第2話 逃走計画
不幸とは重なるものである。
父が亡くなりしばらく経った頃、母親が咳をくり返すようになった。
それからすぐに母は医者に診て貰ったのだが、診断の結果は前世で言うところのアレルギーのようなものらしいことがわかった。
なんでも季節が変わり急に気温が下がったことにより、体が気温に順応できずに体調を崩したのだという。
まあ、大事に至らなくて良かった。
なんて安心していた俺と母だったが、冬になっても春になっても母親の咳は治まることなく、それどころか悪化するようになる。
結局、俺と母はその後も何人もの医者に診てもらったが、これと言った病名は見つからず夏になったある日、彼女は死んだ。
彼女との付き合いはたった六年弱だ。
はっきり言って前世での親と過ごした時間の方が長かったし、本当の意味で彼女を親だと思えたのかはわからないが、それでも俺は彼女に愛情を持っていたし、彼女も俺に愛情を持って接してくれた。
少なくとも俺にとっては大切な人だったことには違いない。
彼女を父親の墓のすぐ隣に埋葬してやり、手を合わせて心の中で感謝を伝える。
ありがとう母さん……。
城の裏庭に並ぶ二つの墓にしばらく手を合わせてから、城へと顔を向けた俺は思う。
母との別れは辛いが、これで俺と王家をつなぎ止めておく理由はなくなった。
心置きなく王国を脱出する覚悟が決まった。
あ、そうそう両親が亡くなってから変わったことがある。
それはリクテン王国の王子である俺に、城での居場所がなくなったことだ。
端的に言えば国王であり叔父であるザルバ四世が、露骨に俺の排除に動き出した。
俺についていた家庭教師たちは全て解任され、代わりに国王の嫡男であり俺の従兄弟に当たるルワンに徹底的に帝王学を学ばせることになった。
まあ要するに国王は俺ではなくルワンに王位を継がせたいようだ。
俺は暇になった。
おそらく叔父は俺がさぞかし悔しがっていると思っているだろう。
だが、言わせて貰おう。
っしゃあああっ!! きたああああああっ!!
これが俺の偽らざる気持ちでございます。
こちとら前世は過労死しているんだ。せっかく転生して新しい命を手に入れたのにまた過労死なんてしてたまるかってんだよっ!!
国王の露骨な俺への嫌がらせを、俺は嬉々として受け入れることにした。
さて、これで俺は自由を手に入れた。後は従兄弟に王位を譲ってイージーモードな生活を送るだけだ。
まあ、そんな甘い話はないんだけれどね……。
多分だけれど、いつか俺は叔父に殺されると思う。
俺が幼かったという理由で王位を継いだ叔父だったが、その実態は王家の乗っ取りである。
さっきも言ったとおり、叔父は俺ではなく従兄弟のルワンに王位を継がせようとしている。
そうなると叔父にとって目の上のたんこぶはどう考えても俺だ。
なぜかだって?
そりゃ俺が王位継承順一位の座にいるリクテン王国の第一王子だからだよ。
つまり俺が生きている限りルワンに王位を継がせることができない。が、ここで強引に俺から継承権を奪い取ってルワンに渡したとしたら、他の分家が黙っていないだろう。
本家と分家を巻き込んだお家騒動になるに違いない。
つまり国王としては俺にできるだけ不幸な事故として死んでいただきたいというのが本音だろう。
だから脳天気に城で悠々自適な生活ができるほど楽観的な状況ではない。
じゃあどうするべきなのか?
決まっている。城から逃げるしかない。前世の俺は逃げることをしなかったから死んだ。
せっかく記憶ごとこの世界に転生したのだ。これがどれほど珍しいことなのかはわからないけど、せっかくの記憶を無駄にして死ぬのは嫌だ。
だから、母の喪が明けたタイミングで俺は準備を始めた。
とりあえず屋敷から持ち運びが容易で高く売れそうな物をかき集めてリュックに詰め込んでいく。
幸いなことに俺は王家の人間だ。城を歩いていれば金目の物はいくらでも見つかるし、それを俺が持ち出してもそれを咎める人間はいない。
貴金属で出来た杯や、よくわからない小型の壺のような物を詰め込んでいくとすぐにリュックはパンパンになった。
よし、これでいい。
物の価値はよくわからないが、少なくとも俺が大人になるまで金に困らない程度の価値はあるだろう。
もしかしたら俺一代が慎ましく暮らすだけなら、十分な資金を確保できるかも知れない。
あとは逃げるだけ。
ということで逃亡当日。俺はいつものように叔父からテーブルマナーがなっていないだとか、これだから兄の子は無能だとか散々なことを言われながら一日を過ごすとベッドに入った。
当然ながらベッドの中にはリュックを隠している。
あとはひと気が減ったところで屋敷を飛び出すだけだ。
あらかじめ警備が手薄な場所や、人目につかない逃走経路は頭に入っている。
何せ六年間も生きた家なのだからな。
ということでベッドに潜り込んだまま時が来るのを待つ。
この世界に来てこの瞬間ほど、時間が長く感じられることはなかった。それでも必死に耐えて前の世界で言うところの丑三つ時と呼ばれる時間帯に差し掛かったところで俺はベッドから降りた。
椅子を使って窓をよじ登り外を眺めると城門近くで二人の衛兵が退屈そうにたばこを吸っているのが見える。
バーカ、城門をいくら見張ってたって俺のことは見つけられないぞ?
