運命の人

天野 心月

一人目



「あ、みかんちゃん」


「……っ。こんにちは」


 わたしたちは桜の木の下ではじめて出逢った。

 これで合ってるよね? と彼が見せてくれたのはわたしのインスタグラムのアカウントだった。


 SNS上で知り合って、メッセージのやり取りで仲良くなったから直接あうことにした。


「あ、もうしってると思うけどいつきです」


「ゆずです」


 わたしの名前を聞いた瞬間、彼は納得したような顔をする。


「なるほど。ゆずだからみかんなんだね」


「あ、そうそう!」


 ゆずは柑橘類かんきつるいで、柑橘類の代表であるみかんを名前にした。

 樹は名前をそのままアカウント名にしていたから元々しっていた。



「ゆずって想像通りの子! 明るくて元気!」


「ほんとに? うれしい!」


 直接話したのははじめてなのに、すごい居心地がよかった。

 話せば話すほど会話が盛り上がった。

 この日を境にわたしたちは毎週あうことにした。




「え、今日は水族館連れてってくれるの?」


 チケットを渡されたとき、うろたえたのが表に出ていたみたいだ。

 彼は少し焦りを感じていた。


「あれ、もしかして嫌い?」


「ううん。そんなんじゃないよ」


 きっぱり否定してから彼の隣を並んで歩く。



 樹はどうやら魚の名前に詳しいらしく、この魚はどんな種類だとかどういうところに棲んでいるとか色々細かく教えてくれた。


 好きなものを目にした彼の顔はいつもより眩しく見えて、つい思ったことを口にしちゃった。


「こういうところは恋人ときたほうがいいんじゃない?」


 わたしにとって素朴な疑問だった。

 でも、彼は見たこともないくらいかなしい顔をする。


「……俺はもうだれのことも好きにならないよ。

 もう恋なんてしないってあのとき決めたから」


「……そっか」


 あのときとはいつだろう。

 前にインスタグラムのライブ機能を使ってフォロワーさんに話していた好きな人を亡くしたことと関係あるのだろう、きっと。


『俺は、伝えたいことを伝えられなかった。

 だからみなさんは伝えたい人に自分の想いを絶対伝えてください。

 手遅れになる前に』


 彼の言葉が頭をよぎった。




「ねぇみて! 髪切ったんだ!」


 ずっと伸ばしてた髪を半分くらいまで切った。

 いわゆる、ミディアムというやつだ。


「どう?」


 似合うって嘘でもいいから言ってほしかった。

 そのためにいちばんに見せにきたっていうのに。


「え、どうしたの?」


 いまにも泣き出しそうな顔をしていた。

 なんでもない、と頭をふるだけだった。


 察した。好きだった人の髪の長さがこんくらいだったのかもしれない。

 重ねてみえたのかもしれない。


「えっと……わたしバカだからさ、いま見たこととかは寝ればすぐ忘れる。

 だから泣いていいよ。強がらなくていいよ」


 両手を広げると、ゆっくり距離が近づき肩にトンと頭が乗っかった。

 さするように背中を撫でた。


「ごめん」


「んーん」


 彼はわたしの腕の中でしばらく泣き続けた。

 似合ってるよ、と小さく呟いたのが聞こえたのはわたしの気のせいなのかもしれない。




「あのさ、俺、ずっと言えなかったんだけど……忘れられない人がいる。

 もう一年も経つのに忘れられない」


「うん」


 カフェでコーヒーを混ぜながらぽつりと話し出す。

 インスタライブにはこっそり潜っていたから、何となくはわかるが、はじめて彼のほうから自分のことを話してくれてわたしはうれしかった。


「ゆずには迷惑ばかりかけてる気がする。

 でも、ごめんけどゆずをみてると余計に想い出す」


 わたしとその子になにか共通点でもあるのかな。

 

 迷惑と感じたこともないし、好きな人を亡くして立ち直れるほうが珍しい。

 それにまだ一年しか経過していない。

 だから、べつに樹の感情はおかしくない。


「無理に忘れる必要なんかないよ」


「え、」


「むしろ忘れないであげてほしい。

 それにね、すごいことだと思う。

 そんだけひとりの人のことを大切に想えるの」


 にっこりと笑うと彼はその言葉に目を開いていた。

 そして、いきなり下を向く。


「なんできみはいつも……」


 うまく聞き取れなくて、もう一度訊くと「なんでもないよ」とつくり笑いをした。

 



