第7話 襲来(曹操軍)

 城外には既に薛梯せつていがかけた招集に応じた兵卒たちが集まっている。誰も声を上げてはいないも顔には言い表せぬ不安が滲んでいる。それを目の当たりにしても張遼ちょうりょうは指摘することなく普段通りに大きく歩みを刻む。


 パチパチと弾ける篝火の音に軍靴の音。それだけがその場を支配している。自分には不安はない、これより起こることに誰一人も憂慮を抱いていないのだと証明するように。


 全員を見渡すことが出来る場所に到達すると張遼の後ろを楽進がくしんたちが固める。準備が整ったことを確認すると張遼は口から息を吸い込み、腹に送り込む。


「話は諸君が聞いている通りだ。孫権軍が現在この地に大軍で進んできている。数は10万と報告が上がっている」


 10万というのはあくまでも動員できると言われているだけで確定事項ではない。だが、可能性の段階であっても最悪の状況を伝えておくべきと判断した結果だ。


 耳にした兵卒たちの間からは抑えていた声が上がる。多くは現状を悲観する声が大半締めているが、一部には不俱戴天の声もある。どよめきを落ち着けて張遼は言葉を繋げる。


「だが、私は…。我々は退くつもりはない。徹底的に戦う。そのために敵が動き出す前に強襲を仕掛ける算段を立てている。諸君たちの心意気はどうだろうか?」


 威圧することなく張遼は兵卒たちに語り掛ける。


 ここで重要なのは自分たちの意思で戦意を奮い立たせること。恐怖で縛り上げようとして解決する状況ではない。ただ、この空気の中で手を上げることが出来るほど勇気ある者は中々出来てこない。これについては楽進たちとも懸念した通り。ここからが本当の山場だ。


 スーッと息を吸い込んだところ、兵卒たちは身構える。怒鳴られると思ったからだろう。そんなつもりは張遼にはない。語り掛ける、語る言葉は、最初から決まっている。


「私は呂布りょふ軍から下った新参者だ。そこに居られる楽進殿や李典殿から見れば私は頼りないように見えるだろう。結果的にとはいえ私は主を幾人も変えることになっているのだ」


 張遼の語りに誰も口を挟むことはない。固唾を飲んで見守っている。自分の心音だけが嫌というほどに聞こえる。


「しかし、そんな某を殿は殺さずに拾ってくださり、あまつさえこの合肥という要衝を守る大役を与えてくださった。故に某はその大恩に報いなければならない。この地を護り、その先にある多くを護る。諸君たちは何故ここに居る?」


 誰も答えない。思案しているのか、逃げ出そうとしているのか。この沈黙は居た堪れない。危急存亡の秋を眼前にして自分の語る言葉はそれほどまでに説得力が無いのかと考えてしまいそうになる。それが今この場で最もあってはならない考えであるはずなのに今にも噴き出しそうになっている。その最中で1人が前に出、拱手こうしゅをする。発言の許可を求めていることが伺え、当然と許可する。


「私はこの地の生まれです。人らしい生活を送れるようになったのは曹操様のご尽力があってこそと理解しております。心意気は将軍と同じです。どうか、共に戦わせてください」


 淡々としていて、微動だにしない表情ではあったが言葉の1つ1つに確かな熱が感じられた。それが綱を切ったように後から兵卒たちが続く。狙って動かした展開ではあったのだが、想った以上に彼らの底に在った熱意を刺激することが出来たようだ。


「自分は許の近くから来ました‼奴らの進む先には家族が居ます‼絶対に奴らを進ませることなど出来ません‼」


「自分もかつて曹操様に救われた身です‼どうか自分もお供させてください‼」


 ついさっきまで平静を保っていた大海は今や激しく波打っている。戦いはまだ少し先であるにもかかわらず今にも飛び出してしまいそうな勢いを目の当たりにして張遼は胸をなでおろした。

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