俺の逃走ルートは城を囲むように建てられた城壁だ。
我が屋敷は築三〇〇年近いということもあり老朽化が進んでいる。
まあ戦争にも一〇〇年以上巻き込まれていないので、城の防衛という意味では老朽化が進んでいてもあまり問題はないのだけれど、城壁の煉瓦が一部崩落している場所がある。
まあ崩落と言っても子ども一人がやっと通れるレベルの小さな穴が開いているだけなのだけど、俺にとっては子どもがやっと通れるレベルの穴があれば十分だ。
その穴から城を抜け出して、その後は丘に降りてできるだけ城の遠くへと逃げる。
そこで盗んだ物を売りさばいて、あとは馬車にでも乗ってさらに遠くに逃げよう。
うむ、完璧な作戦だな。
ということで俺は忍び足でドアまで歩いて行くと部屋のドアをわずかに空けて外に衛兵がいないことを確認した。
よし、いない。
が、まだまだ油断は禁物だ。夜中にリュックを背負って城内を歩くのは不自然すぎるのだ。誰かに見られれば確実に国王に告げ口をされる。
逃げようとしたことがバレれば下手したら、二度目のチャンスはないだろう。
落ち着け俺……チャンスは一回だけだぞ。何が何でも城から脱出して自由をつかみ取るのだ……。
そう自分に言い聞かせてゆっくりとドアを開こうとした……のだが。
「ウィレムさま、どこかにお出かけですか?」
「ひゃっ!?」
そんな声が聞こえて心臓が凍りつきそうになる。
しかも声が聞こえたのは部屋の外……ではなく内側だった。
慌てて振り返ると、いつの間に部屋に入ったのだろうか、部屋の中央にはメイド服姿の美少女が立っていた。
「ウィレムさま、聞こえませんでしたか? どこかにおでかけですか?」
「…………ルル……」
こいつは俺の専属メイドのルルだ。
俺が幼い頃から俺の身の回りの世話から身辺警護にいたるまで、おんぶに抱っこ状態のメイドである。
いつものように彼女の無表情な童顔が、月明かりに照らされてわずかに見える。
どうでもいいがこいつは俺が幼い頃から一〇代半ばにしか見えないこの童顔で俺の世話をしてきた。
聞いたことはないけど、こいつはいったい何歳なんだ?
いや、今はそんなことはどうでもいいか……。
「ど、どうしてルルがここにいるんだよ……。というかいつの間に部屋に入った?」
「ここのところウィレムさまが不可解な動きをされていたので、ずっと監視しておりました。部屋にはウィレムさまがベッドに入る前からいました」
「っ…………そ、そうか……」
「で、ウィレムさまは、どちらにおでかけですか?」
どうやらこのメイドは部屋のどこかに隠れていたようだ。残念ながら彼女の気配に気づくことができなかった。
「ちょ、ちょっと外の空気を吸いたくて裏庭に行くだけだよ。お前の案ずることはない」
「わざわざリュックを背負ってですか?」
「…………」
苦しい言い訳なのはわかっている。が、こう言い訳をして難を逃れるしかないのも事実だ。
冷や汗をかきながら引きつった笑みを浮かべて言い訳をしていると、彼女は俺の元へと歩み寄ってきて、頭一つ以上背の低い俺を見下ろす。
「ウィレムさま、城から脱出されるおつもりですね?」
完全にバレていた……。
ルルは洞察力に優れた優秀なメイドである。いや、それどころか、こんな華奢な体で俺の身辺警護をやっているゴリゴリの武闘派である。
なんでも俺のメイドをやる前は、王国の諜報部門で働いていたとかなんとか……。
そんな彼女に脱出がバレてしまっては力尽くで逃げるのは不可能だ。
俺はその場に崩れ落ちる。
「た、頼むよルル……見逃してくれ。このまま城にいたら俺はいつか叔父さまに殺されるんだよ……。それぐらいルルだって見ていればわかるだろ?」
そうなったら泣き落とししかない。
俺は出ない涙を手で拭う振りをして感情でルルに訴えかけてみる……が。
「嘘泣きをしても無駄です」
あっさり看破された。そして、続けざまに彼女は続ける。
「ウィレムさま、はっきりと申し上げますが見立てが甘いかと」
「は? 甘い? 何がだよ」
「全てにおいてでございます。ウィレムさまは陛下に殺されるのが怖いとおっしゃっていましたが、城を逃げたところでその可能性は変わらないかと」
「はあ? なんでだよ。金を作ればそれなりに遠くには逃げられる。王国を脱出すればそう簡単に見つからないはずだ。それに俺がいなくなれば国王だって心置きなくルワンに王位を継承できるだろ?」
少なくとも城で暗殺の恐怖に震えながら生活をするよりはマシだ。
