第7話 ルシタファ

 執務室を後にしたシルクは早速行動に移ることにする。


 鉄は熱いうちに打て……ではないが、国王の気が変わらないうちに行動を開始して後戻りできないようにしておく必要がある。


 なんというか今回は割のいい仕事だ。


 シルクは思わず頬が綻ぶの抑えられなかった。


 今回のターゲットはリクテン王国の第一王子である。


 彼女たちルスタファはいつも王国との交渉で報酬を決める。当然ながら仕事に王国の要人が絡めば絡むほど仕事のリスクはあがる。


 そうなると彼女たちルスタファが王国に要求する金額も跳ね上がる。


 第一王子となれば最大限王国から金を引っ張り出すことだってそう難しいことではない。


 が、今回の仕事はシルクにとっては大きなリスクではなかった。


 何せ世間も知らないようなガキを一匹捕まえて城に連れ戻せばいいだけなのだから。


「いったい、いくら王国に突きつけてあげようかしら?」


 だから頬を綻ばせずにはいられない。


 が、もちろん大金を貰うからには全てを完璧に一〇〇点満点で遂行しなければならない。


 彼女には万が一にも失敗は許されない。


 そういう意味ではシルクはこれまで一〇〇点満点の仕事を続けてきたという自負がある。


 当然ながらミスをしたこともなければ、仕事を遅らせたこともない。


 だからこそ王国はシルクの言い値を支払うし、法外な金額を請求したからと言って他の組織に仕事を回すこともない。


 何せ彼女たち以上に完璧に仕事をこなす組織など、少なくともこの王国には存在しないのだから……。


 彼女は頭の中で、相場と自分たちの付加価値を天秤にかけて報酬の値段を決める。


 そしてその金額がはじき出されたときシルクは満面の笑みを浮かべた。


「やだ~私ったらますます美しくなっちゃうじゃない~」


 シルクにはルスタファの仕事以上に王国一の自信を持つものがある。


 それは自身の美しさである。


 シルクは知っている。自分がこの王国でもっとも美しく、エロティックで、それでいて可愛いことを。


――女性として生まれたのだから美を追究するのは当然よね。


 美しさこそが彼女のアイデンティティ。そのために彼女はいかなる努力も怠らないし、金を出し惜しむこともない。


 ルスタファのリーダーを務める彼女には、仕事が終わる度に膨大な報酬が懐に転がり込んでくる。


 それを彼女は出し惜しむことなく美に使う。


 美を保つ秘薬があると聞けば地の果てでも仕入れに行くし、不老の研究する錬金術師がいると聞けば札束で頬を叩いてその研究を研究所ごと買い取った。


 その結果、彼女は世界一の美を手に入れた。


 彼女のその常人離れした美しさから、彼女の実年齢を推測できる人間はこの王国にはいないが、少なくとも三〇年前から彼女は王国一の美女を自負している。


 まあ、彼女には年齢など生まれてから過ぎた時間に過ぎないのだ。


 その時間の長さはいくら長くても今の自分が王国で一番美しければそれは些細な問題である。


 現に街ゆく人は彼女を若い娘だと信じて疑うことはない。


 そのために庶民には手の届かないあらゆる錬金術や、秘薬、さらには幻と呼ばれる果実だってお取り寄せしてきたのだ。


 さて、彼女にとって自分が王国一美しいことなど当たり前である。


 そんな下らないことを考えるよりも目の前の仕事のことを考えよう。


 まず彼女がやるべきこと。それは二日前に城から脱出したという王子を探し出すことである。


 この王子の所在がわからなければ、何も始まらないのだ。


 もちろんルスタファであればすぐに見つけ出すことができる。そして、その役割を担う適役をシルクは知っていた。


 彼女はアジトに戻ると一人の少女に声をかけて城へと戻った。


 彼女たちが向かったのはウィレム王子の寝室である。


 シルクに連れられてウィレムの寝室へとやってきた少女は部屋に入るなり恍惚の表情を浮かべる。


「良い匂いがします……。やっぱり王子様となるといい香りの石鹸やシャンプーを使用しているのかなぁ……。思春期の男の子特有の汗っぽい匂いとフェロモンと隠しきれない高貴さが混ざりあって……わわっ……シルクさま、私、鼻血が出ちゃいそうです……」


