第六章(記憶)3
三.
水越賀矢が、『日常的風景 Wプラットホーム』の上に立って神に祈りを捧げている時だった。
「『最期の瞬間』は、あなたの作ったフィクションじゃないんですか? 水越賀矢さん。今のモノローグが真実だと証明してください」
小野山遼が作品の近くで言った。
『やはり、小野山か。頭の切れる人間ほど、私の芝居が茶番にしか見えない。もっと噛みついてくれ。それを待っていたんだ』
彼女は振り返って、作品の下にいる小野山を見下ろしながら言った。
「モノローグ。一人芝居か。良い言葉です。竜景さんの最期の瞬間を再現したと考えると再現実験が妥当です。ただ、私は神から、直接、あの瞬間の光景を伝えられました。W駅の当時の関係者の証言を集めたり、資料を調べたりして再現したわけではありません。二年前、突然、神から、あの光景を伝えられました。そのため、再現実験というのは馴染まないと思い、実証実験としたのです。でも、モノローグに変えても構いません」
小野山は自分が見下ろされていることに気づいて、作品から少し離れた。
「要するに、あなたは、今、そこで行ったことが、モノローグでも、実証実験でも何でもいいから、神からのメッセージだ、ということを主張したいわけですね。私は、メッセージの送り主が神でも仏でも構いません。大事なのは、それが真実かどうかです。あなたは、本日のテーマから逸脱した上、参加者を巻き込んだ。せめて、誤った内容ではないのだと証明してください」
小野山遼の意見は正しかった。だが、彼女の“モノローグ”に心動かされた会場の人々を刺激した。
小野山に批判が集中した。
「今更、証明なんていい。参加者がどうのこうのなんて、大きなお世話だ。本当に決まっている! 神を疑うのか?」
「先生は神がかりだ。真実しかない!」
「見えないものが見える人に難癖をつけるのは妬みだ!」
会場の人々はファナティックになっていた。
「皆さん。冷静になってください」
端村清一が制止しても、批判は止まなかった。
会場にいる杉原が隣の牧多に小声で話しかけた。
「牧多。この会場の人たちの熱狂ぶりだと、マンモス教団じゃなくて、マンモス・カルト教団が作れそうだ」
「賀矢先生、四年前とはスケールが全く違う。青沢先生は作品の近くでぼんやり立っているだけだけど大丈夫なのか?」
「僕もそれが心配なんだ。賀矢先生の真の目的が、やはり、礼命会の解体だったとしたら……?」
瀬上芯次はジョニー無界に話しかけた。
「ジョニーさん。前の席にいる水越賀矢さんの教団の信者たちは、この場の熱気に戸惑ってるみたいです。信者だけが置いてけぼりにされてるなんて……」
「人間。熱に浮かされないほうが、後になって後悔しないかもしれないぜ。それより、俺は、賀矢店長が作品の上であんなに激しく飛んだり跳ねたりするとは思わなかった。ぶっ壊れないか心配だ」
壇上では、論者たちが、造形作品から距離を置いて立っていた。水越賀矢は、自分が優位であるかのように見せるため、論者を近くまで呼んだ。小野山が見下ろされているのを見て、皆、そのことに気づいた。彼女に傾倒しているはずの笹脇教子でさえ、自分が、そういう風に利用されていると気づいて抵抗を感じた。
青沢は、無力感に襲われていた。強いて言えば、宗田功佐久からの手紙を思い出すのが遅すぎたことを後悔していた。時間がなかった。宗田に病人を装わせるだけで精一杯だった。結果、今、無策の状態で彼は壇上にいた。
