第3話 生きるために鍛錬

 その日から俺はルル改めルル先生と一緒に強くなるための鍛錬を積むことになった。


 正直なところ今すぐに城から逃げ出したい。


 できるだけ城から離れて、できれば牧歌的なスローライフを送りたい。


 が、残念なことにルル先生の言葉の全てが正しくて、俺の考えがいかに浅はかだったかを数日後実感することになった。


「ウィレムさま、まさかそれがウィレムさまの本気ですか? そんな弱さでどうやって送られた刺客を返り討ちにするのでしょうか? やはりガキの考えることは浅はかですね?」

「はぁ……はぁ……くそぅ……舐めやがって……」


 なんというかルル先生の教え方はスパルタ式である。


 見た目は華奢で前の世界の中学生ぐらいの可愛い女の子にしか見えないのに、その心の中はドS満載なド畜生だった。


 そして強い……。


 少なくとも母が死ぬまでは毎日のようにスパルタ式で魔術の鍛錬を積んできた俺だったが、そんな俺がどれだけ本気を出しても適わない。


 そんな事実を俺に叩き込むように、鍛錬でルル先生は俺を打ちのめしてきた。


 剣術の模擬試合のときには俺の体にアザができようと、出血をしようとお構いなしに俺の事を半殺しにしてくる。


 しかも身軽な格好をしている俺と違って先生は動きにくそうなメイド服で戦ってこれなのだ。


 何回ルル先生から本気で殺されるのを覚悟したことか……。


「ウィレムさまは本当に出来損ないです。その程度では一〇〇年かかっても私を倒せませんね?」


 あ、ちなみにこれがルル先生の口癖です……。


 俺たちはいつも城から一キロほど離れた山中で鍛錬を積んでいる。そして、鍛錬の時間は決まって夜中だ。


 これは国王にバレないためである。もちろん少々鍛錬をしたところで何も言われないだろうが、妙な企みを考えていると思われるのは面倒だ。


 だから、毎晩城が静まりかえったところで、俺はルル先生にリュックサックに詰め込まれて気配を消した彼女によって山へとやってくる。


 そして夜が明けるまでの数時間を鍛錬に費やした。


 幸いなことに俺の家庭教師や魔術の先生は全員解任されたので昼間は暇なのだ。


 だからずっと俺はこの年齢でニートのような生活リズムで生きている。


 はっきり言って何度も逃げたいと思ったさ。何せ俺は過労死を避けるために過労死寸前で鍛錬を積んでいるのだ。


 いや、ホント本末転倒な気もするがこれが唯一の生きる道なのだからやるしかない。


 ルル先生と鍛錬を積んでいると毎晩毎晩いかに自分が弱い存在なのかを思い知らされる。


 が、そんな彼女のスパルタ教育は俺に確かに魔術と武術の技術を身につけさせた。


 その結果、学んだこと。


 それは足りない魔力は体力で補い、足りない体力は魔力で補うということだ。


 この辺りは前にいた世界とは大きく違う。


 ルル先生には大きな筋肉はない。きっと前の世界を生きていたらここまで激しい動きなんてできなかっただろう。


 逆にこれだけのパフォーマンスを出せていたとしたら彼女は筋骨隆々になっていたに違いない。


 が、この世界では違う。男女差や年齢差は魔力によって補える。


 そういう意味ではこの世界は老若男女全てにおいて平等な世界と言っても過言ではない。


 そして、俺にもまだ体力はない。だから魔術を鍛えて鍛えて鍛えまくるしかないのだ。


 魔力は俺のような幼い筋肉では実現できないような大きな跳躍や素早い動き、さらには力強い打撃能力を与えてくれる。


 初めは意識をしなければ魔力は使えなかったが、先生に打ちのめされ続けている間に無意識に魔力を操ることができるようになってきた。


 そして、スパルタ教育を受け初めて数年が経ったところで、俺はわずかに手応えを感じるようになった。


 それはとある夜にルル先生とかくれんぼをしていたときのことだ。


 あ、かくれんぼなんて聞いたら遊んでいるように聞こえるけど、そんな生優しいものじゃないっす。


 このかくれんぼは二つの意味で鬼である先生が、目を積むって六〇秒を数える間に身を隠し、その後先生から一定時間逃げ切るというものだ。


 先生は気配を消し、密かに俺に忍び寄りナイフ型の小さな木刀で襲いかかってくる。


 襲いかかられたら俺は木刀で応戦をする。


 さっきも言ったが先生は涼しい顔をして本気で俺を殺しにきた。