 彼女は鼻を摘まんで上を向いた。


「ミユ、絶対に鼻血をカーペットに落としちゃダメよ……。汚したら私たちが弁償しなきゃダメなんだから……」

「ご、ごめんなさい……気をつけます……」


 頭を抱えるシルクにミユは必死に鼻を摘まんで鼻血を止めようと奮闘する。


 ミユはルスタファの幹部の一人である。


 彼女は今年一七歳になったばかりの新入りではあるが、たった一年でルスタファの幹部に上り詰めた凄腕の持ち主である。


 そんな彼女は、海軍の水兵が身につけるような紺色のセーラー服に、同じく紺色のプリーツスカートという出で立ちをしていた。


 なんでこんな変な服を着ているのかシルクには理解ができない。


 が、彼女は水兵が身につけるこの服を見て「か、かわいい……」と一目惚れをして以来、自分なりに色々とアレンジを加えて今のようなヘンテコな格好をしている。


 まあシルクとしては仕事さえしてくれればなんでもいいのだ。


 腰まで伸びた艶やかな黒髪を窓から吹き込むそよ風で揺らしながら、ミユはベッドへと歩み寄った。


 どうやら鼻血は止まったようだ。


 彼女はベッドの前で足を止めるとシルクへと顔を向けて、深紅の瞳を輝かせる。


「シルクさま、より正確に匂いを脳に刻みつけるためにベッドを嗅いでもいいでしょうか?」

「あんた、本当はただ匂いが嗅ぎたいだけでしょ?」

「ち、違います……。より確実に任務を遂行するためです。決して王子様の男の子の匂いが嗅ぎたいとかそういうわけではありませんっ!!」


 滅相もないと言いたげに彼女は両手をぶんぶんと振った。


「ま、まあいいわ。とにかく与えられた仕事を確実に遂行すること。私があなたに求めることはそれだけよ。あとは好きにしなさい」

「やったっ!!」


 ミユは満面の笑みを浮かべると、ベッドの前で四つん這いになって顔をベッドへと埋め始める。


 わざとらしく「クンクンっ!!」と声を出して王子の枕に顔を埋めるミユ。


 四つん這いになったことによりスカートが引っ張られたせいで露出している彼女の裏ももを眺めながらシルクは頭を抱えた。


――はしたない……。


 少なくともシルクの美的感覚ではありえない格好のミユだが当の本人は匂いに夢中でそれどころではないようだ。


 何せミユにとってもっとも大切なことはこの世の匂いなのだから。


 ミユの匂いへの執着はシルクの美への執着同様にこの世界で右に出る者はいない。


 常に究極の匂いを求めて生きているのだ。


 彼女の研究室には常にフラスコやビーカーがところ狭しと並べられており、それはどこで手に入れてきたのか、動物や植物、さらには人間の匂いを濃縮した液体で満たされており、彼女でなければ彼女の研究室に五秒として居座ることができないだろう。


