第26話 落下

 これはマズいかも知れない……。


 上が下になった状態で上空に落下した俺とミユとジュジュは、空中で静止したまま何もできないでいた。


 シルクとそんな彼女を乗せた龍から漂ってくる魔法波は強烈で、ルル先生にも匹敵しそうだ。


「初めましてウィレムさま、わたくしルシタファを率いているシルクと申します。ウィレムさまが王位にお就きになられた折りには是非ともご懇意にしていただければ」


 なんてバカ丁寧に挨拶をするシルクだが、その表情から友好的な感情は一切読み取れない。


 それはそうと……。


「初めましてウィレムといいます。あなたのことはこいつらから色々と窺っていますが、なんだか想像していたお方とは違いますね」

「想像とは違う? どういうことですか?」

「いやぁ……なんというか思っていたよりもお美しい方だなと」


 なんというかミユやジュジュからはケチなおばさんだと聞いていたが、実際に見た彼女はおばさんと呼ぶにはあまりにも失礼なほどの美人だった。


 おいおい話が違うぞ……。


 そんな素直な気持ちを伝えた俺だったが、こんな状態にもかかわらず意外にも俺の褒め言葉は彼女にウケが良かったようで、彼女ははっと目を見開いてわずかに頬を赤らめた。


 が、しばらくの照れののち、ふとシルクは何かに気がついたように「ん?」と首を傾げて、元部下であるミユとジュジュの顔を交互に見やる。


「ウィレムさま、私のことはミユとジュジュから色々と窺ったのですよね?」

「え? そ、そうですが……」

「その結果、私を見て想像と違ったと?」

「そ、そうですね……」

「いったいミユとジュジュはウィレムさまに私をどのように説明されたのですか?」

「…………」


 あ、これ、悪い流れだわ……。


 ミユとジュジュが俺に話したシルクの説明。


 それはケチなおばさん……。


 ミユとジュジュに視線を向ける。すると二人とも青ざめた顔でシルクから顔を背けていた。


 おい……。


「まあいいです。この裏切り者二匹から聞いた説明はどうぞお忘れください。それよりもウィレムさま、ザルバ陛下からウィレムさまへのお手紙を預かっております」


 シルクは冷め切った目をミユとジュジュに向けてから、ドレスの胸元から手紙を取り出すとこちらへと投げてきた。


 とりあえず手紙を受け取ると中身を確認してみる。


『ウィレム君へ 覚えているかな? ウィレム君の叔父さんのザルバ四世だよ。叔父さんはウィレム君がいなくなって寂しい思いをしているよ。ウィレム君にはいずれはリクテン王国を統治する立派な国王になってもらいたいから、怖がらずにお城に帰っておいで。ウィレム君の大好きなケーキを用意してお城で待ってるよ』


 お、おぇ……。


 前にも思ったけど、なんなんだよ……この気持ち悪い手紙は……。


 俺を油断させたい気持ちだけは伝わってくるけど、あのおっさんがこの文章を書いたと思うだけで軽く吐き気がしてくる……。


 まあ、こんな手紙を信用するほどバカな俺ではない。


 城に戻ったところで幽閉されるのが関の山だ。


「ウィレムさま、ザルバ陛下の元に戻りましょう。私にはあなたに危害を加えるつもりはこれっぽっちもございません」


 なんて裏切り者二人への怒りと俺への愛想笑いが混じったようにおぞましい笑みを向けてくる。


「申し訳ないですが、私は城に戻るつもりはありません。叔父上にはそのようにお伝えください」


 当然ながらこんな大きすぎる釣り針に食いつくつもりはない。


「困りましたね……」


 と、わざとらしく困ったような顔をするシルク。が、すぐにまたおぞましい愛想笑いを浮かべると相変わらずばつの悪そうな顔を背けるシルクとジュジュを交互に指さした。


「ではこれでどうでしょうか? もしもウィレムさまがお城に戻られるということであれば、この裏切り者二人をウィレムさまの性奴隷として献上いたしましょう。二人ともなかなかの美貌だと思いませんか?」


 は? 舐めてんのか?


 面倒な奴らを一方的に送りつけておいて、用済みになったら性奴隷にしろだと?


