3-3

 その後、瑞花は美羽蘭と共に客間から退散していた。

 その廊下で、瑞花は気になった宮女の一人に声をかける。


「あの」

「なんでしょう」

「桃花宮の皆様は金で作られた簪を挿していますが、もしかして貴妃様から下賜されたものでしょうか?」

「そうです」


 宮女は胸を張った。


「貴妃様はわたしたちにも分け隔てなく接し、時折装飾品を下賜してくださいます。ですから桃花宮のものであれば下女でも、金で作られた装飾品をいただけるのですよ」

「そうなのですね。貴妃様は大変素晴らしいお方ですね」

「もちろんです」


 にこりと微笑みながら、瑞花は首を傾げた。


「その。よろしければ簪を見せていただくことはできますか……?」

「はい?」

「金で作られたものを見るのは初めてでして……」


 そう言えば、彼女は瑞花に対して憐みの視線を向けてくる。


「それならば……少しだけですよ」


 そう言い、手渡された簪を、瑞花は受け取った。そしてまじまじと見つめる。


(……彼女たちが入ってきたときから思っていたけれど……これ、やっぱり)


 そう思いながら。

 瑞花は、なんだかどんどん機嫌が悪くなっていく宮女の視線に気づき、簪を返した。


「ありがとうございます」


 そしてそのやりとりを最後に、一同は桃花宮を後にしたのである。



 ◇◆◇◆◇



 それから美羽蘭と別れた瑞花は、日が暮れるまで後宮内を歩いて回っていた。


 何を探しているのか。

 それは、『かぶれる植物』だ。


(やっぱり、後宮に漆なんてないのよね……)


 かぶれる植物の代表といえば、漆だ。あれは触れるだけでひどいかぶれを起こす。

 しかしここは後宮。山ではない。割と後宮を徘徊している瑞花も見かけたことがなかった。


 となると、別のものということになる。

 それもあり歩いていたのだが、彼女は結局ある場所に帰ってきていた。


「……やっぱり、後宮でかぶれそうな植物がある場所なんて、ここくらいなのよね……」


 そうぼやきながら、瑞花ははらはらと落ちてくる黄色い葉を見上げた。

 すると。


「――こんな時間に、こんな場所で何をしている」


 背後から声をかけられ、一瞬体を硬直させる。

 しかし聞いたことがある声だったことに気づき、そっと振り返った。


 そこには、黒髪をした皇帝・雲奎がいる。

 しかも宦官の衣を身にまとっていた。


「……陛下、何故宦官の衣を……?」

「なんだ、騙されんのか」

(騙されると思っていたのですか……?)


 鬘だろうか。いくら黒髪をしていようが、話せばその美声が耳朶を打つ。そしてこんなきれいな声をした人を、瑞花は一人しか知らなかった。

 むしろ瑞花としては、霊体ではないかと思い足元の確認をしてしまった。足があったので、心の底から安心する。


 それよりも気になるのは、どうして雲奎が一人だけ供の宦官を連れて、変装して後宮にいるのか、だった。


 それが顔に出ていたのか、雲奎はため息をこぼした。


「……美羽蘭に頼まれたのだ。君が何やら真剣な顔をして出て行ったから、どこにいるのか確かめてくれ、と」

「公主殿下が」

「ああ。それで探せばここにいた、というわけだ。会えたのは運がよかったな」

(本当に会えてよかったです……)


 瑞花は人知れずぞっとした。自分のせいで皇帝を歩き回らせていたなど、大問題だ。

 それに瑞花は後宮内を歩き回っていたので、最悪会えなかった可能性もある。そうなったときのことを考えると、恐ろしい。

 同時に、雲奎は本当に美羽蘭に頭が上がらないのだなと思った。もしかしたら以前怒っていたことのご機嫌取りかもしれない。


(だとしても、彼は皇帝という立場なのだから、そんなもの気にせず横暴にふるまってもいいはずなのに……)