 今日はなぜか小さな花束を手に、樹は待ち合わせ場所にやってきた。


「そのお花どうしたの?」


 わたしの問いかけにはスルーで黄色で鮮やかなひまわりの花束が目の前に差し出された。

 頭の中がはてなで埋め尽くされる。


「彼女になってほしい」


「へ?」


 いきなりの告白に素っ頓狂な声が出た。


「俺、気づいたらきみにたくさん救われてる」


「え、でも……わたしでいいの?」


 うれしいという想いよりも困惑が大きかった。

 もう恋愛をしないって言っていたのに。


「うん。ゆずがいいって思った」


 まっすぐ見つめる彼の目には迷いはなかった。


「ありがとう」


 両手で花束を受け取り、お互いはにかむように笑った。




「オムライスめっちゃおいしそー」


 今日は隣町まで遠出して、お互い好きなオムライス専門店までランチをしにきた。


 目の前にはオムライスとスプーン。

 変わっていると思うが、わたしはオムライスやカレー等のご飯系はいつも箸で食べていた。

 金属同士の擦れる音がどうしても苦手なのだ。

 でも、スプーンでも食べれないわけじゃない。

 仕方ないとスプーンを手に取ろうとすると、樹が気がついたように声をかけてくれる。


「あ、ゆずは箸、ほしいよな?」


 すみませーんと言って店員さんにわざわざ箸を頼んでくれた。

 少ししたら箸が届く。


「わたし、樹のこと大好き」


 こうやって些細なことにも気づいてくれる、そういう優しさも好き。

 急に言われたから照れ隠しなのかそっぽを向く。


「なにきゅうに」


「いや、べつに!」


「俺も……大好きだよ」


 何回言われても樹からの好きには慣れないな。

 にやけるのを必死で抑えながらオムライスを口に運ぶ。


 樹は彼氏になってからちゃんと好きだって言葉でも態度でも伝えてくれている。

 わたしのことをいちばんに考えてくれてるのが痛いほどわかる。


 でも、結局わたしは彼の中で2番目なことには変わらない。


 

 敵わないってこともわかっていた。

 わたしは一生あの子を越えられない。


 勝ち負けじゃないのは理解してるけど、亡くなった人には生きてる人がどうがんばっても勝てるわけがない。

 亡くなった人ってどうしても美化されてしまうから。

 


