第4話 打席からの見え方

 神座高也は自分自身が動揺していることに、驚きを隠せないでいた。

 

 この焦燥感は、自分が一年のキャプテンという立場にも関わらず、噓をついて勝手な行動をとっているところを先生たちに見つかるとマズいからという考えから来ているものではない。

 

 たった今、春野の女子とは思えない鋭いスイングを目にしてしまったからだ。


 春野が体育の授業で体を動かしている姿をよく見てるが、その時から体の中にとてつもないパワーを秘めていそうだなとかんじていた。

 

 太腿の筋肉が目を見張るほどに発達しており、体全体がまるで強いばねのようである。

 

 体の中心に筋肉が集中しているのか、彼女が素振りをしている時のバランスがとてもいい。

 

 慣れない重さのバットを短く持っているとはいえ、120キロ近いヘッドスピードが出ているのではないだろうか。

 

 おそらく今の自分とそこまで変わらない速度をしている。

 

 自分たちの力を誇示しつつ軽く遊んでやるかと、そのつもりだったが、これは本腰をいれないといけないようだ。


 神座はそう考えつつキャッチャー防具を身に着けた。

 

 ナイターの環境に慣れてもらうため、佐野に何球か投げ込むようジェスチャーで要求する。

 

「春野、ちょっとまって」

 

「ああ、投球練習? いいよ別に」

 

 春野が右打者であることを、神座は横目で確認した。

 

 神座から見て、左側バッターボックスの少し離れたところから、春野が佐野の投球を眺めている。

 

「やっばぁ~。いい球なげんなあいつ」

 

「いい伸びしてるだろ。でもあいつがいいのはスライダー。でも先輩達の方がもっといい真っすぐ投げるよ」

 

「いいですねー」

 

 春野はにやけ顔を浮かべながら、うれしそうにする。

 

「はいっていいよ。いっきー、もういいよなー?」

 

 佐野が首を縦に振った。

 

 フゥー、と甲高い声を発し、体を弾ませながら春野が打席に入ってくる。

 

「てか、どうする?」

 

 春野がバッターボックスで振り返り、神座に問うた。

 

「なにが?」

 

「だから、何したらうちの勝ち? シートバッティングみたいに守備がいるわけじゃないじゃん」

 

「あー、なるほどな。じゃあ、ヒットになる打球打ったら素直に負けって認めるよ。3回中1回でも打てたらお前の勝ちでいいよで、判定なんだけどさ、そうだなー」

 

 神座は腕を組んで考え込んだ。

 

「どっちがいい春野? 実戦形式だから、ボール球でもこれは審判がとる可能性高いなって思ったらストライクにするか、それとも俺が正確にボールならボールってコールするか」

 

「実戦形式の方でいこう。そっちの方がリアルだし」

 

「いいねー、一応本気でやるから」

 

「まあ、女に打たれたら悔しいからなぁ」

 

 笑顔で煽るように言ってくる春野をシカトして、神座はいくよと佐野に声掛けした。


 再びバッターボックスへ入ってきた春野は極端にホームベースへ寄って、ボックスのやや後ろ側を立ち位置にさだめた。


 自身の胸がピッチャーに見えるよう肩を少し開くオープンスタンスと呼ばれる構えで、拳1つ分バットを短く持っている。


 バットの先端付近にある重心と支点である持ち手を近づけることで、鋭くコンパクトなスイングを可能にするのだ。


 配球を組み立てようと春野の立ち位置を確認した神座は初球、インコースを攻めることにした。


 ホームの近くに立つとインコースが窮屈になり、デットボールになる可能性が高くなる。

 

 女子相手に当ててしまうことを恐れてインコースは投げられまいと、春野は高をくくっているようだ。


 煽るような春野の態度にいら立ちを覚えた神座は、問答無用でインコースにミットを構え、佐野にサインを出した。


 フロントドアのスライダー。

 

 右打者の春野から見ると、この球は彼女の方へ向かい、ぶつかってくるように見える。

 

 しかし、途中で進行方向を変えストライクゾーンに入ってくる軌道のため、うまく決まれば打者は見逃す。

 

 このボールを見た打者はぎょっとしてしまうのだ。

 

 佐野が始動し始める。

 

「ストライク」

 

 パンッという音と共にボールが神座のミットに収まった。

 

 神座の予想通り、春野は振るそぶりを見せなかったが、予想に反したのは春野の振る舞いである。


 コントロールの難しい球を佐野はストライクゾーンギリギリに投げ切った。


 だが、春野はその球をピクリともせずに仁王立ちで見送ったのだ。

 

