第四章(実践)3

三.

「打倒礼命会」を掲げつつ、実は、若者信者の幸せの実現を考えている。それが、水越賀矢という人の本心なのだと瀬上芯次は考えていた。だが、それは、あくまでも瀬上の願望であり、水越賀矢は、若者信者の幸せなど考えていなかった。それより、彼女は二週間が過ぎたことに焦りを感じていた。


もう十二月も半ばに入ろうとしているのに遅い。この清掃活動の認知度は市民レベルでは高まっている。でも、真面目にやっているだけでは、それ以上は求められないのか?


水越賀矢はずっとマスコミが取材に来るのを待っていた。「信仰の実践」をW駅の清掃活動に選んだのも、マスコミに取材される可能性が高いと考えたからだった。喧嘩や泥酔客などで荒れているW駅は、ボランティア団体からも敬遠されていた。そのW駅で、あえて清掃活動をすれば注目されることは間違いない。それに、街の鉄道交通の要所W駅での出来事である。マスコミも報じないわけにはいかない。だからこそ、W駅での清掃活動を始めたのだった。インターネットのSNSは、宗教団体の奉仕活動といった地味な話題に関心を持つことは極めて少ない。刺激的な話題に関心が集中する傾向が強く、今の彼女には利用価値がなかった。


彼女はFT新聞社会部の記者瀬木が必ず取材に来ると確信を持っていた。瀬木とは、四年前、ペンダント売りを問題視して記事にした瀬木昌司のことだった。そのために、水越賀矢は追い詰められた。しかし、その時、瀬木が優秀な記者であることを彼女は身をもって知った。だからこそ、瀬木が取材に来るのを望んだ。瀬木も、彼女の新教団の奉仕活動を知ったら、どうしても以前のペンダント売りと重ね合わせてしまう。そのため、危機感を抱いて取材に駆けつけると彼女は考えていた。だが、瀬木は一向に姿を現さない。十日を過ぎた頃、一度、こちらから、FT新聞に電話をして瀬木に取材をしてくれと直接依頼しようかと思ったほどだった。


瀬上たちのグループは、その日は、在来線の清掃をしていた。他の三人はホームの清掃に行っていた。瀬上一人だけが、ゴミ箱の掃除をしている時だった。

「君。水越賀矢先生の新しい教団の信者だよね?」

瀬上は急に声をかけられて驚いて振り返った。

「そうですが、あなたは誰ですか?」

白髪混じりの年配の男が立っていた。

男は灰色の背広の上に黒いコートを羽織っていた。

「私は、FT新聞社会部の記者。端村清一です」

そう言って瀬上に名刺を渡した。

「僕は瀬上芯次です」

そう答えると、瀬上はじっと名刺を見ていた。彼は名刺を渡されたことなどこれまで無かった。

「瀬上芯次君。早速、君に話を聞かせてもらうよ」

端村は手帳を取り出し、質問を始めた。

「何故、水越賀矢先生は礼命会代表を辞めて、新しい教団を立ち上げたんだろう?」

「それは、若者を救うためです。礼命会は大人向けの宗教であるため、若者のための新しい教団を立ち上げる必要があったからです」

そう答えてから、瀬上は、これは取材なのだと気づいた。

端村が続けて訊いた。

「なるほど。若者のための宗教団体。つまり、礼命会の若者支部ということかな?」

瀬上は困った。礼命会と『救済される魂たち』の関係は、彼にもよく分からなかった。全く関係がないということはない。そのことは知っていた。でも、具体的にどういう関係かは分からなかった。おそらく、他の若者信者も、彼と同じだ。

「何て説明したらいいのか。僕には難しくて……。先生にしか分からないと思います」

「先生とは、水越賀矢先生のことだね?」

端村が、そう尋ねた時だった。

私鉄のほうから、水越賀矢が駆けつけた。

「取材に来てくださったんですね。ありがとうございます。質問は新教団『救済される魂たち』代表水越賀矢にお願いします。瀬上君は聡明な若者ですが、質問にお答えできるほど教団のことには詳しくないので」

瀬上は水越賀矢が現れてほっとした。そして、急いでホームのほうへ移動した。振り返ると、端村が、水越賀矢に名刺を渡しているのが見えた。

瀬上は牧多に状況報告のメールを送った。


牧多賢治は、昼休みに総菜工場の事務所でうたた寝をしていた。二人いる事務員は食事に出てまだ戻って来ていなかった。そこに、瀬上からメールが送られてきた。彼は着信音に目が覚めてメールを開いた。