「でも、いちばんはいまでもあの子なんでしょ?」


 投げ捨てるようにはいた言葉に彼は肯定も否定もしなかった。


「じゃあ全部話すから聴いてよ」


「……うん」


 ゆっくり過去こうかいを話し始めた。






 最初はなんとも思ってなかった。

 ただ相手の好意に甘えていただけだった。

 悪く言ってしまえば遊びの関係に近かった。


 週末はA駅で待ち合わせ。

 夜は毎日数分だけ通話。

 連絡は毎日取り合った。


 好きなのかはよくわからなかったけど、椎奈しいなの隣は心地よくてすごく落ち着いた。




「樹くん。樹くんだけには迷惑かけたくないな」


 いま思えばこのときから彼女の様子がおかしいと気づけばよかった。




「またあえる?」


「またあえるよ! もちろん!」


 そう答えると彼女が泣き出した。

 いままで一度も涙を見せたことなんてなかったから困惑した。

 きっともうこのときから限界だったんだよな。


「うん……またね」


 椎奈の手がゆっくりと離れていき、背中を見送ったあと、俺も家へと向かった。



 その日の夜だった。

 警察から椎奈が亡くなった、と連絡がきたのは。

 最期さいごにあっていたのが俺だったから、色々話を聞かされた。


 おそらく自殺、だと。


 頭が真っ白になった。

 涙が勝手に零れていた。


 そして、いまさら。

 いまさら気がついたんだ。


 いちばん大事なことに。


 俺、椎奈のこと好きだったんだ。

 ほんとに大好きだった。

 いや、いまでもどうしようもないくらい好きなんだ。


 もうあえないのに。

 あって話すこともできないのに。

 好きってたった2文字すら伝えられなかった。



 家族のこと、家のことはなんもしらなかったからお葬式にはいけなかった。

 ちゃんと最期のお別れができなかった。


 そのとき、誓った。

 もう恋愛はしない。

 椎奈以上にだれかのこと好きになることはないって思った。



 たった1ヶ月ですごく濃い時間を共にした。

 その濃さと想いはだれにも越えることはできない。







「これが……俺としーなとの過去のすべて」


 自然とお互いの瞳から涙が零れ落ちていた。

 涙で視界は揺れまくっていて相手の顔さえ上手く見えない。


 こんなに深く辛い過去だなんて思わなくて、なんて声をかければいいかわからない。

 喉がつっかえたみたいに言葉が出てこない。




「こんなこといったら嫌だと思うけどしーなとゆずの性格とか見た目がすごく似てて、だからこそゆずがなにか抱えてないか心配だった」


「え……」


愚痴ぐちでもなんでも聴くからどうかひとりで全部考え込まないでほしい。もしなんかあるなら聴くから」


「……わ、たしは大丈夫だよ?」


「それは大丈夫じゃないときに使う。それくらいはわかるよ。まだ2ヶ月しか一緒にいないけどちゃんとゆずの性格とか考えとかわかってるつもりだから」


 じゃあ、わがまま言ってもいいのかな?

 ううん。

 わたしだけをみて、そんなこと言えるわけない。

 わたしのことみて椎奈ちゃんのことを想い出さないで、なんて言えない。


 いまでもきっと彼の目には椎奈ちゃんしか映ってないのだろうから。



「あ、しーなと似ているからゆずのこと好きになったわけじゃないからな」


「ほんとに?」


 疑うように訊いた。


 でも、仕方ない。

 たまたま見た目とか性格がおんなじだっただけであって、こういう子が樹のタイプってだけだよね。


「うん。俺、ゆずがいたから変われた気がする」


「そっか」


 ゆずがいたから。

 たとえ、それが偽りの言葉だとしても胸がいっぱいになるくらいうれしかった。



「たのしかったんだ。幸せだったんだ」


「……うん」


 樹の記憶にはどんな想い出が刻まれているのだろう。


「しーな……。しーな……」


 何度も何度も彼女の名前を呼んでいた。

 まるで彼女がそこにいるかのように。


 やっぱり彼はずっと彼女のことが好きなんだ。

 わたしじゃ代わりにはなれないんだ。


 もしかしたら樹はずっとわたしを椎奈ちゃんに重ねていたのかな。

 似ているわたしが隣にいて、余計に苦しくならないのかな。




『願いが叶うってことは過去にも未来にもいけるの? 

 嘘でも夢があるね!』


 バスの中で偶然、目の前の女子高校生がたのしそうに話してるのが聞こえた。


「あの、すみません。

 その話詳しく聴かせてもらえませんか?」


 見ず知らずの人に声をかけて知ったこと。

 桜の木には桜の妖精さんが宿っており、願いごとを言うとそれを叶えてくれるのだと。

 あくまで噂なので実際はわからないということ。

 あと、桜の妖精さんは男の子だということ。

 あれ、最後の情報はいらないな。




「あの……時間を巻き戻してください」


 だめ元で近くにある大きな桜の木の前にやってきた。

 もう夏なので、葉桜だから余計にだめかもしれない。


「……弱いね、志が。

 ほんとは迷ってるんじゃない?」


「っ!」


 ほんとに桜の妖精のようなものが出てきたのに対して声も出ないくらい驚いた。


 たしかに見た目は妖精みたいにかわいいのかもしれないけど宙を舞う奇妙な存在だった。


「自分の幸せを犠牲にする必要はないよ。

 きみは我慢しすぎだ」


「……」


「もう1回決心ついたらおいでよ」


 見抜かれたことに対しても吃驚きっきょうする。

 ずっと迷っていた。

 だって、過去を変えたらその未来では、樹の隣にわたしはいないだろう。

 でも、彼が望むのは椎奈ちゃんが生きてる世界で。


 彼女がいない世界だからこそ恋人になれただけで、彼女がいたらきっと眼中にもなかっただろう。




 もう何回目かわからないデートではじめて本音を少しだけ溢した。


「わたしね、もうどうすればいいかわからなくて」


 なにが正解なのかわからない。

 いくら考えても答えが見つからなかった。


「なにを考えてるかはわからないけど、ゆずがしたいことをすればいいんだよ?」


「わ、たしのしたいこと」


 頭を撫でながら、いつものように優しく微笑みかけてくれた。

 やっぱり樹の隣は心地いい。

 この場所がわたしの幸せだって言える。

 でも、樹にとっては?



