第12話 夏の大会 神奈川予選 ②
1回に咲舞が2点を先制して以降、両チームに動きはなくスコアボードには0が並んでいる。
7回の裏。これから横浜第一の攻撃だ。
3回の裏。得点圏である2塁にノーアウトでランナーを背負った3年生のエースピッチャーは粘りのピッチングで3者連続三振。
攻守が入れ替わって4回の表。フォアボールで出塁した先頭打者が積極的に盗塁を仕掛けノーアウト2塁にするも、2人続けてバントミス。
続く打者もあっさり打ちとられ、両チームともチャンスをものにできない歯がゆい展開が続いている。
「なんか嫌な感じだね」 みゆが神妙な面持ちをしている。
「焦ってるのはお互い様だけど、こっちの方が追い詰められてる感じするね。勝ってるのに」
春野は1塁の守備位置へ向かう咲舞の先輩から見て取った。
顔つきが固い。
このまま逃げ切れるのだろうかという考えが顔に出てしまっている。
おそらくチーム全体がそういった不安に駆られているのかもしれない。
初回にホームランを打って以降、ウェッショーは当たっていないし、ピッチャーにも疲れが見え始めているから無理もないのだが。
それでも選手たちの不安は伝播し、観客席にまで暗雲が立ち込めている。
春野は下唇を噛んだ。
自分の憧れる舞台に立って試合をしているのにも関わらず、誰ひとり楽しそうに野球をしていない。
フィールドに立つほとんどの選手が、自分たちは勝てるのだろうかという淀んだ考えに支配されてるように見える。
もっとこう、相手を打ち負かしてやりたいとか、自分が1番だって証明してやるとか、そのような気概を持ってプレーしろよと頭に血が上った。
「みゆちゃん、ごめん。わがまま言っていい?」
「どうしたの?」
「帰りたい。帰ってうちの家でスプラしない?」
「夏穂ちゃんがそうしたいなら。でもまだ途中だよ。いいの?」
「暑いし、もういいや。それにどっちが勝っても不愉快だし」
2人は立ち上がり、観客席中段の出口へ向かう。
周りの父母たちに変な目で見られているが気にしなかった。
反対側のスタンドから湧き上がる歓声に振り返りもせず、春野は球場を後にした。
*
結局、昨日の試合は咲舞の負けで終わったらしい。
試合の途中で抜けだし、みゆと家でゲームをしていると、神座から電話がかかってきた。
自分らが球場を出た後、咲舞は4点を取り返され2点差となり、9回の表でウェッショーがソロホームランを打ったがわずかに届かず、4対3で決着がついたそうだ。
途中で帰ったところを神座に見られたそうで、気になってかけたと言っていた。
自分のチームが負けたというのに、神座はやけに浮ついていて、まるで負けたことを喜んでいるようだった。
春野はバーベルをラックにかけ、大量の線虫を電子顕微鏡で覗いたような模様をしている天井を眺める。
ガチャンという音がウエイトルームにこだました。
あんな弱気で野球をやる奴らが試合に出て、自分が出られないなんてたまったもんじゃない。
あの日の試合、ウェッショーと先発ピッチャー以外は全員、中身のないモブにみえた。
野球に対する自分なりの哲学を振りかざすことが野球の醍醐味だと思うのに。
「馬鹿ばっか」
春野は思わず悪口が漏れた。
「馬鹿はお前だろ。ずっとこんなとこ籠って。部活はどうした?」
ウェッショーの声だ。
室内には自分以外誰もいなかったというのに、声を掛けられるまで気づかなかった。
「自分を棚に上げて言うな。お前こそ部活は?」
ベンチから起き上がり、黒のアンダーシャツに短パン姿で近づいてくるウェッショーへ向けて春野は言った。
「今日は休みだぞ。明日から新チームで世代交代」
「あぁ、そっか。負けたら3年引退か」
「気づいてなかったのかお前。チームに合流したいんだろ?」
「そうだ。うち、もういけるじゃん」
「その前に、俺が実力確かめてから」と言いながら、ウェッショーは25と書かれたプレートをベンチプレス台にかけられたシャフトへ取り付けている。
左右合わせて4枚、合計100㎏の設定だ。
春野の隣の台で横になり、ウェッショーは話を続ける。
「怪我治ったから、もうバット振れるよな?」
「いけるよ。それで、どうすんの? お前忙しそうだけど」
うーん――とウェッショーは迷っているようなそぶりを見せ、「今日か2週間後、どっちがいい?」
「今日。時間がもったいないし」 春野は即答した。
ただでさえ出遅れているのだから1日でも早い方がいいに決まっている。
片手で顔を覆い、はぁとため息をついたウェッショーは付け加えて一言。
「じゃあ、その代わり約束しろ。今日お前が見ることになる、俺がしていることは誰にも言うな」
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