 「おぉー。んー?」と春野は何とも取れない様子で目を閉じ、首をかしげている。


 「お前、よく避けなかったな」佐野に返球しつつ神座が聞いた。


 「あー、まあね」と曖昧な返事だ。


 そんな春野に少し違和感を覚えたが、気にせず神座は二球目のサインを出した。


 アウトローの真っすぐ。

 

 調子がいいのか、佐野の放った球はゾーンぎりぎりに構えたミットへピンポイントで向かってくる。

 

 これも見逃しに終わるよう見えたが、春野は左足をクロスステップさせ前傾姿勢でうまく拾い、ふらふらっと上がった打球はライト前に落ちるヒットとなった。

 

「はぁ?」

 

 神座は思わず声が出た。

 

 佐野も口を開け唖然としている。

 

 春野は、130キロ台後半は出てる佐野のストレートを、利き手ではない伸びた左手ほぼ一本で飛ばして見せた。


 投球においてアウトローが一番安全なコースといわれているが、初球に鋭いインコースを見せたのにもかかわらず、しっかりコントロールされたその安全なコースを当たり前のようにヒットにされた。

 

「あれ? やっぱ野球だとちゃんとみえるんだよなぁ……。てか、いまのヒットよね?」

 

「あ、うん」


これぐらいはできて当然だというような態度で打った本人は飄々としていが、神座は理解ができなかった。


今の球を打つのは相当難しいはずなのに。


「うちの勝ちだけど、3回までやらせて」


「わかった」と神座は答えつつ気持ちを切り替える。

 

 後ろで構える春野には、前でとらえなければならないような変化球中心の配球にしようなどと、神座は試行錯誤した。

 

 だが結局、神座と佐野はスランプ中だと言っていた春野から、1つもアウトを取れずに終わった。

 

 二打席目は、初球の地面すれすれのカーブを、ゴルフスイングで悪球打ちされ、レフト前ヒット。

 

 三打席目は、二球目の外のスライダーを完璧にとらえられ、センター前ヒットになった。

 

「まー、あれよ。久しぶりで気持ちが乗って、覚醒してた。うち天才って言われてたし」

 

 春野も自分がここまで打てると思っていなかったのか、少しバツが悪そうだ。

 

 春野に気を使われて一層、自分らがみじめに思えてくる。

 

 神座は、そんな自分の内面を悟られないよう、努めて明るく振舞った。

 

「いや、びっくりしたわ正直。お前凄いな。なんでソフトになったら打てなくなるんだろうな?」

 

「今やってみて、なんか野球だとゆっくりに見えるんだよなぁ」

 

 そう言いながら春野が首をかしげていると、佐野が珍しく大声を出した。

 

「なあ、もう終わり?」

 

 それを聞いて、春野と神座が顔を合わせる。

 

 佐野が続けたがっていると感じ取った神座は春野にお願いした。

 

「ごめん、あと1回だけいい?」

 

「いいよ。ラストにしよ」

 

「いっきー、次ラスト」

 

 神座がマウンドにいる佐野へ聞こえるように言い、球を再び投げ返す。

 

 春野が構えたところで、一打席目の初球と同じ球を要求するが、佐野が珍しくそのサインを見て首を横に振った。

 

 それを見て次のサインを出すが、それでも佐野は納得していないようだ。


 普段はめったに首を振らない佐野が珍しい。

 

 神座はもしやと思い、グローブをしていない右手でフォークの握りを真似すると、佐野が肯定した。


 フォークは佐野が最近練習し始めたボールで、多少縦に変化するがコントロールが備わっておらず、実戦で使うにはほど遠い。

 

 そのためサインはまだ決めていなかった。

 

 危険球になりかねないと神座は首を横に振ったが、それを見て佐野も同じように横に振る。

 

 こうなったら佐野は言うことをきかない。


 春野に打ち込まれたことが納得いっていない様子だ。

 

 神座はため息をし、ためらいつつも仕方なく首を縦に振る。

 

 ボールが乱れても体で受け止められるよう、少し腰を浮かせ神座が構えると、佐野が足を上げた。

 

 右手から放たれたボールは明らかにすっぽ抜けており、運の悪いことに春野の方へ向かう。

 

「あぶないっ」

 

 神座がとっさに注意喚起をするも、春野はパニックを起こしてしまったのか、バットを離しながらその場でボールに背を向けてしまった。

 

 ボールは胸元の高さに到達すると、高度を落とし始め春野の右腕、上腕二頭筋あたりに直撃した。

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