第27話
「子供の言うことは真に受けないほうがいいよ。ああいうときは、たいてい冗談だから。あたしが昔どれだけ子供に声をかけて、からかわれたか……」
アデルが日記を読める子供を探していたときのことだろう。
「ドゥール教と、関係ないと思いますか?」
ルドは心配そうにシステルに聞いた。
「ドゥールという言葉だけなら、子供が知っていても不思議ではない。そのあとの会話もおかしかったところを見ると、冗談で話していただけだろう」
「そう、ですよね。何か関係があるのかと、疑ってしまいました。まだ、あんな子供なのに……」
「いや、それは大切なことだ。たとえ相手が子供だったとしても、すべてを疑ってかかるくらいの心構えでいてほしい。それでいい。間違ってない」
「……はい!」
「ドゥール教って、もうなくなったの? 最近あんまり聞かないわよね。あたしが聞いてないだけかもしれないけど」
「ドゥール教は、魔王が消えてからもう活動を行っていないらしい。新しい信者を増やす必要がなくなったからかもしれないが」
「ハスクートの話はどう思う? まあ、ハスクートの噂なんていっぱいありすぎよね。それこそ子供でも聞いたことあるような噂もたくさんあるわよね」
「そうだな。こういう田舎では特にそういった噂がたちやすい。それに、万が一本当だったとしても、もう調べることもできないからな」
「それもそうね」
二人は男の子が指した方角を見つめていた。もう何も無い場所を。システルの表情は、どこか寂しそうに見えた。もしかしたら、本当にそっちにハスクートの集落があったのかな。
わたしはまだあの子が走っていった方角を見ていた。いろんなところに行く、か……。
不思議な子供だった。名前も本名じゃなかっただろうし、きちんと聞けば教えてくれたかな。
あ、そういえば……。私はふと思い出したことがった。
「ねえ、そういえば、アデルって本名じゃないの?」
わたしは、姉の手紙に書いてあったことを思い出した。いつだったか、アデルが確かそんなことを言っていたはずた。
「そうよ。アデルはこの役割の名前よ。本を読める人を探しにいく者、その役を私の故郷ではアデルって呼んでたの。なんでも一番はじめにこの本を授けられたのか、『アデル』っていう人なんだって。言ってなかったっけ?」
「本当の名前は別にあるのよね?」
「ええ、もちろん。ただ、今さらすぎるから、これからもアデルって呼んでね。役目は終わったけど、あたしこの名前で呼ばれるの、好きなの」
「きみは、なんというか、大事なことをあまり言わないな」
システルは少し呆れた様子だった。
「え、そんなに大事? 名前なんてただの名前でしょ。あたしはあたしなんだし。あなただって、途中から違う名前になっても、あなたがあなたであることは変わらないわよ。例えば……、そうね、例えば、だけど、あなたがハスクートっていう名前だったとしても、あなたはあなたよ。何も変わらない」
その言葉にシステルは驚き、アデルを見つめた。
アデルはわかってて言っているのか、適当に言ったのか、どっちだろう。
アデルはふふっと笑って、近くをうろうろしていた子供たちに話しかけに行った。
システルはまだポカンとしていた。
アデルとハスクート。
その昔、姉が日記と魔導書を託した人物の名前だ。
私たちはみんな、なにかに怯えて生きていたんじゃないかと思う。
アデルは、姉に本を渡したことで、姉の運命を変えてしまったと、すべての責任が自分にあると思い詰めていたように。
システルは、仲間より姉を信じた自身の行動を責めていた。それでも、姉の前で甲冑を脱ぐことができなかったのは、心のどこかに疑いの気持ちがあったからだと思う。そのことが余計にシステルを苦しめ続けた。
姉ですら、二人に嫌われることを恐れていた。そのためにひたすら真実を隠し続けた。二人が自分から離れていくことなんてないとわかっていながら、それでも……。
わたしは何に怯えているんだろう。
みんなに、わたしがあの人ではないとばれてしまうこと?
姉のような力がないから、何かあってももう何も守れないこと?
