2-3

 牡丹宮近くの宮殿の一部屋――本来であれば複数人の妃嬪が分かれて過ごすはずなのだが、牡丹宮近くが不人気すぎて貸切状態――に越してきた三日後。

 瑞花ずいかは、悪寒を感じて目が覚めた。


『目が覚めたか』


 それと同時に、目の前に皇帝・雲奎うんけいの顔がある。

 衝撃のあまり、一瞬呼吸が止まった。


(……なんでここにいらっしゃるの???)


 ようやく出てきた言葉は、それである。

 全くもってわけがわからない。どうして目が覚めた瞬間、霊体の皇帝が真正面にいるのだ。新たな嫌がらせか。

 しかしどうやら違うらしい。


『瑞花、緊急事態だ』

「は、はいっ?」

『――美羽蘭みうらんの髪が、何者かに切られたのだ』






 雲奎が言うに、事件が起きたのは今日の夕方らしい。

 美羽蘭が妃嬪たちの茶会から帰宅した後、髪の一部が切られていたことが発覚したのだとか。

 当たり前だが牡丹宮は右や左やの大騒ぎとなり、結果皇帝の耳に入ったのだという。

 それを、臥牀しんだいから起き上がってある程度身だしなみを整えた後に聞いた瑞花は思った。


(この方……もしかしてシスコン妹が大好きなのかしら?)


 皇帝は夜伽に通わず、妹に会う以外で後宮にきたことなどほぼない、という話をちらほら耳にしていたが、どうやら想像以上のようだ。

 なんせ、今の彼は霊体。つまり、一度死んできているというわけで。

 不老不死とはいえ、死ぬのは痛いことだ。少なくとも瑞花は、痛いのなんてごめんだ。その痛みを負ってまで飛び込んできたのは、それほどまでに妹を心配しているからなのだろう。


 ただ家族との関係が希薄、どころかむしろ険悪を通り越して無となっていた瑞花としては、彼が何を考えているのかはいまいち分からない。


(まあ、今はそんなこと関係ないかしら)


 そう思ってから、瑞花は枕元に置いてあった書物を一瞥した。

 それは三日前、美羽蘭から褒美の一つとして賜った龍に関することが書かれた書物だ。三日もあれば全て読み終えられるため、今日は様々な考察をしながら床についたのだが。

 それを読んだからか、美羽蘭の髪が切られたという話を聞いたとき、ある想像が浮かんだしまった。


「……陛下。一つお伺いしたいことがございます」

『なんだい』

「陛下は、龍を信仰する方の中でも過激派の方に、体の一部を求められたことはございますか?」

『あるが……もしかして美羽蘭にも同じことが起きたと?』

「はい」

(というより、あるんですね……)


 その言葉を、瑞花はぐっと飲み込んだ。さらっと肯定する程度に、この大国では危ないことが行われているらしい。龍に関する書物から大国の龍信仰が凄まじいことを知り、半信半疑で問いかけただけだったのに、色んな意味で裏切られた心地だ。


 しかしその辺りをこらえ、瑞花は一つの仮説を雲奎に伝えた。


「実を申しますと数日前、公主殿下の宮殿で公主殿下が身支度をする際にお使いになっている部屋の屑籠の中身だけがなくなる、という事件が起きたのです。私は、この件と今回の一件に関連性があると見ています」

『その根拠は』

「事件解決後に、公主殿下の髪が切られたためです」


 おそらく、犯人の目的は美羽蘭の体の一部……髪だとか爪だとかそういうものだったのだろう。ただ彼女自身に危害を加えたくなかったから、屑籠を漁ることにした。

 その中で美羽蘭の私室のみに絞ったのは、それが一番確実に彼女の体の一部を確保できるからだろう。確かに他の屑籠も含めて集めれば、他人のものが混ざる可能性が増える。合理的だ。


 かと言って、牡丹宮には様々な動物たちがいる。忍び込むのは危険だ。だから下女を使った。

 正直、何に使っていたのか、何故何度も行なう必要があったのかは判断材料が少ないのでもっと知る必要があるが、一度の盗みで済まないことをしていたことは確かだ。


(けれどその下女がやっていることがバレてしまった)


 そうなれば、もう美羽蘭の体の一部が手に入らなくなる。

 だから、最終手段に出た。


 それでも寝込みを襲えなかったのは、牡丹宮の動物たちがやはり怖いのだろう。だから道中で犯行に及んだ。


 その推測を口にすれば、雲奎は自身の顎に手を当てた。


『……そう考えれば、確かに辻褄は合うな』

「はい。そしてお相手は少なくとも、下女より位の高い方でしょう。でなければ、公主殿下のところの下女に指示を出すことができませんし……」


 少し暮らしていて分かったが、ここの後宮も祖国と変わらず、階級というものが存在していて、それに合わせて皆生活している。上の者が許せば許されるし、指示を出せばそれが絶対となるのだ。

 ただ相手が誰かと問われると、難しい。というより、瑞花の仕事ではないだろう。


(それにこれだけの条件を出せば、きっと皇帝陛下が後はお調べになるはず……)


 その予想通り、雲奎は「そうだな」と口にすると、「褒美は、すべてうまく行った後で」と言ってそのままスルッと立ち去ってしまう。

 瑞花はその自由な様を見送りながら、ばたりと臥牀と上に寝転びつぶやく。


「なんだかんだ……国は変わっても、人の悪意は変わらないものね」


 祖国でも、呪いや怪異のせいにされがちな不思議な事件は大抵、人が起こしたものだった。

 それでも祖国よりマシなのは、瑞花の味方をしてくれている相手がこの国一番の権力者で、尚且つ好意的なところだろう。

 まあ、人の心なんて変わってしまうものなのだけれど。


(……父、と呼ばれる人も、初めは好意的だった)


 うつらうつらとまどろみながら、瑞花は過去を思い出していた。

 父帝が瑞花を愛してくれたのは、彼女が宮廷内の面倒ごとを片付けてくれたからだ。

 しかしそれが好意が消えたのは、瑞花がもたらすものがいいことばかりではなくなり、どちらかというと悪いことの比重が増えたからだった。主にそれは、周囲からの提言によるものだった。

 そして厄介者だが放置することができなかったのは、瑞花はこの国へ嫁がせるために生まれ、育てられた子どもだったからだ。


 九番目に生まれた、不吉な姫。

 四番目の子供同様、本当は殺されるべき立場だったはずの姫。

 嫁ぎ先で不幸をばら撒くために生まれることを許され、育てられた姫。


 ただ結局、呪いをばら撒くなんてことはなく。瑞花はこうして生きて、なぜか後宮の面倒ごとを片付ける役割を担うことになっている。

 人生とは、何が起きるか分からないものだ。


 祖国と同じように、都合が悪くなったら切り捨てられる、なんてことにならなければいいな、と思いながらも、眠気には勝てず。瑞花は再び夢の世界へと身を投げ出したのだった。

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