同時に、青沢は痛感していた。水越賀矢が、この四年の間にどれほど成長したのかを。その成長が、彼にとって喜ばしいものではなくとも、事実として認めざるを得なかった。彼女は四年礼命会の代表を務めた中で、礼命会とは何かを知った。礼命会とは、青沢礼命と宗田功佐久の二人が作り上げた宗教団体であること。そして、この二人、あるいは、どちらか一方を社会的に抹殺してしまえば、その時点で教団は壊滅することを知った。彼女は礼命会二代目代表を務める中で、礼命会の核心をつかんだのだ。今、市民文化ホールで、それを実践している。標的は宗田功佐久だった。水越賀矢は、十一年前に宗田功佐久が青沢礼命宛に送った手紙を元にして彼の名誉を傷つけ、彼を社会的に抹殺しようとしている。この後、
「礼命会とは、自死をする直前の我が子にまで、金がこの世で一番大事だと説いた宗田功佐久と、拝金主義宗教家青沢礼命が立ち上げた金持ちのための教団。礼命会は罪を償う時が訪れたのです。貧しい我々庶民を踏み台にして優雅に生きる彼らは罪人です。今こそ礼命会の解体を!」
と、彼女は会場に向かって叫ぶ。そして、礼命会を終わりにする。
青沢礼命は負け試合の真っ只中にいると思った。相手が次は何の攻撃をするのか分かっているのに何もできない。このまま、俺は敗者になるんだ。と、彼は諦めた。
その時、突然、大きな声がした。
「皆さん。落ち着いてください! 今の再現劇が本当だとも嘘だとも、まだ、はっきりとは言えません。私が真偽を見極めます」
壇上の人々も、会場の人々も、声のするほうを見た。仰天した。そして、一瞬で、会場は静かになった。声の主は、宗田功佐久だった。鼻のチューブを外し、車椅子から立ち上がっていた。
「病気じゃなかったのか。騙したな」などとは誰も言わなかった。それより、誰もが、病気で何も聞こえていないと思って、迂闊にも宗田を批判した自分を後悔した。会場から熱狂は消えていた。
「水越賀矢先生。迫真の演技。驚きました。ただ、私は、その再現劇を真実だとはまだ認めません」
突然、立ち上がって言う宗田に、彼女は、
「宗田さんの仮病も迫真の演技でした。私はすっかり騙されました」
と皮肉を言った。それから、
「宗田さん。あなたは、竜景さんの『最期の瞬間』を見た唯一の生き証人です。当時、一緒に竜景さんを追いかけた駅員がいたでしょうが、今はどこにいるのかも分かりません。ひょっとしたら、もう亡くなっているかもしれません。だからこそ、唯一の生き証人である宗田さんが、今の再現劇は、私が見た竜景の最期だったと本当のことを言ってくれればいいのです。この光景は神が私に見せたものです。嘘であるはずがないのですから」
彼女は自信を持って言った。
「水越賀矢先生。だから、私も嘘だとは言っていません。でも、あれだけの再現劇では真実だとは言えません。点数で言えば、百点満点でまだ五十点だということです」
宗田は言った。
宗田の言葉に水越賀矢は反論した。
「宗田さん。百点とか五十点とか何を言っているのですか? しかし、あえて採点するなら、今の再現劇は百点満点です」
宗田は、水越賀矢に言った。
「今の段階では百点はつけられないのです。何故なら、まだ、劇の後半を見ていない。だから、私はあなたの再現劇が真実かどうか判断できないと言っているんです」
「後半? あの続き?」
彼女は宗田の突然の言葉に思わず訊き返した。
「そうです。今、あなたが演じた再現劇は、限りなく真実に近い。一体どうやってあなたは、竜景の『最期の瞬間』を知ったのか? あなたが言うように神の力なのでしょうか? でも、そうだとすると、尚更、おかしいのです。神が伝えるべき真実を伝えないはずがない。しかし、あなたは最も大事な竜景の真実を演じないまま劇を終わらせた。それでは真実だとは言えない。さあ、最後まで演じてください」
宗田功佐久の目は、水越賀矢を非難している目ではなかった。むしろ、最後まで演じて目の前に死んだ竜景を蘇らせて欲しいという父親の目だった。たとえ、死の瞬間でも構わない。竜景を演じて見せてくれという目だった。
