1-2
とある島国から嫁いできた九番目の姫君。
彼女は嫁ぎ先である大国に渡り、後宮の主人である皇帝から『瑞花』という名前を賜った。
といっても、名を与えられることは別段特別なことではない。なんせこの大国には、瑞花以外にもたくさんの女性たちが嫁いできているからだ。
他国から嫁いできた姫君は基本的に嫁ぎ先に帰属するため、名を変えられる。瑞花もその慣習に則り、名を変えられたというだけだ。
妃嬪の中には、瑞花のような異国から嫁いできた姫君もいれば、その美貌を讃えられた平民出身の女性もいる。
共通点は、皆皇帝に気に入られるために嫁がされた、という点だろう。
それくらい、大国の権威は周辺諸国にとって重要だった。覚えめでたく皇帝の寵を得られれば上々。子を授かれば次代の権力を握れる可能性が出てくる。もしそれが上手くいかなかったとしても、皇帝に気に入られればそれだけで、嫁ぎ元にも富が訪れるのだ。
その上、今代皇帝は冷徹で誰に対しても厳しく、国の改革を進めるために容赦なく武力行使を行なってきた人だった。その矛先が自分に向いたら、と畏れ、どこも胡麻を擂るのに必死なのだった。そしてその必死さは妃嬪たちの態度にも表れている。
それゆえに、後宮は女たちの戦場なのだ。
それに顔だけ見れば、皇帝の見目はとても美しい。今まで女性になびいたことがないらしいが、そんな彼が自分を愛してくれたら……と思わない女はいないだろう。
ただ、瑞花は皇帝に興味もないし、祖国のために胡麻を擂る気もなかった。血族たちを愛していなかったからだ。
民を巻き込む気はないが、好かれてその結果、血族たちが得をするなんて絶対に嫌だ。それもあり、女たちの戦いには参戦せず、できる限り空気感を消して過ごしてきたのだが。
それは、祖国で揉まれ続けてきた瑞花にとって、とても平穏で幸福な生活だったのだ。
まず、着るものの質がいい。
食事もきっちり出てくる。
必要最低限とはいえ、やることをやってくれる下女もいる。
何より嬉しいのは、小さいとはいえ書庫があることだ。
好奇心の塊である瑞花にとって、書物は知識の源泉に他ならない。
そんな書庫があればどうなるか。
もちろん、入り浸ることになる。
ゆえに、瑞花は大半の生活をここで送っていた。
(今日もいい日だわ)
毎日当たり前のように面倒ごとは起きているようだが、それは瑞花の知ったことではない。祖国で問題に巻き込まれていたのは、彼女が九番目に生まれた忌み姫ゆえに嫌われていたからだ。
しかしそのように巻き込まれていない以上、わざわざ関わる必要もない。
……まぁ、持ち前の好奇心と危機察知能力の高さ故に、日々状況把握だけは欠かさず行なっていたが、それはそれ、これはこれである。
ただその日、瑞花はうっかりやらかした。
書庫にこもっていたら、気づけば日が暮れていたのだ。
しかも悲しいことに書庫番にも存在を忘れられていたらしく、鍵がかかっていた。外から鍵をかけられていたためうんともすんとも言わず、仕方なく申し訳程度についている小さな窓から出たため、外もすっかり暗くなってしまったのである。
(書物に夢中になるのも、ほどほどにしなくては……)
そう反省し、存在感を消しつつとぼとぼと歩く瑞花。
しかし仕方ないのだ。読んでいた建国神話が思いのほか面白く、夢中になってしまっただけなのだ。
というのも、この大国の皇族は龍の子孫なのだとか。
現実だとすると荒唐無稽な話だが、創作として読むと紆余曲折、山あり谷ありでとても面白かった。
まあそれが理由で問題を起こしかけているのだから、これからはもう少し危機感を持ちたいと思う。
後から叱られるのはごめんなので、巡回中の宦官や女官から逃れつつ帰路を急ぐ。
しかしそうやって避けていたのに、そろそろ部屋に着くといったところで人に遭遇してしまう。
(気をつけていたのに、どうして……)
内心叫び、誰なのか瞬時に判断した瑞花はヒュッと喉を鳴らした。
皇帝陛下だった。
名を与えられたときに、一度顔を合わせたことがある。
美しい銀色の長髪に琥珀色の瞳、という人ならざる者のような、あまりにも整った顔立ちをしていたのでよく覚えていたのだ。彼が龍の子孫だと言われているのが分かる、あまりにも異質で神聖な見目だった。
そしてそんな人物が何人もいるはずもない。見間違いではないだろう。
さすがにこれを無視することはできない。
瑞花は勢いよく両膝をつき、起拝の礼を取る。
「皇帝陛下にご挨拶いたします」
そこで、彼女は気づいた。
(……膝から先が、ない)
皇帝だと思っていた者が、人ではない何かであったことに。
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