第五章(舞台)2

二.

意見交換会は二月四日の日曜日午後二時から開催される。正式な演題は、『W駅と市民 継続的な関係の構築を目指して』に決まった。登壇する論者も決まった。そして、司会進行役も決まった。記者の端村清一だった。FT新聞社の推薦だった。ベテラン記者の端村清一は、これまでにも、取材に関連したシンポジウムの司会を務めた経験があった。端村自身が、シンポジウムを開催しようと考えたのも、これまでの経験からだった。社が推薦するのだ。彼には司会進行の役割を的確に果たすという定評があった。彼にも、それなりに自信があった。しかし、今回は注目度が違った。市民文化ホールの会場も千五百人を収容する第一ホールだった。彼はこれだけの規模の会場で司会進行をした経験はない。緊張した彼は、意見交換会前日の夕方に、市民文化ホールを訪れた。

「君が今回の市民運動の火つけ役なんだから、主役と思って司会進行をやればいい」。端村は一緒に登壇する副社長の小野山遼の言葉を思い出した。励ましたつもりなのだろうが、余計に緊張すると思いながら彼は第一ホールに入った。


市役所、FT新聞、W駅の会場準備スタッフが舞台の上にいた。準備はほぼ完了しているようだった。壇上には、論者の名前幕の掛かったテーブルが用意されていた。反対側の向かって右には「司会進行 端村清一」という名前幕の掛かったテーブルも置かれていた。そして、舞台の真ん中にはW駅のホームを模した大きな造形作品が置かれていた。遠くから見てもW駅を模した作品だと分かった。精巧にW駅の在来線のホームが作られていた。端村は舞台に上がった。


造形作品の前にFT新聞とW駅のスタッフ、それに、瀬上肇がいた。端村清一と瀬上肇は面識がなかった。瀬上肇の息子芯次と端村は取材を通じてよく知った仲だった。造形作品を近くで見ると、観客席から離れて見ていた時より、もっと大きいことが分かった。長さは五メートル以上あると思われた。舞台は十五メートルぐらいだ。作品は舞台の三分の一を占めていた。

『オブジェにしては大き過ぎる。意見交換会の妨げになりかねない。一体何の目的で置かれたものだろう?』

端村が考えていると、FT新聞とW駅のスタッフの話し声が聞こえてきた。

「ジョニー無界の名前は、前から知っていたけど、今、初めて、本人を見た。あんな大男だとは知らなかった。しかも、頭に蛇の入れ墨を入れていた」

「ジョニー無界と一緒に作品を搬入していた運搬業者も怖がっていた。芸術家だと分かっていても、あれはどう見ても……、だよな」

端村は、ジョニー無界に直接会ったことはなかったが、写真で彼の容姿は知っていた。だから、会話の内容が理解できた。

二人の話は続いた。

「水越賀矢さんは、この模型を使って何を説明するんだろう?」

「例えば、W駅の利用客が荒れる原因が駅の構造にあるとか、そういうことを話すんじゃないか?」

「これは在来線のホームの模型だ。私鉄の二線はどうする?」

「言われてみれば、そうだな。それにそういう分析は、G大学の枝島一恵教授の専門分野か」

すると、瀬上肇が、

「いずれにせよ、明日が楽しみですね」

と、当たり障りのない言葉により二人の会話を終わらせた。

端村は、何かを証明するために、作品を使うのならば、やはり、駅の利用客が荒れる原因を証明するつもりなのではないかと思った。それよりも、この作品は、水越賀矢の依頼でジョニー無界が、明日の意見交換会のために作った作品であることに驚いた。彼は勘違いしていた。この作品は市立美術館に展示してある作品を明日のために借りたのだと思っていた。そして、作者のジョニー無界が、今、直々に作品を運んで来たのだと思っていた。だが、端村も実際に美術館で見たことのある作品に比べて、目の前にある、この作品は大きかった。意見交換会の開催が決まってから、わずか三週間で、ジョニー無界はこの作品を作ったことになる。よくこれだけ精巧な作品を短期間で作れたと端村は思った。


『日常的風景 Wプラットホーム』は、W駅の特徴をつかんで簡略化させた作品だった。作品は、真っ直ぐに伸びたW駅の在来線のプラットホームに駅の入り口の階段が直接繋がっている作品だった。それは、現実のW駅を芸術的に簡略化した作品だった。現実のW駅自体が、余計なものを削ぎ落としたデザインであり、それを更に、簡略化した作品は素っ気ないほどの作品でもあった。しかし、作品を見るものは、その素っ気ないほどの作品世界の中に、淡々とした日常を見るのであった。そして、時に空しさを感じた。


端村清一は、目の前にある作品と美術館の作品との大きな違いに気づいた。それは、作品の土台部分だった。この作品を支える土台部分は、太い鉄の柱で組み上げられていた。美術館にある作品は、太い鉄の柱で支えられてはいない。サイズが大きいからとはいえ、ここまで太い鉄を使う必要はあるのだろうかと端村は疑問に思った。それから、

