐めまわすように見ておいて、今さら怖気づいきましたの?」

「そういう話では……」


 エリアーナは不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「そもそも、どういうつもりで先代魔王のあなたが、ここ現魔王軍本部に姿を現して? だいたい、こんなところで油を売っていてよろしいんですの? 非常に申し上げにくいですが、あのカエデという娘、今頃は血祭りになっていますことよ?」


 ラウラは微妙な笑みを浮かべた。

 その表情に何かを察したエリアーナは、ソファーから腰を浮かして前のめりになる。


「………………え、まさか」


 今さら隠すのも不誠実だと判断したラウラは、本来敵であるエリアーナに事の顛末を話した。

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