「奉仕活動十五日目にして、FT新聞社会部の記者が取材に来ました。いきなり僕に質問をし始めたので驚きました。今、水越賀矢先生が話をしています。端村というかなり年配の記者です。取材が来るぐらいだから、奉仕活動が街で話題になっているのでしょうか? とりあえずメール送ります」


瀬上のメールを読んだ牧多は呟いた。

「話題になっているのかな? それより、取材に来たのが年寄りの記者で良かった。瀬木なんかが取材に来たら、何を探り出されるか分からなかった」

そして、彼は、「FT新聞の記者が新教団のW駅清掃活動を取材に来たとのこと。※記者は瀬木でありません」と杉原と青沢礼命にメールを送った。


FT新聞の記者がようやく取材に現れた。ただ、瀬木ではなかった。年寄りの記者だった。牧多はそれを知って安堵したが、水越賀矢は、ひどく落胆した。でも、顔には出さず、端村と挨拶を交わし、それから話をした。話の途中、彼女は訊いた。

「ところで、瀬木さんはお元気ですか? ちょっとした知り合いなのですが」

「そうでしたか? 彼は、別の取材で忙しくしています。こちらの取材は、私が担当することになりました。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

水越賀矢は笑顔で応じた。


端村という記者は誠実な人物のようだ。それでも、小さな教団の奉仕活動の取材だ。ペンダント売りは事件性があったが、今回は平和な奉仕活動だ。簡単な取材で終ってしまうだろうと思った。しかし、彼女の予想に反して、端村はすぐに取材を終わらせて帰ることはなかった。奉仕活動が終わる四時まで取材を続けた。水越賀矢と信者に話を訊くと、次に三線の駅員に話を訊き、三人の駅長にも取材をした。駅と契約している清掃業者にも取材をした。駅を歩く利用客にも話を訊いた。各ホームで清掃活動をする信者の写真も撮った。奉仕活動の終了時間になったので取材もそこで終了した。

「端村さん。奉仕活動の終了まで取材をしていただいて、ありがとうございました」

水越賀矢が、端村のところに駆け寄った。

「いえ。私もよく利用するW駅の清掃活動を行ってもらっている皆さんへの感謝の気持ちですよ」

端村はそう言って笑った。

そこに男子信者の声がした。

「先生。ワゴン車が来ます。すぐにいつもの場所まで」

水越賀矢は、もっと取材をしてもらいたいと思った。

「今、迎えの車が来ます。一緒に乗ってくれませんか? 教会でもっとお話をしたいので」

と頼んだ。

「送迎車があるのですか?」

一瞬、端村は驚いた。それから、こう言った。

「明日も、W駅に取材に来ますので、お話はその時に伺います」

「明日も取材に来てくださるんですか?」

「はい。では、また明日」

端村は笑顔で頷いた。

そして、私鉄①に乗ってFT新聞社に帰るからと構内の奥に戻って行った。


瀬上は枚本の運転する帰りのワゴン車に乗っていた。

瀬上は、いつも送迎車は、枚本の車に乗る。他の信者も、初日に乗った運転手の車に乗っている。別に決まりはないのだが、自然とそうなっていた。瀬上の隣には円崎が座っていた。座る席も同じだった。

端村が取材に訪れたことは教団の宣伝のために非常に重要なことだ。新聞記事になれば大きな宣伝効果がある。水越賀矢が教会でもっと話をしたいと思ったのも当然だと思った。でも、瀬上には、端村が、最後に驚いて発したひと言「送迎車があるのですか?」が印象に残っていた。


瀬上はW駅の清掃活動が始まって以降、ずっと思っていることがあった。それは、『ワゴン車の送迎って無駄じゃないのか?』ということだった。口には出さないが、他の信者も同じことを思っていた。何故なら、どの信者も送迎車を利用するとかえって時間がかかるからだった。瀬上の場合、自宅近くの駅から電車に乗ってW駅で降りれば、二十分で到着する。それが、送迎車を利用すると、途中の駅で降り、教会まで歩いてワゴン車に乗り換える。そこから車で走って、ようやく駅につく。送迎車を利用すると四十分近くかかってしまう。それと、清掃活動の合間に津江に教えてもらった。ワゴン車はレンタカーではなかった。レンタカーなら「わナンバー」なのだ。でも、三台のワゴン車は違った。

「賀矢先生が新車で三台一括購入したんだよ。でも、この教団って、そんなに金あるのかな?」

津江の言葉は、そのまま瀬上の疑問だった。水越賀矢は、実は、金持ちなのか?


