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 それから三日。

 不安から部屋に引きこもっていた瑞花は、皇帝に会ったことそのものを夢だと判断した。

 理由は単純、三日経っても皇帝の訃報を聞かされることがなかったからだ。


(あの日のことはすっかりさっぱり忘れましょう)


 弱小島国の姫が皇帝と顔を合わせるなどあるわけがないし、それが幽霊だなんてあり得ないのだ。

 そう思い、引きこもり生活をやめて再び書庫に入り浸ろうと思っていたのに。


「瑞花様。公主様がお呼びです」

(……夢ではなかったかもしれないわ……)


 内心肩を落としながら、瑞花はやってきた公主付き侍女におとなしく従うことにしたのだ。







 客間に通されたら、そこには既に皇帝陛下がいました。


 なんて、タチの悪い悪戯だ。


(もちろん、悪戯などではないから余計タチが悪いのだけれど……)


 そう思いながらも、瑞花はすぐに起拝の礼を取って顔を伏せる。


「皇帝陛下にご挨拶いたします」

「顔を上げよ」


 名を呼ばれ、恐る恐る顔を上げれば、美しいかんばせに出会う。その顔に笑みはなく、感情を読み取ることはできなかった。


「瑞花。君に、後宮の問題を片付ける任を与える」


 有無を言わさぬ口調でそう言われ、瑞花はくらりとした。

 しかしそれでも、最後の抵抗を試みる。


「恐れながら陛下、私などでは到底務まらぬお役目かと存じます……」

「本当にそうか? 君は妃嬪たちの中では頭の回転が早く聡明だ。それに、霊体になったわたしが見えていたようだし」

(あれはやはり霊体だったのね……)


 心がその事実を拒否しているが、実際に目撃したし、何より皇帝が白と言えば白、黒と言えば黒になる世の中だ。つまりあれは、事実なのである。瑞花はそう自分を無理やり納得させた。


 皇帝はさらに続ける。


「それにわたしとしては、わたしの霊体を診られるというだけで価値がある。後宮の問題を解決しようと情報収集も兼ねて彷徨っていたが、肝心の探偵役がいないと道筋を作るのに苦労していてな。何より、昼間は仕事があるから自由に徘徊もできない」

(それはそうですよね)

「不老不死故に霊体になっても死なないでいられるのだが、それはそれで困ることもあるのだな」

(…………………………は?)


 今さらっと、重大なことを言わなかっただろうか。それも、国家機密級の。

 それが顔に出ていたらしい。ものすごく気軽に「一度死んでみようか?」なんて首に手刀を当てる仕草をされながら言われた。もちろん全力で断った。


 人が目の前で首を切るところなど見たくないし、その相手が大国の皇帝ならば尚更お断りだ。一歩間違えれば皇帝殺しで一族郎党極刑である。

 瑞花は島国の姫なので、もしそうなれば戦争だ。家族への愛着はないが、自身の不手際の責任に他人を巻き込む気はない。


 しかしそんなことまるで重要ではないと言わんばかりに、皇帝が話を続ける。


「何より、君が持つ知識と頭の回転の速さ、洞察力……それは、この混沌とした後宮を正すのに必要だ」


 それは暗に、公主の犬の死で瑞花が口にした推測が当たっていたということである。


「まさか、断ろうなんて考えていないな?」


 今の瑞花の心境をぴたりと言い当てた皇帝は、その言の葉の裏に「ここまでの事実を知っておいて?」なんて言いたげな顔をしている。


 そこで瑞花は悟った。


(ここに連れてこられた時点で、私に拒否権はなかったんだわ……)


 ああ、平穏とはなんて儚いものなのだろう。

 かすみのように消え去ってしまった平穏への心残りと、しかし瑞花が心のどこかで求めていた人ならざる者、それに遭遇したことへのわずかばかりの好奇心が、ぐすりと疼く。


(不老不死が本当にあるのであれば、もしかしたら……)


 あの日、助け出してくれた数多もの手・・・・・は、本当にあったのかもしれない――


 そんな思いを抱えながら、瑞花は頭を伏せた。


「そのお役目、喜んで拝命いたします」


 そうして瑞花は、後宮の闇に足を踏み入れたのだ。

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