その真剣な眼差しを水越賀矢は嫌った。端村の司会進行席と論者が座っている長いテーブルが、舞台の上にハの字型に置かれている。宗田は長いテーブルの端に先ほどまで車椅子を置いて座っていた。それが、今、宗田は立ち上がって彼女を見つめていた。彼女はホームの左端に立っていたため、宗田と近い距離にあった。宗田の目を嫌った彼女は、反射的にホームの左端から右端に飛び退いた。その際、彼女は力を入れて高く跳躍した。その姿は敏捷な野生動物のように美しく見えた。会場の人々は思わず彼女を見上げた。
だが、一人だけ、違う反応をした。
「店長が危ない。あの勢いで着地したら、ホームが壊れる!」
ジョニー無界はニット帽を脱ぎ捨てると席を立ち、通路を舞台に向けて突っ走った。瀬上芯次も、ダッフルコートのフードを脱いで彼の後を追いかけた。スキンヘッドに蛇の入れ墨を入れた大男と彼を追いかける青年が舞台に向かって走る姿。それを見た会場の人々は、これも劇の演出なのだろうかと思った。
高く飛んだ水越賀矢は、見事にホームの右端に着地した。しかし、その瞬間、衝撃と重量に耐えられなくなった作品のホームが右に傾いた。水越賀矢は、バランスを崩して舞台に落下した。
壇上からも、会場からも、悲鳴が上がった。
杉原和志と牧多賢治も席を立ち舞台に向かった。
「賀矢先生。背中を強く打ったみたいだ」
「頭を打っていなければいいけど」
壇上の人々が彼女に駆け寄った。ジョニー無界と瀬上芯次も舞台に上がると彼女に駆け寄った。
ジョニー無界が舞台に倒れた彼女に声をかけた。
「店長。大丈夫か? 動けるか?」
目をつぶっていた水越賀矢が、ゆっくり目を開けた。
「背中を強く打って一瞬息ができなかった。でも、大丈夫。それ以外に異常はない」
青沢が言った。
「医務室があります。行きましょう」
杉原と牧多も舞台に上がってきた。会話をしている彼女を見て、とりあえず、ほっとした。
スタッフが担架を持ってきた。男と女二人のスタッフだった。担架を舞台の上に置いて水越賀矢を乗せようとした。その時、男のスタッフが、ふと瀬上の顔を見た。そして、「芯次! どうしてここにいるんだ」と叫んだ。父肇だった。女のスタッフもその声に顔を上げて、「芯次。この意見交換会に関心があるの? ないわよね? どうしてここに?」と訊いた。母美素子だった。
うろたえる芯次に代わり、水越賀矢が、両親に説明しようとした。でも、彼の両親は水越賀矢のことは忘れて、瀬上をつかまえようとした。起きあがろうとした水越賀矢は笹脇教子が支えた。
杉原と牧多が、「芯次君のお父さんとお母さん。落ち着いてください」と二人を止めようとした。
壇上の人々は水越賀矢が作品から転落して驚いた。その上、舞台上で、突然、親子らしき三人が追いかけっこをしているのを見て、あ然とした。
「あの市役所のスタッフ、瀬上君の父親だったのか。話しかけようとすると逃げるから、一回も話せなかった……」
端村は呟いた。
逃げ場のない瀬上芯次は、思わず目の前にあるW駅の作品の階段を駆け上がった。ホームは全体に傾いていた。
「瀬上君。降りろ。危ない!」
ジョニー無界が叫んだ。
「芯次。降りてきなさい!」
瀬上の父と母も叫んだ。
瀬上は、両親の慌てる顔を見て可笑しくなった。
いつも、ほったらかしのくせに、こんな時だけ、あんな顔をしている。どうせ会場の人の目を気にしているんだろう。彼は、わざとホームから降りなかった。そして、大勢の人がいる会場を見渡した。その時、彼は、奇妙な光景を目にした。自分が座っていた席に誰かが座っているのだ。空席になった彼の席に誰かがすぐに座ったとも考えられる。でも、何かが違うのだ。瀬上は、目を凝らして自分が座っていた席を見た。
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