第10話 Wessho Keepson
「前傾姿勢になるな。上体はそのまま」
春野は苦痛に顔を歪ませた。
彼女は今、オーバーヘッドスクワットをはじめ、ウェッショーから下半身強化トレーニングについて教わっている。
ベランダミーティングの後にウェッショーのラインを受け取った春野は、昨夜、テキストメッセージでリハビリを兼ねたトレーニングについて質問をした。
言葉だけで説明するのは面倒だからと言われ、今日の放課後、体育館横のウエイトルームにてウェッショーから教わる流れになった。
A棟の生徒は6限目まで授業があるはずなのだが、運動部ということでウェッショーだけは5限目で切り上げてもいいことになっているとか。
そのうえ、今日の練習も休んでいる始末だ。
どうやらこの男は色々と特別待遇を受けているらしい。
普段はほぼ野球部に占領されているウエイトルームではあるが、今日は放課後すぐということもあり、誰もいなかった。
「俺は普段ダンベル持ちながらするけど、今は自重だけ。お前、腕怪我してるしな」
伝えられたメニューをこなす春野の横でベンチプレスを行っているウェッショーが説明を加えた。
今の彼女の力ではびくともしなさそうな重量を顔色ひとつ変えずに上げている。
ウェッショーは中学の時からトレーナーの指導の下、食事やウエイトのトレーニングを徹底していたそうで、彼の体は周りの運動部と比べても圧倒的だ。
それでもウェッショー本人は、他と比べてフィジカル面で劣っていると考えているらしい。
やはり、比較対象は海の向こう側にいる人々なのであろうか。
昨日交わした神座との会話を思い出す。
ウェッショーが教室から出て行ったあと、彼について神座が少し話をしてくれた。
中学2年生の時にアメリカ、イリノイ州のシカゴから引っ越してきたことや、通学区画外である
ほかにもいろいろと教えてくれたのだが、彼についての新しい情報を得るたびに、新たな謎が浮かび上がってくる不思議な男だ。
春野自身も、あまりプライベートや自身の過去について他人に触れられたくない側の人間であるため、ウェッショーに対する好奇心は押し殺すことにした。
代わりに当たり障りのない質問をしてみる。
「お前さ、なんでそんな日本語完璧なの? 中2の時に引っ越してきたって聞いたのに。うちも好きで長らく英語勉強してるけど、そこまでしゃべれないよ」
「あー」と言ってウェッショーはバーベルをかけた。
「やっぱ、勉強の仕方?」
「そうだなぁ、俺が要領いい方なのはあるけど。それよりお前、英語話せるんだな」
「少しね」 春野が答えると、ふーんといったような表情でウェッショーはうなずく。
少し間をおいて、「俺が小さい時の話になるけど」と以外にも自身の過去についてウェッショーは話し始めた。
「俺の母親が俺を出産するとき運悪く出血多量で死んじゃって、俺のことはベビーシッターに任せてたらしくてな。それで当時、隣の家に子供のいない老夫婦が住んでたんだけど、俺が歩けるぐらいになると、経済的にも大変だからって代わりに面倒見てくれることになってさ。しかも、その老夫婦が2人とも日本人の隠居生活送っている元大学教諭で、日本語を聞いて育ったから聞く、話すは日本に来る前からできたな」
「だからかぁ」と春野は合点がいった。
「日本語の読み書きとか他にもいろんな勉強教わって育ったけど、今振り返ると俺に対する親切さとか優しさは異様だった気がするな。あの老夫婦の。あとになって親父から聞いたけど、その老夫婦の研究してた分野が人種問題らしくて、そうゆうことだったのかってなったな」
「うわ、なんか嫌だな、それ。後味悪い」
「そう。まあ感謝はしてるけど。しかも日本に来たきっかけは、俺が日本語を話せたからだぞ」
ウェッショーはさらに続ける。
案外、喋ってくれるんだなと春野は思った。
全体的に、固く威圧感が強い印象だったのだが、実際はそうでもないらしい。
「どういうこと?」
「それが、もともと俺の親父はシカゴの海軍にいて、中佐に昇格するみたいな話が上がってたんだけどな。当時、横須賀米軍基地の海軍中佐が問題起こして退職処分。横須賀には若い少佐しかいなかったから、パイプのあるシカゴから派遣するみたいな流れになって。しかも親父馬鹿で、俺の息子は天才なんだ、日本語も話せてスポーツもできるって周りに自慢してたから、じゃあお前が横須賀行けってなったらしい」
ウェッショーの話を聞いて、春野は床に崩れ落ちた。
ウエイトルームに2人の笑い声が響く。
「当時、14の俺に対して泣きながら謝ってたからな。鼻水垂らして」
「何その話マジで。息子頭いいのに、親父馬鹿なんだ」
ウェッショーは深くため息をついた。
「このテンションじゃだめだ。用事あるし、帰るわ俺。ちゃんと教えた通りにやって、帰ったらプロテイン飲めよ」
ウェッショーは立ち上がって出口へ向かった。
「おっけ、分かった」
春野も言われたメニューをこなしながら、ウェッショーの背中を見送った。
未だツボに入っているのか、彼の肩が震えている。
扉に手を掛け、「Oh My God」と大声を発しながらウェッショーは姿を消した。
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