 シルク自身も彼女をルシタファに勧誘したときには、組織への加入と引き換えに全身をくまなく嗅がれることとなった。


 これはシルクの思い出したくない過去で、今でも全裸にされて顔を埋められたときのことを思い出すと鳥肌が立つ。


 とまあ匂いについては王国で右に出る者のいない彼女はルシタファにとっては大きな武器である。


 彼女は一度嗅いだ匂いを決して忘れない。


 そして、その残り香がほんのわずかでも残っていれば、地の果てまでも匂いを辿ることができた。


 諜報活動も主要な任務であるルシタファにとってはこの上なく心強い味方である。


 それだけではなく彼女には匂いを採取するために身につけた戦闘能力も目を見張るものがあり、シルクはそんな彼女の才能に一目惚れした。


 が、それはあくまで仕事仲間としてである。


 一人の人間としてはできれば少しでも距離をとっていたい存在。


「ミユ……もう十分でしょ? ウィレムはいったいどこにいるのかしら?」

「クンクンっ!! わぁ……良い匂い……脳がとろけちゃいそう……」


 そんな気持ち悪い言葉を発しながら枕から顔を上げたミユの鼻からは鼻血が垂れていた。


 この枕は弁償だ……。


 が、まあカーペットを汚すよりは安くつきそうだ。そう自分に言い聞かせるとシルクは再び彼女に尋ねる。


「聞こえなかった? 王子はどこにいるの?」


 そこでミユは窓の外を指さした。


「王子は西にいます。窓の外から王子の高貴でそれで野性的な香りが……や、やだ……」

「そ、そう……じゃあ捕まえてここにつれて来てね」

「あ、あの……シルクさま……殿下で少し遊んでもいいですか?」

「殺さずにここに連れてくること。それがあなたに課されたミッションよ」


 そんなシルクの言葉を自分なりに解釈をしたミユは光沢のない深紅の瞳をシルクに一度向けて、そのまま窓の外へと飛び出していった。


 城壁に飛び移って城の外に出て行くミユを見送ったところで彼女は「はぁ……」と安堵のため息を吐く。


――ようやくいなくなってくれたわ……。


 あとは彼女が仕事を終えて帰ってくるのを待つだけだ。シルクは窓に背を向けると寝室を後にしようと歩き出す。


 が、ドアの前までやってくると彼女は足を止めて「盗み聞きなんて、ちょっと趣味が悪いんじゃない?」と呟いた。


 そして、彼女が再び窓へと顔を向けると窓の桟にはメイド服の少女が立っており、彼女はぴょんと寝室内に飛び降りた。


 メイド服の女はそんなシルクに表情を変えることなく、彼女の元へと歩いて行く。


「ご主人様の寝室に侵入者がいたので、監視しておりました。これが仕事ですので」

「久しぶりね。ルル」

「お久しぶりです。シルクさま」


 そう言ってルルは丁寧にお辞儀をした。


「聞いていたんでしょ?」

「それが仕事ですので」

「聞くのが仕事? ボディガードなんだったらあの子を追ったらどう? ご主人様が酷い目に遭うわよ?」


 シルク自身彼女がウィレムのメイドとして、そして用心棒としてこれまで働いてきたことを知っている。


 そんな大切なご主人様の脅威を目の前にして、この用心棒は仕事を放棄しようとしているのだろうか?


 だとすれば彼女は用心棒失格である。


 が、そんな余計なお節介であるシルクの質問にもやはりルルの表情は変わらない。


「その心配はないでしょう。ウィレムさまは小娘相手に苦戦するとは思えません」

「ずいぶんな物言いね。死んでも知らないわよ? もっとも殺すつもりはないけれど」

「ご主人様には人生経験が必要です。ご主人様がこれからもご自身の道を歩むつもりであればこの程度の相手に苦戦されるようでは……」

「そう……それはお手並み拝見ね……」


 ルルがなぜそこまで自信に満ちているのかはシルクにはわからないが、彼女がそう言うのであればそうなのだろう。


 まあユナがやられれば次の刺客を送り込むだけである。


 それはそうと……。


「ねえルル。ご主人様もいないのにこんなお城にいても暇でしょ?」

「いえ、ご主人様のお世話以外にも私には仕事がありますので」

「そう。じゃああんたはこれからも洗濯やベッドメイキングみたいな地味な仕事を続けながら死んでいくの?」

「かもしれませんね」

「戻ってこない?」

「はて? なんの話をされているのか」

「ルシタファによ。あんたが戻ってくればもっともっとルシタファは稼げるわよ。こんな小さい王国に止まってこそこそやる必要もない。ねえ、戻ってきなさいよ」

「いえ、私は今の仕事に満足しておりますので……」


 そう淡々と答えるとルルは再びシルクにお辞儀をする。


 どうやら彼女の意志が揺らぐことがないことを悟ったシルクは「そう……。まあ興味があればアジトに来なさい。場所ぐらい知っているでしょ?」と答えてドアノブをひねった。


 が、ふと何かを思い出すとドアから手を離してルルの元へと歩み寄ると首を傾げる。


「ねえ、一つ聞いても良いかしら?」

「なんでしょうか?」


 シルクは自分同様に首を傾げるルルの頬へと手を伸ばすと、指先で彼女の頬を抓る。


「痛いので止めていただけますか?」

「聞いても良い? こっちは大金叩いて美を維持しているのに、どうしてあんたは何もしないでそんなに若さをキープできるのかしら?」

「いえいえシルクさまのお美しさに比べれば、私などまだまだ……」

「能書きは良いのよ。あんたの美の秘訣を教えないさいよっ!!」

「頬を抓るのを止めていただければお話しいたします」


 と言うのでシルクは腹が立つほどにみずみずしい頬から手を離した。


 もちろんシルクは自分の美しさに自信がある。自分の美しさは王国一だという自負もある。


 そのためにいかなる努力も惜しまないのだ。


 それなのに、いや、だからこそ努力もせずに可憐さを維持し続ける目の前の幼なじみに怒りを覚える。


「離したわよ。さっさと答えなさい」


 イライラしながらそう答えるシルクにルルは「そうですね……」とわざとらしく頬に人差し指を当てるとほんのわずかに笑みを浮かべた。


「強いて言うならば早寝早起きでしょうか?」

「あんたに聞いた私がバカだったわ……」


 シルクはドンと床でヒールを踏みつけると、ルルに背を向けて今度こそ寝室を後にした。

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