 先生に半殺しにされないためにも必死に気配を殺さなければならないのだ。


 まあ、すぐに見つかるんだけどね。


 が、ある日、俺は不思議に思った。木の陰や落ち葉の下など視覚的には一切見えない場所に隠れていても先生が簡単に俺の居場所を見つけることに。


 どれだけ息を殺しても、どれだけ遠くに隠れても先生はいとも簡単に俺を見つける。


 彼女にバレる理由、それは動いたときの落ち葉の音でもなければ、呼吸の音でもない。


 彼女の嗅覚が反応するのは俺の体から出る魔力だった。


 この世界には第六感が存在する。なんて言うと急にオカルティックに聞こえるけど魔法の存在するこの世界ではオカルトなど当たり前である。


 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、そしてこの世界には魔覚が存在する。


「魔法を使用すればわずかに魔法波という空間の揺れのようなものが起こります。これは魔法を使用したときに周囲に放たれる魔力の波です。この波を感じる感覚は後天的なもので、魔法波を感じれば感じるほどに感覚は研ぎ澄まされていきます。まあ今のウィレムさまには到底感じることはできるとは思えませんが」


 相変わらずのドS口調でいつの日かルル先生からそんなことを学んだ。


 ルル先生の舐めた口調に闘志をむき出しにした俺は、その日から必死で魔法波を意識するようになり、数年経ったところでわずかではあるが波を感じられるようになった。


 もしかして先生はこの魔法波を頼りに俺を見つけ出しているのではないか?


 俺が最初に抱いた疑惑である。が、隠れているときの俺は息を潜めているだけで魔術なんて使っていない。


 それなのに先生は俺を見つけ出す。


 その結果たどり着いた俺の結論は、人間というものは生きているだけでわずかに体の外に魔法波を放出し続けているのではないかというものだった。


 前世の世界でも人間は常にわずかに赤外線を放出していると聞いたことがある。


 だったらこの世界でも赤外線同様に魔法波を放ち続けているのではないかと考えたのだ。


 だけど人間は常に魔法波を放出し続けている。これは無意識にだ。


 そんな俺の魔法波を先生が嗅ぎとることができるとしたら俺に隠れる術はないのではないか?


 毎晩のように先生からアザだらけにされて考え続けた俺はとある結論にいたった。


 あえて魔法波を放出して魔法波を打ち消せばいいのではないか?


 この結論に至ったのは前の世界のノイズキャンセルイヤホンの事を思い出したからだ。


 ノイズキャンセルイヤホンはノイズと逆方向の波形を作り出してノイズを相殺している。


 その日から俺は自分の体から放出されるわずかな魔法波を感じ取る訓練を行った。


 自分の魔法波の感覚を掴んだところで、今度はそれとは違う別の魔法波を体外に放出し、魔法波が相殺される波形を探し続けた。


 そして、見つけた。


 さっそくその成果をかくれんぼで披露したところ、いつもよりも一五分も長く隠れることに成功する。


 まあ、集中力が切れたタイミングでバレたのだけれど。


「ウィレムさまにも少しは猿知恵があるようですね」


 そんな俺のことをルル先生は無表情のまま、褒めているのか貶しているのかわからない言葉で評した。


 が、彼女が次に口にした「そろそろ私も手加減を止めてウィレムさんと戦わなければなりません」という言葉で血の気が引いた。


 現にルル先生は次の日から手加減を止めた。彼女は自分自身の魔力波を自在に使い始めたのだ。


 かくれんぼの最中、先生の魔力波を感じた俺は、先生を返り討ちにしようと木の陰から飛び出して木刀を振るう。

 

 が、俺が木刀を振るった相手は木だった。


 直後、俺の頭に鈍痛が走りその場に倒れ込む。


 鈍痛を食らわせてきたのは当然ながらルル先生。


 俺の予想した場所とは真逆の方向から姿を現した先生はその場に倒れる俺を冷ややかな目で見下ろしてきた。


「やはり猿知恵は猿知恵ですね。たどり着いた答えに満足しているだけでは私には勝てませんよ?」


 そんなありがたいお言葉を頂戴した俺は再び頭を働かせる。


 そして俺は先生が何をしたのかに気づいた。


 先生は魔法波の反射を利用したのだ。木に魔法波をぶつけて反射した魔法波を俺にぶつけた。


 けどさ、感じる魔法波が直接放たれたものか反射したものかなんてわからないじゃん?


