1-3

 今まで散々、呪いや怪異が絡む事件に遭遇してきたが、本物に出会ったのは今日が初めてだった。

 なぜ今更? と思うがここは大国。本物がいても不思議ではないかもしれない。


(つまり、今日が私の命日なのね……)


 来世は書物に夢中になりすぎない、もしくは夢中になってもいい人間として生まれ変わりたいものだ。


 そう完全に命を投げ出していたのだが、瑞花の予想に反して皇帝は微動だにしない。

 わけが分からず目を瞬かせ、体勢を変えないままちらりと視線だけ動かしたら、ばっちり目が合った。


 思わず固まると、皇帝はにこりともせず、琥珀色の瞳で瑞花を射抜く。あまりにも鋭い視線に、彼女の体はピクリとも動けなくなってしまった。

 冷淡な声が、瑞花に降り注ぐ。


『少し聞きたいことがあるのだが』

「……はい」

『君は、公主の猫を殺したのは誰か、心当たりがあるか?』

(え)


 思っても見なかったことを言われ、瑞花はしばし固まってしまった。

 しかし質問をされたからには、たとえそれが幽霊であったとしても答えなければならない。ここが後宮で、相手が皇帝だからだ。


(公主様の犬の死は、今後宮で一番熱のある話題ね……)


 現皇帝に皇后はいない。いるのは妃妾ひしょうと呼ばれる側女だけだ。皇太后も亡くなっているため、現後宮は皇帝の妹である公主が取り仕切っている。

 そのためか、公主の話題はことあるごとに後宮内で持ち上がった。


 公主の動物好きは後宮の皆が知るところで、彼女の屋敷からうっかり逃げてしまった猫や犬、変わり種では蛇を巡っての騒動は割と多いようだ。


 その中でここ最近話題に上っているのが、皇帝が言及していた公主の犬の死だった。


 曰く、妃妾の中でも一番権力を持つ貴妃がさっさと後宮から出て行けと警告する意味で殺したのではないか、と言われている。

 また、その死に方があまりにもひどかったため、貴妃が呪い殺したのではないかとも噂されていた。


(私は違うと思うけれど……)


 かと言って、これを正直に伝えていいものか。

 そう思ったが、皇帝が有無を言わせぬ雰囲気をまとっていたため、瑞花は正直に胸の内を告げた。


「これはあくまで私の推測ですが……この事件は、事故かと思います」

『……事故?』

「はい」

『詳しく話せ』

「……葡萄を食べたことによる、中毒事故かと」


 現在、実りの秋。

 それもあり、後宮内にも皇帝に献上された食べ物が下賜されたりしていた。


 葡萄は公主の好物らしく、特に上等なものが贈られたと下女たちが噂しているのが聞こえた。

 食べ物は下女たちにとって、もしかしたらおこぼれに預かれるかもしれない物の中で一番可能性が高い物らしい。それもあり、瑞花の耳に入ってきたのだった。


 少し考える仕草をした後、皇帝が瑞花を見る。


『確かに、公主の元に先日、葡萄を贈ったが……その根拠はあるのか?』

「犬の死に方にございます」


 人間にとって美味しいものでも、動物には毒になる食べ物が存在する。

 そのうちの一つが葡萄だった。

 犬が葡萄を食べると、食事を取らなくなり吐くことも出てくる。そして数日後に痙攣を起こし、最悪の場合死に至るのだ。

 その死に方は、何も知らない人間から見れば呪い殺されたように見えてもおかしくはない。


「また、公主様のところにいる動物の世話を任された宮女は、食べることがお好きだと伺いました」


 食べるのが好きなら、葡萄の一つや二つそっと摘んでいるかもしれない。公主は優しいと聞くから、分け与えてもらうこともあるだろう。そのときに落ちた葡萄をうっかり食べてしまったとか、宮女が与えたとか。理由はあるだろうが、考えられるのはその辺りではないだろうか。


 火のないところに煙は立たないというが、瑞花の経験からしてみると火のないところに火を置く確信犯はいる。貴妃が犯人として疑われているのも、後者ではないだろうか。


「なので、この件は事故ではないかと推測しました」


 あくまで断言はしない。ただ状況から見て、事件ではないと判断した。それだけだ。


(何より腹が立つのは、なんでも容易に呪いのせいにする人たちだわ)


 断言する。この世に呪いなんてない。怪異は……今目撃してしまったのでちょっと怪しいが、ないものはないのだ。


 だって本当に呪いがあるなら、瑞花が嫁いできたその日に皇帝は呪い殺されているはずだから。

 彼女は、そうあれと祖国の人間たちに呪われて送り出された姫だった。


 ……まあ目の前に漂う幽霊のせいで、なんだかそれすらも怪しくなってきてしまったが。


『……そうか』


 皇帝がそう言うのを、瑞花は内心ビクビクしながら聞いていた。


『君の意見、参考にしよう』

(……え?)


 一つ目を瞬き、瑞花が思わず顔を上げれば、そこには誰もいなかった。


 ひゅう。

 夜風が枯葉を巻き上げながら通り抜けていく。


「…………え?」


 寒気がした瑞花はその日、すべてを忘れてさっさと床についたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る