第四章(実践)5
五.
朝のラッシュ時を過ぎた私鉄①の改札前で、水越賀矢は、記者の端村清一が来るのを待っていた。端村清一は、私鉄①を使ってFT新聞社からW駅まで取材に来る。端村は約束通り、今日もW駅の清掃活動の取材に来た。端村は改札を出てすぐに彼女が待っていることに気づいた。彼は笑顔で挨拶をした。二人は信者の待つ駅の入り口に向かった。歩きながら彼女は端村に質問した。
「昨日、訊きそびれたことなのですが、私たちのような小さな教団の清掃活動に二日も続けて取材に来てくださるのは、大変有り難いことです。でも同時に、不思議に思います。 この種の取材は一日で済むものではないのでしょうか?」
端村は答えた。
「通常は、確かに一日で済みますが、今回の場合は違います。そこで、改めて、この取材の趣旨をお伝えします」
この取材は、『救済される魂たち』のW駅の清掃活動が街で話題になっていることに新聞社が関心を持ったところから始まった。W駅のゴミ捨てなどの問題を、改めて、市民に伝えるため、社会面にある程度のスペースを割いて記事を載せることになった。今回の教団の奉仕活動をきっかけにして、市民のW駅への関わり方を記事を通して再考してもらうことが趣旨だった。市民に奉仕活動を強要する意味ではない。市民のW駅への関心を喚起したい。そのためには、何回かに分けての記事の掲載が必要であり、取材もしっかりと行わなければならない。
端村は、そこまで説明した後、こうつけ加えた。
「実は、この企画は瀬木が考えたものなんです。そして、取材も本当は彼がする予定だったんです。昨日、私は、あなたに嘘をついてしまいました。実は、瀬木は新聞社を辞めました。そこで、私が代わりに取材を引き受けたんです」
水越賀矢は答えた。
「はい」
「瀬木が辞めたことに気づいていましたか?」
「ええ」
彼女の返事に端村は落胆したような表情をした。
水越賀矢は、何も言わなかった。
端村清一は丹念に取材をした。
水越賀矢も、信者たちに指示を与えた。それは、問題意識を持って清掃活動をすることだった。これまでは、とにかく、ゴミを片づけることに専念してきた。W駅は以前より清潔になった。更に、昨日から端村清一が取材に訪れるようになった。もう一段、意識を高める必要が生まれた。何故、W駅にはゴミが散乱するのか? 他の駅と何が違うのか? 清掃活動を行いながら、自分の中で問いかけをする。無理に答えを出す必要はない。気づいたことを端村に伝えればいい。その気づきをもとに端村が記事を書く。結果、“実践者”の生の声をダイレクトに反映した記事が完成する。
彼女の話を聞いた信者たちは頷いた。そして、これまで以上に清掃活動に打ち込んだ。
その翌日、FT新聞の社会面に第一回目の記事が掲載された。早急に記事を掲載するという端村の要望を社が認めたためだった。
「今、コンセントレーションが高まっている瞬間の彼らを載せなければなりません。正月休みで中だるみでもしたら、この取材は終わりです。記事にすることで、彼らにも緊張感を持たせるのです。そのためにも、早急に記事の掲載をお願いします」
という端村清一の強い危機感が新聞社を動かした。
端村清一は、老いて穏やかに見える外貌とは違い鋭敏な感覚の持ち主だった。彼の危機感は、それだけ、取材対象の鮮度の高さを示す一つの指標だった。彼の要求に応え、FT新聞は急いで記事にした。
記事は反響を呼んだ。
「W駅で実践する若者たち」
こう題した端村の記事は、市民が潜在的に抱いていたW駅への複雑な感情を呼び覚ました。
第一回目の記事が掲載された次の日、いつも通り、三台のワゴン車に乗ってW駅の近くに降りた『救済される魂たち』の若者信者は、駅前に人々の集まりを見つけた。電車の利用客ではなかった。
信者の後ろにいた水越賀矢が前に出て来た。
「あの人たちは、きっと昨日の記事に触発されて集まった人たちです。さあ、皆さん。行きましょう!」
そして、この日から、W駅の奉仕活動は大きくなった。奉仕活動を大きくしたのは市民のボランティアだった。駅前に集まった人々も、ボランティアとして駅の清掃活動を行うことを希望していた。市民ボランティアは、各鉄道会社にボランティア登録をして、駅での清掃活動をした。しかし、清掃活動の現場におけるリーダーは水越賀矢だった。だから、市民ボランティアも若者信者とともに水越賀矢の指示の下、清掃活動をした。その結果、『救済される魂たち』の奉仕活動も大きくなったように見えた。また、彼女の提案で、駅の周辺地域にも清掃活動を広げた。これは、ボランティアを希望する市民が多いため、従来の人数制限では、ボランティア活動に容易に参加できない市民が生じた。それを解決するための案だった。