隣を見ると、円崎が菓子パンをむさぼるように食べていた。清掃活動は体力を使う。塩むすび三つでは足りなかった。教会の駐車場に到着して、二人とも車を降りてから、瀬上は小さな声で、先ほど考えていた送迎車のことを話した。

「送迎車も宣伝なんだっていうことが、今日のFT新聞の取材に対応している賀矢先生を見て分かった。服飾店を経営していた先生は、宣伝がいかに大事かを知っている。黒塗りのワゴン車三台が、駅前に到着して、そこから真っ白なパーカーを着た若者が、何人も降りてくる。胸元には『救済された魂たち』の赤い文字。誰もが、何の集団だろうと注目する。全部、賀矢先生の演出なんだ。ワゴン車もそうだ。新車を三台購入したのも、宣伝のための必要経費なんだよ。ただ、この教団がそんなに金持ちだとは僕も知らなかったけどね」

円崎の説明に瀬上は納得した。

そして、二人は、教会に入って御神体の地獄絵に手を合わせて一日を終えた。


端村清一は、帰りの電車で席に座り考えていた。

駅前に黒いワゴン車が三台停まっていた。レンタカーじゃなかった。教団の車だろうか? 三台とも新車だった。水越賀矢が教団を立ち上げた時に三台まとめて買ったのか? 運転手はプロのドライバーだ。一日いくら払っ雇っているんだ? 安くないはすだ。しかも、三人も。清掃活動を始めて十五日。ワゴン車の購入代金は別にして、既に相当な出費だ。活動はまだ続けるつもりだ。全ての費用は、水越賀矢が出している。彼ら若者信者の寄附など微々たる額にしかならない。しかし、瀬木君の残していった過去の資料を見ると、彼女は随分、経済的にシビアな状況にあったようだが?


それから、端村の考えは、瀬木のことに移った。

先日、瀬木はFT新聞社を辞めた。世界を見たいと言って彼は退社した。フリージャーナリストになった。だが、実際は、会社の方針と合わなかった。上司とも度々、衝突していた。瀬木は社にいることに限界を感じたのだ。彼が辞める直前だった。水越賀矢の新教団がW駅を清掃活動しているという情報が社会部に届いた。端村は、水越賀矢の新教団のW駅清掃活動について、瀬木から自分の代わりに取材をして欲しいと頼まれた。

「水越賀矢という人を以前に取材したことがあるんですが、ちょっと変わった人でした。今回の清掃活動も私が取材したかったんですが、できなくなりました。端村さん。この取材をお願いします」

そう言い残して、彼は社を去った。


端村が取材に訪れた夜、水越賀矢は教会の長椅子に座って考えていた。

今日、W駅の清掃活動の取材がようやく訪れた。記者が瀬木ではなかった。でも、端村という記者も熱心に取材をする。明日も来ると言った。彼なら期待できる。そして、それは同時に、瀬木がFT新聞を辞めたということを意味する。私の新教団の奉仕活動が話題になっているのだ。誰を押し除けてでも、瀬木が取材に来たはずだ。それが、端村が来た。瀬木は辞めたのだ。瀬木は正しい人間だった。それに、自立していた。この国では一番嫌われるタイプだ。厄介者扱いされて、辞めざるをなかったのだろう。残念だが、それが現実だ。


彼女は長椅子から立ち上がった。教会のパーテーションをずらして暗い通路を歩いた。通路の右側にある使われなくなった厨房は、何かが息を潜めているような気がした。そして、自室代わりに使っている座敷の襖を開けて部屋に上がった。電器のヒモを引っ張ると、畳の上に横たわった。蛍光灯の青白い光が彼女の目に差し込んできた。彼女は二年前のある日のことを思い出していた。W駅の前で勧誘活動を行っている時のことだった。突然、彼女は神がかりになった。その日はよく晴れた秋の日だった。彼女はキャプテンビーフハートのTシャツに薄手の黒のコートを羽織っていた。胸元に大きく「魚顔の男」がプリントされたTシャツだった。その日のことを思い出す時、彼女は、必ず、Tシャツのことを思い出した。

「トラウト・マスク・レプリカ……」

蛍光灯の光を見つめながら、彼女は、知らぬ間に、アルバムタイトルを呟いていた。奇妙な出来事に遭遇することを、あらかじめ神により知らしめられていた。それが、あの日の服装の選び方だったのだと、彼女は今でもそう考えていた。最も奇妙で最も神の意志が強く顕れた神がかりだった。人が炎に包まれて燃えていたのだから。

否、燃えているように彼女にだけ見えたのだから。

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