第2話 春野夏帆 ②

 春野は部活が終わると、みゆの待つ図書館へ向かった。


 どの部活にも所属していないみゆは、春野が部活を終えるまで勉強をしながら時間をつぶす。


 そのため、お泊りの日は決まって図書館が待ち合わせ場所になるのだ。


 横開きのドアを開けると、彼女の到着にいち早く気づけるようにか、みゆは入り口に一番近い席で勉強していた。


 ガラガラという音がしたとたん、今まで手元の本に落とされていたみゆの目線が瞬時に春野の方へ向き、彼女と目が合う。


 手を上げ合図をすると、みゆはそそくさと片づけを始めた。


 自分の到着がうれしいのか、みゆは口元を結んでいる。


 この表情は、口元が緩んで感情が表に出ないようにと、照れ隠しでよく見せるみゆのしぐさだ。


 ――可愛いなぁ。ばれてるのに。


 何をそこまで慌てる必要があるのか、途中でペンを落としたり、躓いたりするみゆを春野は笑顔で迎えた。


「王子が迎えに来ましたよー」


「自分が王子様みたいな見た目なの自覚してるんだ」


 みゆは自分のことをからかうつもりらしい。


 いつもからかわれていることを根に持っているのか、最近このような発言が目立ってきている。


 そうはさせまいと、廊下へ出てみゆの隣を歩きながら、春野は考えを巡らせカウンターを試みた。


「えー、違うよ。みゆちゃんの王子様みたいなニュアンスで言ったのに。逆に、自分がお姫様みたいな雰囲気なの自覚してないんだぁ?」


 春野がそう言ってからかうと、みゆの顔が赤くなった。


「なになに、照れてるの? 可愛いなぁー」


 自分の視線から逃れようとするみゆの顔を覗き込んで、さらに追い打ちをかける。


「どうしたんですか? 顔が赤くなっておりますよ、お姫様」


 この状況を頭のいいみゆはどう切り抜けるのだろうかとその返答を期待していたが、意外にも自身の全体重を乗せた渾身のタックルで反撃してきた。


「えー、勝ち目ないのにパワーで解決しようとするの?」


 みゆのタックルを春野は笑いながら受け止める。


「夏穂ちゃんって、こういう駆け引きの時だけ頭回るよね」


「普段は頭悪いって言いたいの? ひどー」


 おそらく、先生に授業中当てられても答えることのできない自分に対する嫌味のつもりなのだろうが、話す内容に反して明るい表情を見せる彼女を見ると、嫌な気持ちにはならなかった。


 みゆが泊まりに来る日は、彼女の不安を和らげるために春野は自然と明るく振舞うようにしている。


 彼女の母親が夜勤のパートで家を空けると、自分と同じ一人っ子のみゆは家で父親と二人きりになってしまうのだ。


 もし自分がいなかったらと悪い方向に考えが及ぶと彼女の精神衛生上よくない。 


 簡単には解決できない問題であると理解している春野にとって、今現在できることといえばこれぐらいしかないのだ。


「やっぱ、図書館ってA棟の人ばっかだね。みんな頭よさそう」


 春野は不意に頭に浮かんだことを口にした。


 図書館の扉を開いた瞬間に感じた室内の雰囲気が、普段自分たちのいるB棟とは全然違うように感じたからであろうか。


 A棟は全体的に落ち着いた雰囲気の生徒が多い。


 春野の通う神奈川県立咲舞高校は、県立の学校とは思えないほど変わっている。


 図書館と保健室が21時まで空いていたり、ナイターに対応した野球部専用のグラウンドがあったり、学校のすぐ横に野球部やバスケ部のための小さな寮を保有していたりと例を挙げればきりがないが、特に変わっているのはその校訓だ。


 勉学に力を入れる北のA棟クラスと、スポーツに力を入れる南のB棟クラスではっきり区別してるのも、『文武専業』というある意味開き直ったような校訓に乗っ取ってのことらしい。


 B棟では5限を終えると3時で放課となるが、A棟ではしっかり6限まであり、授業で扱う内容も高度であるという。


 勉強の邪魔をされては困ると考えてか、B棟の生徒がA棟に足を踏み入れてはならず、登下校も北門と南門で分けられているため、AとBの交流はほとんどない。


 そのため、大勢の生徒が机に向かって勉学に励んでいる室内の独特な雰囲気に居心地の悪さを感じた。


「自分以外そうだよ。実はA棟の2人と仲良くなって一緒に勉強してるんだ。夏穂ちゃん来る前に帰っちゃったけど」


「女の子?」


「うん。この前のお泊りの日に、夏穂ちゃんが迎えに来たのを見てたらしくて、あの人の友達なのって聞かれてさ。でね、すごい質問攻めされた。どんな人なのかって。その人たち夏穂ちゃんのことを春野様って呼んでたよ」


「なにそれ、ウケる。なんでうちのこと知ってるんだろう」


「なんか、テストの順位表にA棟の女の子が乗ってるって話題になってたらしいよ。そのあと調べたらかっこいい人だーみたいな感じで盛り上がったんだって」


 ――校内模試のことか……。


 こと勉学、特に数学に関して四則演算すら怪しい春野だが、英語だけはできる。


 好きこそものの何とかとはよく言ったものだ。


 春野はいつも、授業が始まって10分もしないうちに寝てしまうため、定期テストの時期になると赤点回避のためにみゆの助けが必要だ。


 しかし、自身が好む英語は普段から観たり聞いたりなどを繰り返しているため、簡単な英語は理解して話せるまでになっている。


 英語の授業時も一人で黙々と配布された参考書を読んで過ごしていた。


 そのためか、校内模試の英語で2位の成績をたたき出した春野は、掲示板に乗ったB棟唯一の生徒であるそうだ。


 本当は1位を取りどや顔でみゆをからかうつもりであったが、訳の分からない留学生らしい外国人の生徒にその座を奪われてしまった。


「へー、その子可愛い?」


 みゆの嫉妬を誘うため、あえて興味ありげに聞いてみる。


「全然可愛くないよ。全然」


 すねたように言うみゆを見て、春野は腹を抱えて笑った。


 みゆは本当にいいリアクションをしてくれる。

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