水越賀矢は、ボランティアのために、大きなプレハブの休憩所を三棟購入し、設置した。建てた場所は駅のすぐ近くにある空き地だった。駅が所有する土地ではなかった。だが、駅のすぐ近くということから、バザーなど催し物が行われ、選挙の際には、選挙事務所が建てられることもあった。個人の土地だが半ば公共の場になっていた。新しいプレハブの休憩所は大きく、三棟で一日のボランティア参加者全員を収容できた。石油ストーブが置かれ、休憩所内は暖かかった。体が冷えたボランティア市民のために十分な配慮がなされていた。その他、飲み物から菓子まで用意されていた。休憩所内に、教団『救済される魂たち』の宣伝チラシを置くようなことはしなかった。その他、教団への勧誘活動は一切しなかった。そのほうが、「信者獲得のために奉仕活動をやっているのではない」という、ストイックな教団のイメージを市民に与えることができるはずだ。勧誘活動をしないほうが、この機会に、信者を多く獲得できるに違いない。と、彼女は考えた。狙いは的中し、市民ボランティアの中から、彼女のところへ「教団の案内が欲しい」と言って来る者が多数現れた。彼女は若者層に限らず、案内を渡した。
クリスマスには、FT新聞に端村清一の第二回目の記事が掲載された。「W駅と動き出した市民たち」と題された記事だった。この記事も話題を呼んだ。ちょうど水越賀矢が、休憩所に一人でいる時、在来線、私鉄①、私鉄②の駅長が、彼女のところに謝意を述べに来た。
在来線駅長「今年も、荒れたままのW駅で終わると諦めていました。それが、水越賀矢先生のおかげで一変しました。来年もよろしくお願いします」
私鉄①駅長「市民運動にまで発展するとは思いませんでした。FT新聞の力もありますが、やはり、水越賀矢先生のおかげ、神様のお力です」
私鉄②駅長「『動き出した市民たち』という記事でした。でも、私は、『水越賀矢先生の力に動かされた市民たち』だと思います。ありがとうございます」
その夜、彼女は教会に飾られたクリスマスツリーの電飾が明滅する様子を眺めていた。無邪気な信者が、御神体の反対側に数日前に飾った小さなツリーだった。本来なら、二重信仰になるとクリスマスツリーをどけさせるはずだった。でも、全てが順調に流れている中で彼女も寛容になっていた。
今年がもうすぐ終わろうとしている。全てが私の思い通りになっている。この度のことで、私は、金と力がいかに大切かを知った。元礼命会代表であることは、それだけで力だ。皆が、私にへりくだる。だが、それだけでは足りない。隊列を組ませて大型ワゴン車を走らせることも、新しいプレハブの休憩所を三棟建てることも、力を誇示するための行為。実行するためには金が必要なのだ。金は力の源泉だ。年が明けたら、礼命会を壊滅させる。そして、『救済される魂たち』が、彼らに取って代わる。この小さな街に太陽は二つ要らない。この街が闇に覆われた時、誰が光となり人々を照らすのか?
「闇の中の太陽になるのは私だ。私以外にはいない」
この時、水越賀矢は、「打倒礼命会」から更に目標を大きくした。『救済される魂たち』を「ポスト礼命会」に見据えたのだった。
十二月二十八日を奉仕活動の年内最終日として、以降、休みに入った。年始は五日から奉仕活動を開始することになった。
二十九日の朝、水越賀矢は疲労のため布団から起き上がれなかった。十時を過ぎていた。体が鉛のように重かった。疲れているという自覚が無かっただけに驚いた。だが、考えてみると、十一月一日に、『救済される魂たち』を立ち上げてから、まだ二カ月も経っていなかった。その短い期間に、立教からW駅での奉仕活動にまで至っているのだ。しかも、全く休みなく動き続けていた。疲れていないはずがなかった。彼女は天井を見つめながら呟いた。
「生き急いでいることは、私も自覚している」
彼女は礼命会を壊滅させることに性急なほど傾注している。一つの組織を壊滅させるのに悠長にやっていていいはずがない。という彼女の論理による。だが、彼女の性急さの理由は、むしろ、もう一つにあった。『神がかりでなくなったにもかかわらず、未だ自らを神がかりであると偽っている私の嘘は、近いうちに必ず露見する』。この危機感だった。さりとて、礼命会を壊滅させれば、嘘が露見しないという保証はない。それでも、彼女はこう考えていた。誰もがひれ伏すような礼命会に取って代わった暁には、その頂点にいる教祖水越賀矢が、神がかりではないと疑うものなどいるはずがない。
「高く昇りつめるんだ。太陽のように」
そう呟くと、彼女は再び気を失うように深い眠りに落ちた。
同じ時刻、丘の上の教会では、青沢礼命が『救済される魂たち』の奉仕活動について考えていた。彼は防寒性の高い黒のジャンパーを着て、『握り手様』の前の椅子に座っていた。丘の上の気温は低い。暖房をつけても、広い教会を暖めるのは難しかった。午後から今年最後の礼命会の集会がある。そのための準備をするはずが、青沢は独り考え込んでいた。
瀬上君が、私のために決死の覚悟で、新教団に入信してくれたことに感謝しなければならない。だが、彼の身に危険があってはならない。場合によっては、すぐに脱会させなければ。しかし、私の糾弾と礼命会の解体を叫んでいたはずが、今は、W駅の清掃活動をしている。それが話題になってFT新聞の記者まで来た。健全でオープンな方向に進んでいる。今のところ、瀬上君に危険はないと考えていい。ただ、根本的な疑問として、水越賀矢は一体何がしたいんだ?
