第5話

 一瞬の出来事だった。



「う、うわあああ!」


 他の4人の志願者は何が起こったのか見もせず、男性が前に倒れるのと同時に、叫びながら一目散に後方に走っていった。


 私は腕をちぎられた反動で体勢を崩しかけたが、なんとか倒れず踏みとどまった。


 押し倒した男性は四つん這いになって一瞬かたまっていたが、ハッとしてこちらを振り返った。



「後ろ! まっ、まだ動いています!」


 男性が指をさす。


 振り向くと、飛んできた魔王の腕は私のすぐ側にあって、まだ動いていた。その手には、私の腕を掴んでいる。


 私は、私の腕もろとも魔法で攻撃した。右腕だったものは握り潰され原型を留めておらず、もう治すことはできないだろう。この体を傷つけることはなるべく避けたかったが、仕方がない。


 魔王から飛び出してきた腕は、淡い光となって跡形もなく散っていった。



 かばった男性が駆け寄り、声をかけてくれた。


「大丈夫ですか!? 早く……」



 だが、私を見て言葉を失っていた。

 私のマントと仮面がはずれていて、顔が丸見えだったのだ。




「王女……さま……?」


 


 

 城の者以外に姿を見せるのは久しぶりだったので、みな私の顔なんて忘れているのではないかと思っていたが、すぐにバレた。


 男性はまだ若かった。男性、というより、男の子、という感じだ。

 10代後半だろうか。長い金髪を一つにくくっていて、背が高く痩せている。顔色は青白く、頰が痩けていて紺色の瞳には覇気がない。病弱そうだが、魔力量はかなりのものだ。鍛えれば相当な手練れになりそうだ。



「あ、えっと、て、手当てを……、何か、止血できるものは……」


 男の子があたふたしていたので、私はとりあえずシステルたちに合図を送った。



 システルとアデルが転送魔法でとんできた。

 二人がすぐさま私に駆け寄ったので、後ろに避難していた4人の生き残りたちも、何だ何だとこちらを気にし始めた。


「腕を!!」


 アデルが私をその場に座らせ、治癒魔法で応急措置をする。


「馬鹿! なんでもっと早く呼ばないの!」


 ありったけの魔力を注ぎ、必死に傷口を防ごうとしてくれている。

 

「何があった?」


 システルが男の子に尋ねる。


「向こうから、腕のようなものが飛んできて……」


「腕? 誰の?」


「わかりませんが、見た目は、人の腕でした。細くて、女性の腕の……ように見えました……」


「君が狙われたのか?」


「……自分のところに飛んできましたが、狙いは後ろにいた……その……あの方だったのかもしれません。あの方が、かばってくださいました。何も、できなくて……。すみません。自分がシールドを張っていれば……」


 男の子は涙を流していた。

 システルは彼の肩を優しくポンポンと叩く。



「うえっ? なんか、王女さまに似てる……!?」


 4人がこちらに来て、私の顔を見る。


 急いでシステルが少し離れたところに生き残った者たちを連れていった。



 アデルはまだ私の治療を続けている。額には汗がにじんでいた。

 

『大丈夫。この程度では死なない』


 安心してもらおうと、魔法で文字を書いた。


「なんでそんな落ち着いてるの!? 馬鹿じゃなの!?」



 ……馬鹿。

 


 腕の痛みは落ち着いてきたが、血を流しすぎたのか、次第に意識がもうろうとしてきた。

 後は二人に任せよう。私はアデルに『少し眠る』と伝えて、目を閉じた。





 ―――――――――



 夢をみた。




 海をみていた。


 穏やかな海。


 太陽の光を浴びて、青くキラキラと輝いている。


 だけど少しずつ、ずっとずっと向こうのほうから、黒い何かが、波に混ざって流れてくる。


 波は、時には穏やかに、時には激しく打ち付ける。


 青く澄んでいた海は、次第に黒く濁っていく。


 黒い波は大きくなり、すべてを飲み込んでいく。


 笑い声が聞こえた。


 笑っているのは、わたしだった。



 わたしの側には、いつも二人がいた。他には誰もいなかったが、二人はずっといてくれた。それだけで、わたしは幸せだった。


 けれど、時折発狂したくなるほど、真っ黒な感情が押し寄せてくる。何もかも壊したくて、めちゃくちゃにしたくて仕方がなかった。



 このままでは、大切なことを忘れてしまう。


 自分は何なのかを、何を感じ、何に喜び、悲しみ、怒り、無関心だったのかを、何もかもを覚えておかなくてはならない。


 わたしは記録をつけることにした。だが、書く度に抗いがたい黒い感情が押し寄せ、うまく書けなかった。書き終えたものを見返すと、文字と判別するのが難しいほどめちゃくちゃだった。記号のようにも、模様のようにも見える、おそらくわたし以外の誰も読むことはできないだろう。


 それでも、わたしは書き続けた。


 


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