 俺になんのメリットもないじゃねえかよ……。


「あ、大丈夫っす……」


 と丁重にお断りをしながらも俺は考える。


 さて、どうしようか。とりあえずシルクの言いなりになって城に戻るという選択肢がない以上、彼女から逃げるしかやるべきことはない。


 ここで彼女の魔法を打ち消すことはできないことはない気がする。


 が、彼女の魔法を打ち消してしまえば俺たちは上空から真っ逆さまだ。さすがにここまで高いところから落とされてまともに着地ができる自信はない。


 さて困った……。


 手をこまねきながらも打開策を考えていた俺だったが、そんな俺を見てシルクは何やら首を傾げた。


「困りましたね……できれば穏便に城にお戻り頂きたいのですが……」


 どうやら脅しているようだ。もしも言うことを聞かなければどうなっても知らないぞということらしい。


 と、その時だった。


「「きゃっ!?」」


 二つの短い悲鳴が俺の耳を劈く。慌てて悲鳴のした方を見やると、さっきまでそこまでいたはずのシルクとジュジュの姿はなかった。


 慌てて足下を見やると、地上目がけて凄まじいスピードで落下していく二人の少女の姿が見える。


「は、はあっ!? おい待てっ!! いくらなんでもやりすぎだろっ!!」


 おいおいさすがにこの距離から落ちたらタダじゃ済まないぞ。


「これがルシタファの掟です。裏切り者には死があるのみ」

「…………」


 やばい……シャレになってない……。


 いくら裏切り者への制裁とはいえ、全く躊躇うことなく二人を落下させたシルクにドン引きしていると、懐から「ウィレムさま」と声が聞こえた。


 ん? この声って……。


 ふと、懐の短刀を見やると、そこに取り付けられた魔法石が光っているのが見える。


「ルル先生っ!?」

「はっ!? ルルっ!?」


 俺が反応すると同時になぜかシルクもまたルル先生の声に反応する。


 いや、なんでだよ……。


「ウィレムさま……なんだか今、年増の女の子が聞こえたのですが……」


 と、なにやらいつも通りの脳天気そうな声でそんなことを言う。


「ぶち殺してやるぶち殺してやるぶち殺してやるぶち殺してやるぶち殺してやる……」


 その年増という単語が癪に障ったのだろうか、シルクはなにやらそんなことをブツブツと呟きながら憎悪の表情を浮かべていた。


「なんだか物騒な声が聞こえますね……」


 シルクの殺意とは裏腹にルル先生は涼しい声でそんなことを言う。


 先生、頼むから余計なことを言うのを止めてくれ。


「で、何か俺に用か? 俺は今ちょっとお取り込み中で会話をしている場合じゃないんだけど……」

「まさか雑魚に苦戦をしているんですか?」

「ルル先生……やめて……」

「ウィレムさまには相手の魔法を無効化する方法を教えたはずですが、お使いになられないのですか?」

「いや、今それをやったら俺は転落死するんだよ……。どういう状況かわからないと思うけど」

「だったら上手く着地をすればいいんじゃないですか?」


 なんだろう。無理難題を押しつけるのはやめてくれ。


「ウィレムさま、下りてきてください。それ以外にあなたに選択肢はありません」

「いや、この高さから落ちてどうやって生還すればいいんだよ……」

「どうやって生還するかは落ちながら考えてください」

「無茶振りが過ぎる……」


 が、現状、上空にいる俺にはシルクと戦う術はない。


 そしてそんな彼女から逃げる方法はここから飛び降りるしかない……。


 いや地獄かよ……。


 そのあまりにも絶対絶望な状況に軽く目眩を覚えていた俺だったが、ふとあることに気がつく。


 ん? 魔法波?


 俺は足下から覚えのある三つの魔法波を感じた。


 それは先ほど俺の目の前から落下していったミユとジュジュによく似た波形。


 本来、魔法波は死体から発せられることはない。


 この波形を感じるということは二人の生存を意味する。


 そして、俺はもう一つ魔法波を感じた。その魔法波は俺にとってはもっとも馴染みがあり、それでいてもはや懐かしさを感じる波形。


 これって……。


「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる……」


 俺は相変わらず殺意マシマシのシルクを見やる。


 彼女は怒りを露わにしがらも相変わらず俺に向かって魔法波を発し続けている。


 そんな彼女の波形をじっと読みながら俺は決断した。


 彼女の魔法波に波形を合わせるようにこちらからも魔法波を発して、彼女の魔法を無効化した。


 直後、俺に重力が戻った。


 当たり前だが重力を取り戻した俺は地面へと勢いよく落下していく。


「ちょ、ちょっと待ちなさいっ!!」


 と、そこでようやく事態に気がついたシルクが慌てて叫ぶが、待てと言われて待つはずがない。


 とりあえず落ちてからのことは落ちながら考えよう。


 どうせルル先生は俺を助けるほど優しい人じゃないし、自力で無事に着地をする方法を考えないと……。

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