 瑞花にとっての君主は、父帝だった。


 横暴で傲慢。

 息子たちに後継者の座を争わせ、その様を楽しんで見ているような性悪。

 そして娘たちを貴族たちとの繋がりを得るためにものとしてしか見ておらず、平気な顔をして売り飛ばす害悪。

 しかしそのどれにも、雲奎は該当しない。それがとても不思議だ。


 そんな瑞花の心情などつゆ知らず。雲奎はふと顔を上げた。


「……公孫樹こうそんじゅか」


 そう言われてから、瑞花はそれが『銀杏』の別名であることに気付いた。


(そっか。国が違えば呼び方も違うわよね)


 はらはらと落ちてくる黄色い葉を同じように見上げ、瑞花は頷く。


「はい。この時季の公孫樹銀杏は美しく色づいていて、綺麗ですね」

「そうだな。だがまさか、観楓かんぷうをするために来たわけでもあるまい」


 瑞花はこくりと頷いた。


「はい。かぶれる植物が後宮のどこにあるのか、それを確認するために、歩いておりました」

「なるほど。それで公孫樹銀杏か」

「はい」


 銀杏、正しくは銀杏の実が、かぶれる要因になるのだ。瑞花も昔、銀杏の実を食べるためにやらかした。

 ちなみに、美羽蘭のお気に入りという称号をもらうまで食事が届くのがまちまちだったので、ここでも拝借していたことがある。


「陛下は、この時季のここが妃嬪方に人気で、下女たちに不人気なことをご存じですか?」

「知っている。観楓をするにはいい場所だが、掃除をするのは大変だろうな」

「はい。実をうっかり踏んでしまったら匂いも付きますし、触れてしまえばかぶれてしまいますから」

「……それと、貴妃の宮殿で起きている呪いに、一体何の関係性があるのだ?」


 瑞花は、はらりと落ちてきた葉を手のひらで受け止めてから雲奎を見た。


「……実を言うと以前、ここで公孫樹銀杏の実を取っていたことがあったのです」

「……何故だ?」

「食事をいただけないことがあったので……自分で食料調達を」


 素直にそう言えば、雲奎だけでなくその後ろに控えていた宦官にも、信じられないものを見るような目で見られた。それを見た瑞花はうっかりしていたなと思う。

 しかし今大切なのはそこではなかったため、話を続けることにした。


「しかしある日、そこで宦官にあったのです。彼は私を下女と間違えたのか、ぞんざいな態度を取り邪魔者扱いをしました」

「待て、待て待て待て、それより前に気になることがあったのだが!?」

「いえ、今は改善されておりますので、いいかなと……」

「いいわけあるか! 後宮だぞ!? いくら空気感がない妃嬪だろうが、食事を抜かれるなどあってはならない!」

(なら、勝手に改善していただけたらと……)


 という本音を胸にしまう。さすがにこんな場所で不敬なことを言って死にたくはない。

 瑞花はこほこほと咳き込みつつ、「ひとまずその話はあとで……」と問題を先延ばしにすることにした。

 雲奎は不満げだったが、ため息をこぼしながら先を促してくる。

 瑞花は話を続けた。


「問題は、その宦官です。公孫樹銀杏の実を食べたかった私は、数日間彼の様子を窺っていました。そこで気づいたのです。彼がここの掃除を担当していたということを」

「……色々言いたいことがあるが、それがどうしたのだ?」

「……彼だけが・・・・、ここの掃除を担当していたのです」

「……それは」


 雲奎が怪訝な顔をした。瑞花は微笑む。


「そして、先ほどお会いした桃花宮の宮女。彼女が挿していた簪は、貴妃様から下賜されたものです。それは――偽物でした」

「……」

「陛下、おかしいと思いませんか?」


 散らばったいくつもの要素。それの共通点を見いだせれば、あとは繋ぎ合わせるだけだ。


「……九垓くがい

「はい」

「ここの清掃を担当している宦官を調べて尋問しろ、直ぐにだ」


 後ろに控えていた宦官とのやりとりを見て、瑞花は確信した。


(陛下はもう、私が何を言いたいのか分かっていらっしゃる)


 そして、この呪いの下に隠されていた事件についても、思い至ったのだ。

 頭の回転が早くて助かるな、と思いながら。

 瑞花は摘まんだ銀杏の葉を、指先でくるくると回したのだった。

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