「以前から、彼女は分かりにくい人物だ。でも、今回のことについては、私にも全く分からない。W駅の清掃活動が礼命会の解体と私の糾弾に繋がるとはとても思えない」
青沢礼命は声に出して言った。
今、水越賀矢が礼命会を壊滅させるために取り組んでいるのがW駅の清掃であり、その理由は、彼女が宗田功佐久の手紙を読んだからだ。こういう事実が底流していることに、青沢は全く気づいていなかった。W駅と聞いて、宗田のことが思い浮かぶこともなかった。宗田功佐久からW駅への寄附の中止を求められた時、彼は、宗田の手紙を深刻に受け止めた。そして、寄附を中止した。だが、九年前のことである。その間に、青沢礼命は、宗教家から精神科医に戻り、更に再び、礼命会代表になった。しかも、ある時期から、宗田は隠居した。だから、彼に会う機会もほとんどなくなった。彼が宗田功佐久の手紙のことを忘れてしまったのもやむを得ないことだった。
四年前と今の彼女の決定的に違う点について彼は考えた。
それは、今の水越賀矢には資金があることだった。
青沢が一番よく知っていることだが、礼命会代表に法人から支給される報酬は世間一般と比較して高額すぎた。青沢が教団を設立した際、教祖が教団の金を好き勝手に使うことのないよう、理事に教団の資金管理と代表の報酬管理も任せた。青沢は、信者が高齢富裕層であることを忘れていた。青沢とは違う金銭感覚で算出された給与が銀行に振り込まれた。金額を見て驚いた青沢は宗田功佐久に相談した。
「そのまま受け取っておきなさい。給料が高すぎるから、減額してくれなどと言うと、信者が気分を害します。いかにも自分たちが世間から遊離しているように感じるからです。私も含めて、金持ちというのは、優越感は抱きつつ、世の中から浮いた存在にはなりたくない。そういうわがままな存在なのです」
宗田は苦笑いして言った。
その後、青沢は報酬の大部分を慈善団体に寄附した。金を使わない彼には、そうする以外の方法が思いつかなかった。
水越賀矢も金を使わない人間だった。代表を務めた四年の報酬もほとんど使っていないはずだった。その金が、今、新教団の資金になっていることが青沢には分かった。瀬上の報告にあった新車のワゴン車三台も、彼女が一括して購入したのだ。事実として、金は力だ。今の水越賀矢には力がある。四年前の彼女とは違う。
「それから、今の彼女には自信がある」
そう言って青沢は椅子から立ち上がった。演台と『握り手様』の置かれた台座を見た。振り向いて長椅子を見た。演台と台座の位置関係から長椅子の配列の仕方まで、『救済される魂たち』の教会は、全て礼命会の真似をしているのだ。彼女の教会に入ったことのある杉原と牧多から教えられた。ただ、そのことは問題ではなかった。問題は、以前の水越賀矢なら、他者の真似など決して、しなかった。それが、今、そっくりそのまま礼命会の真似をしているのだ。これは、彼女が四年の間に、宗教家としての力をつけたことの現れだった。真似をしても平気なほど、今の彼女は自分に自信を持っているということだ。ペンダント売りが頓挫したあの頃の彼女とは違う。青沢は再び椅子に腰かけた。
彼女の本当の狙いが何なのか? やはり、私には分からない。だが、一つだけ分かることがある。それは、彼女はタガが外れてしまったということだ。独立を認めた私の責任だ。彼女の暴走は私が止めなければならない。今年はもう終わる。でも、来年の早い時期に必ず決着をつけられるはずだ。それが分かるのは、彼女が焦っているから。これも理由は私には分からない。でも、彼女はあまりにも生き急いでいる。そこに彼女が隠す何かがある。そして、私はためらわず、そこを衝く。
彼には分からないことが多かった。だが、不思議なことに、水越賀矢と対決することには迷いはなかった。ずっと以前から、いつかこういう日が訪れると思っていたからだった。根拠はなかった。でも、彼には確信があった。
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