「……ねぇ、もし。もしもだよ。

 過去に戻れたらやり直したいと思う?」


「それは……そうだな。そりゃまもりたかったよ。

 俺は、しーなを護れなくてずっと後悔でしかなかった。

 でも、やっと前を向けるようになった。

 今度こそ俺は大切で大好きな人の手は離さない」


 いままででいちばん力強い声ではっきりと主張した。

 ぎゅっと握る手に力がこもった。

 

 もし過去に戻れたら今度こそは椎奈ちゃんの手を離さない、ってことか。

 いちばん大好きな人だもんね、当然か。


 やっと覚悟を決めた。

 わたしのしたいこと、それは彼のしたいことを叶えることだ。




「樹、わたしは幸せだったよ。

 あなたといれたこの3ヶ月間。

 めちゃくちゃ濃い時間を過ごせた。ありがとう。

 なんもなかったわたしに恋を教えてくれてありがとう」


 これが最後になるだろうから。

 彼の目を見て泣きそうになるのをグッとこらえて精一杯笑ってみせた。


「え、どうした? ゆず?」


 椎奈ちゃんのこともあったから余計に心配しているのだろう。

 彼は頑なにわたしの手を離そうとはしなかった。


「なぁ、ゆずはいなくならないよな?」


「大丈夫だよ。わたしは自分で絶対死んだりしないよ。

 ちゃんと生きるよ」


 あなたの隣じゃないところで生きるから。


「……信じるからな」


 うん、と彼を心配させないように微笑み返した。


「ねぇ、ちょっと目瞑って?」


「うん?」


 これでほんとに最後だから。

 彼の頬に自分からキスを落とした。

 照れくさくて唇には到底できなかった。


「はじめてだな。ゆずからのキス」


 はずかしくて目を合わせれずにいると、彼がわたしの手を取って唇を重ねた。

 心臓が止まるかと思ったくらいびっくりした。


「ありがとう! めっちゃうれしい!」


 その満面な笑顔に、最後にキスまでくれたことにもう充分だと心の底から想った。





 彼女が亡くなる日にちも場所もわかってる。

 なら、簡単だ。

 その日に戻って彼女を止めればいい。


 ただ、それだけだ。


 そうすれば、樹の後悔は消えて、椎奈ちゃんと幸せになれる。

 わたしが身を引けばいいだけ。



「そしたらきみと彼は赤の他人で、きっと恋人にはなれないよ?」


 桜の妖精さんにいたいところをつかれて思わず苦笑する。


「……わかってます」


 彼女がいない世界だったからこそ出逢えて恋に落ちることができた。

 だから彼女がいる世界では、きっと出逢えても恋には発展しない。

 だって、わたしたちは運命の人でもなんでもないんだから。


「わたしがふさわしいわけがないから。

 彼に必要なのは椎奈ちゃんだったんです」


 悔しいけど、あなたにとってのいちばんはわたしじゃなかった。

 わたしじゃだめだった。

 

 彼の心の中に生きている彼女ごと愛することができたらよかったのに。





「20XX年。8月13日。戻ってる。

 椎奈ちゃんと別れたのが16時頃、A駅近くの交差点」


 スマホのカレンダーを確認しながら、記憶を頼りに呟いた。



 交差点まで早歩きで向かうと、樹と椎奈ちゃんが目についた。

 ちょうど手をふって別れるところみたいだった。


 あの人が樹が大好きな椎奈ちゃん。

 たしかに身長や髪の長さはわたしとほぼおんなじだ。

 そんなことを考えてると別々に歩き出していた。



 だめだよ。あのまま手を離しちゃ!

 後悔するよ、一生。


「追いかけて!」


 気づいたら彼の目の前まできて叫んでいた。

 そんなわたしを怪訝けげんそうな顔でみてくる。


「は?」


「椎奈ちゃんをいますぐ追いかけて!

 ちゃんと話して! 家まで送ってあげて!」


「なんで」


「えっとそれは……とにかく追いかけて。

 あの子を喪うしなうことになるよ」


「……わかった」


 彼の背中を見送ったあと、頬を伝うものがあった。


「……さよなら、わたしの大好きだったひと」


 さよなら、わたしの初恋。



 もうあなたの未来にわたしはいないんだね。

 これでいい、いいんだ。


 これがわたしにできる最期さいごのプレゼントだよ。


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