 どうやって見分ければいいんだよ……。


 だがルル先生は答えのない課題を俺に出さないという自信があった。


 だから、その日から俺は城の中でも森の中でもひたすら魔力波を反射させて、魔力波の形や強さ、さらには広さを研究して答えを導き出す。


 なんてことはない。全ての魔力波の動きを察知して位置を割り出すだけだ。


 先生の放つ魔力波にはあまり指向性がない。ある程度魔力波に幅があるおかげで、わずかではあるがあらゆる物に反射して俺のもとへとやってくる。


 その微細な反射を嗅ぎ取ってすぐに魔力波の発生源を特定する。これで俺は反射に騙されることなくルル先生の場所が割り出せるようになった。


 そこからはお互いに化かし合いだ。お互いにデコイのように魔力波を発して動きを攪乱させる。


 そうこうしているうちに俺はこの魔力波の指向性を操ることができるようになり、わずかに先生よりも優位に立てるようになった。


 そして先生との鍛錬が始まり一〇年が経ったある日、俺はついにルル先生とのかくれんぼに勝つ。


 と言っても木刀でルル先生の頬にわずかにかすり傷をつけただけだけどな。


 切られた先生が見せた動揺の表情と、その直後悔しさに俺を睨みつけた目はおそらく一生忘れることがないだろう。


「俺の勝ちだよな?」


 いつの間にか声変わりした声で、いつの間にか自分よりも身長の低くなった先生を見下ろしてそう尋ねる。


 先生の方は一〇年前から一切見た目は変わっておらず、傍から見れば俺の方が年上に見えたとしてもおかしくない。


 俺の問いかけに先生は「はぁ……」とため息を吐いた。


「私のような老いぼれ相手に一度勝っただけで、鬼の首を取ったような物言いですね?」


 老いぼれ? 本気で言ってんのか? 見た目はどう見ても中学生の女の子だぞ?


「負け惜しみか?」

「いえ、負けを素直に認めましょう。ウィレムさまも少しは魔力を操れるようになったということです」

「これでもまだ少し魔力を操れたレベルなのかよ」

「そうです。ウィレムさまはまだまだひよっこです。ですが、私がもうウィレムさまに教えられることはありません。約束通り一〇年が経ったことですし、独り立ちの時です」

「そ、それって……」

「最近では国王陛下が本格的にルワンさまに権力を委譲しつつあります。このままではウィレムさまの命も危ないかと。城を出るのであればこれ以上のタイミングはありません」


 俺はルル先生から認められた。そのことに気がつき感激のあまり膝から崩れ落ちる。


 やったんだっ!! ついに逃亡の許可をもらったんだっ!!


 俺はこれまでそのためだけに頑張ってきた。そしてその努力がようやく実ったのだ。


 別に涙が出てくるわけではない。が、それでも言い表しようのない感情がこみ上げてきて、笑っているのか泣いているのかわからない表情を浮かべてしまう。


「嬉しいですか?」

「そりゃそうだよ。だって俺はこのときのために本気で頑張ってきたんだぜ?」

「そうですか……だとしたらがっかりですね」

「がっかり? ど、どうして?」

「ウィレムさまは外の世界をまだご存じではありません。あなたはそれで強くなったおつもりかも知れませんが、まだ一人前とはほど遠い実力です。何せこれからウィレムさまの命を狙うであろう刺客は王国屈指の凄腕なのですから。それらの者と比べればまだまだひよっこです」

「で、でも一回とはいえルルに勝ったんだぞ?」

「私のような老いぼれに勝ったらなんだと言うのですか? 私なんて吹けば飛ぶようなただのメイドです。ウィレムさま、ご自身の力を過信していると身を滅ぼしますよ?」


 そう言ってルル先生は俺の頭を撫でた。そして、無表情の顔をほんのわずかに緩める。


「ですがまあ今日一日ぐらいはその過信を許してあげましょう」

「ルル……」

「くどいようですがウィレムさまはまだひよっこですし、私もただのメイドです。決して明日からはご自身の力を過信なさらない方がよいかと」

「肝に銘じます……」


 そうだ。俺は外の世界を知らないのだ。城の外にはルル先生よりも強い人間は無数にいるだろうし、俺だってまだまだ弱い。


 そのことを肝に銘じよう。


 このときの俺は本気でそう思った。


 が、このときの俺はまだ知らなかった。


 この広い世界にルル先生よりも強い人間などそうそういないことに。


 そして、そんなルル先生相手に一回とはいえ勝利することのできる人間もそうそういないことに。


 俺は良くも悪くも自分の相対的な能力を理解できないまま、城から逃亡を図ることになった。


――――――

ということで一〇年ぶっ飛ばしました。ウィレムくんが良い感じに勘違いをしたところで、次話からいよいよ逃亡が始まります。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る