「この土台は芸術的な観点から見ると、不恰好な気がする。ただ、舞台に置いた作品が倒れることのないように配慮したのかもしれない」

と常識的な解釈をした。


更に、水越賀矢は、よくジョニー無界にこの作品を作らせることができたと思った。ジョニー無界は極端に寡作な芸術家だった。『日常的風景 Wプラットホーム』も、彼の数少ない作品の一つだった。人々の日常を駅という視点から見事に切り取った作品ということで多くの賞を受賞し、高い評価を受けた。だが、それ以降、彼は同様の作品は一切作っていない。二番煎じになる気がして嫌だったのだ。そのジョニー無界に、全く同じW駅の作品を水越賀矢は作らせた。端村は、そこに彼女の情熱ではなく情念を見た気がした。そして、彼女への疑問を抱いた。

端村は、小さな疑問を抱いたまま、改めて、スタッフに挨拶をしようと周囲に視線を向けた。FT新聞のスタッフは当然知っているから、W駅と市役所から来ているスタッフに挨拶をしようとした。

「私鉄②の多川です」

若者らしい笑顔を見て、端村は、取材中に時々、彼に会うことを思い出した。

そして、市役所の職員を探した。

「もう、帰りましたよ。あの人、人づき合いが苦手みたいです」

多川が言った。

「そうか。それじゃあ仕方ないね。でも、そんな風にも見えなかったけど」

端村清一は瀬上芯次の父肇と挨拶を交わすことなく、その日を終えた。そして、家に帰って、明日のために準備してある資料の最終確認をしようと思った。スタッフ二人と、一緒にホールを出た。FT新聞のスタッフが照明を消した。ホールは一瞬で暗闇になった。


二月四日は、それまで続いていた陰鬱な冬の曇り空が一転し、穏やかに晴れた。『救済される魂たち』の信者は昼過ぎに教会に集合した。教会の中もいつもより心無しか暖かく感じられた。信者は二十人全員が集まっていた。長椅子に座り、今日の意見交換会のことについて話をしていた。移動手段の話になった。会場までの移動は今日もワゴン車を利用する。信者は、皆、市民文化ホールに黒塗りのワゴン車三台が乗り込んでいく様子を思い浮かべた。

「一時にワゴン車が迎えに来るよな。その時に、運転手に、今日は電車で行くから、送迎は結構ですって断ろう」

円崎兼行が提案した。

「無理よ。円崎君の乗ってる車の運転手の枚本さんと同じで、三人の運転手は決められたこと以外しないように指示されてる。多分、賀矢先生から」

上代恵梨が言った。

「でも、黒塗りのワゴン車の送迎はあらぬ誤解を生む気がする」

と、津江が言葉にした。

皆、頷いた。


瀬上芯次は、一人、切迫した状況にあった。会話に参加できないほどだった。彼は迂闊だった。今朝、初めて知ったのだった。彼の両親が、市役所のスタッフとして、今日の意見交換会に参加することを。今朝、日曜日にもかかわらず、二人がスーツ姿で出かける準備をしていた。彼は父に尋ねた。

「午後から市民文化ホールで、W駅についての意見交換会がある。私たち二人とも、会場のスタッフだから、もう出かける。夕方には終わるから、勉強して待っていなさい」

父の言葉に、瀬上は、茫然とした。


二十人の信者が、全員、奉仕活動の時に着ている真っ白なパーカーを着て、今日の意見交換会に参加することになっていた。前列の来賓席に並んで座ることになっていた。登壇もする予定だった。会場にいる父と母が、瀬上のことに気づかないはずがない。全てバレる。W駅の奉仕活動に参加していること。つまり、『救済される魂たち』に入信していること。そして、学校にずっと行っていないことが、全て両親に分かってしまう。でも、意見交換会を欠席しようとは彼は思わなかった。どうしても参加したいと思った。何故なら、W駅の清掃活動を行なって、彼は、初めて、努力することの喜びを知った。その努力の一つの結実が意見交換会だ。そして、このように彼を変えてくれた水越賀矢が登壇するのだ。その姿を見なければならないと思ったからだった。


一人で思い詰めている彼に、隣の円崎が言った。

「俺たちにとっても大事な集まりだから、気持ちは分かる。でも、せっかくおしゃれをして来ても、どうせ会場で、上着は脱ぐよ」

この日、瀬上は、買ったばかりの紺色のダッフルコートを着ていた。皆は、いつも清掃活動の行き帰りに着ているダウンジャケットなどを着ていた。汚れても構わない着古した服が多かった。瀬上もいつもは同じようなダウンジャケットを着ていた。彼のダウンジャケットは濃いベージュが色褪せして変色していた。特に肩の部分は黄色っぽくなっていて目立った。気にせず着ていたのを、母に買い替えろと言われた。それでダッフルコートを買った。パーカーのフードの上にダッフルコートのフードが重なって首の辺りが苦しい。でも、この服装で意見交換会に参加するしかないと考えていた。全員が白のパーカー姿で来賓席に座るから目立つ。だから、瀬上が両親に見つかる可能性が高くなる。それならば、その反対の行動を取ればいい。信者の集団から外れて、一般の席に一人で座る。その際、紺色のダッフルコートを着たまま、聴衆の中に紛れてしまえば、両親にも見つからないはずだ。得策とは言えない。だが、今朝、両親がスタッフだったことを知って、咄嗟に思いつくことといえば、これぐらいしかなかった。『ずっと着ている黄色味がかったダウンジャケットと正反対のような紺色のダッフルコートを買ったのは運が良かった。僕は、やはり、神様に守られている』。瀬上はそう自分を慰めた。