「その考えが甘いと申し上げているのです。まあガキの頭ではその程度の知恵が限界でしょうが」
「が、ガキ……」
「何か間違っていますか? ウィレムさまはまだガキです。ウィレムさまのその甘ったれた考えは全て甘いと申し上げております」
「じゃあ、逆にこれ以外に冴えたやり方はあるのか?」
ルルを睨んでやる。が、相変わらず彼女の表情はピクリとも動かない。
「その前にウィレムさまの考えがいかに甘いか説明いたしましょう」
「ほぅ……お聞かせ願いたいね」
「まずは盗品の現金化についてでございますが、ウィレムさまのような幼いガキを相手に商人たちが正当な金額で買い取るとは思えません。良くて二束三文、それどころか治安維持隊に通報されて拘束される恐れもあります。いえ、それはまだマシな未来かもしれませんね。ガキが高級品を背負っているのがバレれば、リュックごと盗賊に奪われるでしょう。そうなればウィレムさまの命も危ないかと」
「…………」
「仮に良心的な商人に出会い、正当な金額で買い取ってもらったとしましょう。その場合でもクリード家がウィレムさまの命を狙って地の果てまで追いかけてくるでしょう」
はあ? どうしてそうなる。
「俺がいなくなればルワンが代わりに王位を継承することになる。叔父さまだってそうなればもう俺を恐れる必要もないだろ?」
「それが甘いと申し上げているのです」
「いや、なんで?」
首を傾げる俺にルルはため息を吐く。
「クリード家にとっては国王の血を引く者が存在するというだけでリスクなのです。仮に誰かがウィレムさまを担ぎ上げて、王位の奪還を目論もうとしたらどうするのですか? ウィレムさまは第一王子でございます。陛下がウィレムさまを冷遇していたことがバレれば、民衆たちがウィレムさまを正当な後継者とみなす可能性は大いにございます」
「いや、別に俺は王位になんて」
「それも甘いです。王位の正当性を主張するのにウィレムさまの意思は関係ございません。ウィレムさまを担ぎ上げる者たちはウィレムさまを利用して、自分たちの地位を向上させることを目論むのです。仮にウィレムさまにその気がなくても、力尽くで後継者を主張させられるでしょう」
「…………」
確かにルルの言葉はごもっともだ。
叔父にとっては俺が生きているだけでもやっかいだと思う可能性は大いにある。
「ウィレムさまがどれだけ逃げようと所詮ウィレムさまはガキです。王国が暗殺者を送り込めばあっさり見つかって秘密裏に殺されるでしょう。そういう意味では城で生活をされた方が安全です。向こうも白昼堂々ウィレムさまの命を取るわけにはいきませんので」
「だ、だったらどうしろって言うんだよ……」
そこだ。確かにルルの言葉には一理ある。が、だったら俺はどうすればいいのだ?
いくら向こうが白昼堂々と殺すことができなくても、彼らが俺の命を狙っていることは確実なのだ。そんな中を命の危機に晒されながら生きていけというのか?
「強くおなりください」
「はあ?」
「いくら刺客を送られても返り討ちができるくらいに強くおなりください。幸いなことに私には暗殺の心得がございます。そうですね。一〇年もあればウィレムさまを強くさせてみせる自信がございます。逃げるのはそれからでも遅くないのでは?」
「じゅ、一〇年っ!? 一〇年間もこの城で暗殺の恐怖に怯えながら生きていけって言うのか?」
「ご安心ください。暗殺者どもにはウィレムさまに指一本触れさせない自信がございます」
「…………」
こいつが自信満々で言うのであればきっと本当にそれができるのだろう。
何せルルは俺の亡きお父様の統治時代からもっともクリード家に信頼されたメイドである。
その戦闘力も折り紙付きで、お父様が外遊に出かけるときにも彼女は警護としてかり出された。
「本当にお前を信じていいのか?」
「少なくともその無計画な逃走よりは可能性が高いでしょう」
「…………」
俺に選択肢などなかった。どうせ逃げようとしてもルルに力尽くで止められる。そして、一度逃走がバレてしまった以上、彼女は常に俺を監視するようになるだろう。
もはや城から逃げるという選択肢は残っていない。
俺はリュックを床に下ろして降参すると、次の日から彼女とともに武術の鍛錬を始めることにした。
――――――――――
お読みいただきありがとうございます。
一〇年は長いですが、次話では一〇年後に飛ぶので物語はサクサク進む予定です。
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