4. 龍兄妹の不本意な寵妃
4-1
桃花宮の窃盗事件が明るみに出た数日後。
皇帝・雲奎は最愛の妹である美羽蘭に呼び出されていた。
「ちょっと、お兄様! お兄様からも瑞花に何か言ってやってください!」
「どうしたんだ、美羽蘭」
「どうしたもこうしたもありません、彼女、今回の一件をわたくしに処理させるために、自分のみを犠牲にしたのですよ!?」
聞けば、どうやら瑞花はわざと場をかき乱し、首を絞められてまで窃盗事件を美羽蘭に処理させようとしたらしい。
その、いささか無鉄砲すぎる献身を聞き、雲奎は内心溜息をこぼした。
使える。
瑞花に対しての第一印象は、それでしかなかった。
使える島国の姫。
そして、それにより美羽蘭の負担が軽減されればいいと思っていた。
本人もさほど害がなく、雲奎の霊体姿が見えるという点を踏まえても、使える人材ではあったのだが。
ただ、単純に使えると利用するにしては、彼女はいささか規格外すぎた。
まず、後宮にいるのにまともに食事にありつけていないというのが、雲奎には衝撃的だったのだ。
なんせ、腐っても自分の管轄である。まさかそこで、島国というほとんど注目されていない下級妃が冷遇されていたとは。
何より衝撃的だったのは、本人がそれに対して無頓着なことだろう。
というより……あの口調は、慣れている感じだった。
つまりそれは祖国でも、似たような生活をした経験がある、ということだ。
それなのに、ひどく聡明で知識豊か。だが自分の身の安全に関して、無鉄砲で無頓着。
大人らしく、されど子どものように無垢。
雲奎は困った、大いに困った。
それは何故か。
――瑞花に対して、庇護欲というものが芽生えてしまったからだ。
それも、どちらかというと美羽蘭に向けるような、家族に対しての庇護欲だ。きちんと見守っていなければこのまま死んでしまいそうな危うさがある。
困ったものだな……今、宮廷も騒がしいのに。
というのも、巷では今、若い娘が相次いで行方不明になる事件が勃発しているからだ。
『若い娘』だけがいなくなったため、「
玃猿というのは、猿に似た見た目を持つ怪異の一種だ。若い娘を攫って子どもを産ませ、子を産んだ娘を人里に帰すなんていう習性を持つ。
そのことから玃猿の仕業だとされているようだが、事件が起きているのは城下だ。わざわざこんな場所まで怪異が攫いにくるとは考えにくい。
かといって、その人数があまりにも多いため、人攫いの仕業とは思えないのだ。もし本当に人攫いの仕業なら、今頃犯人は見つかっているはずなのだから。
なので雲奎はこの一件に、宮廷の高官か豪家が絡んでいるのではないかと考えているのだった。
治世を整え、宮廷の闇を暴くのは雲奎の目標の一つだ。なのでもしこんな大胆な行動に移るようになったのであれば、見過ごすわけにはいかない。
それに、あまりにも市井の治安が乱れれば、それは付け入る隙を与える要因になる。雲奎の計画を問題なく進めるためには、そのような機会を与えるわけにはいかなかった。
されどこのまま瑞花を放っておけば、貴妃の派閥に何かしらの制裁を加えられるだろう。
雲奎はまったく興味がない上に、目的が別にあるため夜伽をしていないが、あれだけの金を後宮に贈れるだけの財力があるのは、貴妃の実家くらいだ。それもあり、彼女は後宮内で絶大な権力を持っている。
美羽蘭がいるからこそ今は鳴りを潜めているが、彼女が嫁げば後宮をすぐさま掌握してしまうだろう。それは雲奎としても困る。
何より、瑞花を見出したのは雲奎だった。そんな彼女がこうして日の目を浴びて危険に晒されそうな以上、彼が守ってやるのは道理だろう。それに瑞花の行動が、美羽蘭と後宮の秩序を整えるのに一役買ったのは事実なのだし。
そう思った雲奎は、頷いた。
「分かった。今回の窃盗事件の褒美として、彼女に
「……そんな回りくどいことをせずとも、お兄様の寵妃にしてしまえばいいじゃない」
「美羽蘭」
諭すように。雲奎は言った。
「前から言っているように、わたしは妃を持つつもりはない」
「……」
「皇帝で居続けるつもりがないからな」
「……お兄様、でも」
顔をしかめて雲奎のことを慮る可愛い妹に、彼は笑みを浮かべて頭を撫でた。
「美羽蘭。これはもう決めたことだ」
「……」
「それに今の後宮はそのまま、弟に譲ってやるつもりで整えているのだからな。わたしが手を出してしまったら意味がない」
そう言って聞かせると、美羽蘭は黙って頷いた。
最後の最後まで雲奎のことを案じてくれる妹に優しい眼差しを向けながら、雲奎は瑞花のことを考える。
わたしの重用する宦官だということは、見る者が見れば分かるはず。その時点で、大多数の人間が瑞花に手を出すのをやめるだろう。
美羽蘭のお気に入りというだけでなく、皇帝も周知の美羽蘭のお気に入り、になるわけだ。抑止力にはなる。
この一手が、あの世のすべてを達観したような、誰からの愛も求めていないような彼女を守る一手になることを祈って。
そう思いながらも、雲奎は今手元にある問題をこれからどう片付けようかと、頭を悩ませたのだった。
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