牧多賢治の運転する車の助手席には、杉原和志が座っていた。牧多の車はいつもの業務用のワゴン車ではなかった。営業用の軽自動車だった。両側のドアに「中華総菜 深々楼」というステッカーが貼られていた。今日の意見交換会について、牧多と杉原に青沢礼命からメールが送られてきた。青沢は招待状をもらったということだった。そして、二人にも、開催日時と場所が伝えられた。牧多も杉原も行くと返事をした。駐車場の関係から当日は、牧多の車一台で行くことになった。牧多は杉原を途中で拾って、丘の上の教会に向かっていた。杉原が青沢に電話をした。青沢は電話に出たが、

「今、信者さんのところに用事があって来ている。二人は先に市民文化ホールに向かってくれ。僕は自分の車で後から行くよ」

と言った。

杉原から青沢の返事を聞いた牧多は車を左折させて、しばらく走った。交差点で再び左折し、市民文化ホールへ一直線に通じる道を走り始めた。

「先生を教会まで迎えに行ってから、この道を走るはずだった。これだと、予定より早く市民ホールにつく」

杉原は腕時計を見た。一時だった。

「十五分くらいでつくか。でも、座って待っていればすぐだよ。このまま市民ホールに行こう」

牧多は頷いた。そして、次にこう言った。

「ところで、青沢先生からは今回の話を教えてもらったけど、賀矢先生からは連絡が無かったな」

杉原は言った。

「意見交換会の準備が忙しくて連絡できなかったんだろう」

「そうかな」

牧多は釈然としない表情で運転を続けた。彼は、今日、濃いグレーのスーツを着て臙脂色のネクタイを締めていた。

杉原は、紺色のコートを羽織り、中には薄茶色のセーターを着ていた。杉原は牧多の服装を見て、彼が経理部長であると同時に、実際には、副社長であることも考えた。日曜日でも、人の集まる場所に行く場合、このような服装をしなければならない。そこから、彼の置かれている立場が理解された。若手銀行員の杉原と牧多の違いだった。

「仕事のほうはどう? 上手くいってる?」

杉原は訊いた。

「今は順調だけど、うちみたいな小さいところは、突然、倒れる怖さがある。でも、そんなこと考えても仕方がないから考えないけど」

牧多は笑った。それから、急に真顔になって、

「それより、瀬上が送ってくるメールにあった黒塗りのワゴン車を少し前に見たよ。駐車場に三台停まって、信者が乗り込んでた。営業に行く時に、駐車場の前を通っただけだったけど、目立ってた」

と言った。

「僕は、出張の時にW駅の私鉄①のホームで電車を待っていたら、白いパーカーを着た若者がホームの掃除をしていた。こっちも、目立ってたよ。ホームにいるみんなが見てた」

杉原も言った。

「賀矢先生は、目立つことが好きだ。派手なことも好きだ。ダムドール時代を知っている俺が言うんだから間違いない。ただ、奉仕活動で、そこまで目立つ必要ってあるのか? 下手すると売名行為みたいに思われるぜ」

牧多の言葉に杉原も考えた。

「奉仕活動に、ある程度までなら、新教団の宣伝を入れるのは許されると思う。信者二十人のままではやっていけないから。でも、黒塗りのワゴン車まで必要なのかな? それに、これは瀬木の後任で取材に来た端村っていう記者の力が大きいけど、市長を招いて意見交換会まで行うことになった。水越賀矢先生の目的は、新教団をマンモス教団にすることなのかな?メガ宗教とか?」

「この流れから考えると、その可能性もある。でも、賀矢先生って、大きくやることが嫌いな人だ。ダムドール時代にも店舗数を増やそうっていう誘いがあったけど、全部断った。昔、先生がそう言ってた。俺は、そういうところって、人間、変わらないと思う」

「そうだな。そういうのって、信念っていうより体質だから、僕も変わらないと思う。だったら、賀矢先生の目的は何だろう?」

杉原が呟いた時、もう市民文化ホールの前まで車が来ていた。

「とにかく、今日の意見交換会で話を聞いてみるしかないな」

牧多が、そう言うと、ハンドルを右に切り反対車線を通り越し、駐車場に入った。早く到着したので、駐車場はまだ空いていた。牧多は車を市民ホールの入り口近くに停めた。二人は車を降りて、ホールの入り口に向かった。

陽射しが暖かかった。太陽は高くに見えた。

杉原は腕時計を見た。ちょうど一時十五分だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る