このままではいけないと思うのは、何かが怖いからなのかな――。
月日が流れ、わたしは二十歳になった。
わたしは少しの間、国を離れることになった。国内の再建が進んできたので、他国との交流を再開すべく、大陸を巡る旅に出る。
国は完全とはいかないが、昔の町並みを取り戻しつつあり、みな復興にむけて手を取り合っていた。
魔王の瘴気を消す魔法が完成し、北の国につながるルートだけがなんとか確保できたため、ようやく出発の目処がたった。
私は国王の命で他国を訪れ、魔王のことを話す役目を与えられた。いつかまた、魔王が現れた時に役立つようにと、情報を公開することにしたのだ。
あの男の子の言ったとおり、いろんな国に行くこととなったが、自分の目で世界を見る良い機会だ。
そして、魔王の、あの人の軌跡をたどるためにも好都合だった。どこかにあの人の手がかりがあるかもしれない。
ルドに同行を頼んだ。もちろん、王女の護衛にルド一人で行かせるわけもなく、アデルとシステルもともに行くこととなった。
アデルとシステルは50歳だが、今だに衰え知らずの強さだった。ルドもかなり力をつけてきてはいるが、この二人にはまだ及ばない。
わたしは自室で旅支度をしていた。
室内を動き回るので車椅子に乗りながら、机の上に必要なものを置いていく。
まずは日記と魔導書。手紙はそのままでは持っていきにくいので、束にして本のように端をくっつけてみた。最近なんとか2周目を読み終えたが、まだ読み足りない、そんな気がして、持っていって道中に読むことにした。
何でこんなにもたくさん書いてしまったんだろう。もう少し簡潔に書けばよかった。これじゃ持って行くにも……。
…違う。わたしじゃない。これを書いたのはあの人だ。わたしじゃない。
最近、あの人のしたことを自分がやったことのように思うことがある。まるで自分とあの人が混ざっていくような、そんな奇妙な感覚が……。
とにかく、手紙を綺麗に並べて端をとめて、それを1冊の本のようにした。
次は服と帽子と眼鏡。わたしの髪と瞳は目立つため、少し変装するつもりだ。服は色違いのワンピースとカーディガンを数枚。他国の王に会う時のために、正装の用意もしておく。
予定では、まずはこの国の北にある国を目指し、そこから時計回りに進んでいき、最後に大陸の真ん中にある母の国を訪れることになっている。
戻って来るのにどれくらいかかるかわからない。その時、わたしはどうなっているだろう――――。
手紙の整理が終わり、引き出しを閉めようとすると、奥の隙間に一枚紙が挟まっているのを見つけた。
しまった、まだあった。せっかく全部まとめられたと思ったのに。一枚だけなら間に挟んでても問題ないか。
手紙はくしゃくしゃになっていたので、膝のうえに置いて撫でながらシワを伸ばし、文章を読んだ。
「魔法の詠唱に時間がかかるので、その間死んでも守ってください」
あの人はどんな想いでこの作戦を考えたのだろう。この部屋で、たった一人で。
誰にも何も話せない孤独と戦いながら、次第に化物になっていく恐怖と戦いながら、全てを終わらせるために、ただひたすら進み続けた。
そのとき、窓から暖かい風が入ってきて、持っていた紙が空を舞った。紙が窓の方に飛んでいき、慌てて車椅子を走らせる。
なんとか外に飛んでいく前に掴めた。窓の外を見ると、庭園には色とりどりの花が咲き誇っていた。
わたしの好きな景色だ。
またいつか、この景色を見られるだろうか。
ふと、手紙の裏に文字が書いてあることに気がついた。
『あなたは、負けないで』
負けない。わたしは負けない。
わたしはこの国の王女。
この国の英雄。
今まで見てきた悲惨な夢のいくつかが、たとえこれから起こる未来の出来事だったとしても、わたしはわたしであり続ける。
あなたがわたしのために残してくれた道を、わたしは進み続けるから。
そして、いつかあなたを見つけてみせる。
だから、それまで待ってて。
終わり
「魔法の詠唱に時間がかかるので、その間死んでも守ってください」 矢口世 @ha-hu
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