第三章(独立)4

四.

『救済される魂たち』の建物に入るため、朱色の木製のドアを開けた。牧多、杉原、瀬上の順で中に入った。灯がついていないので、建物の中は薄暗かった。彼女は演台に立って説教をしていた。彼女には照明があたっていた。少しして、「確かに十九人いる」と牧多が呟いた。杉原はその声を聞いて、長椅子を見た。若者が十九人いた。「牧多。とにかく座ろう」と言って、杉原は牧多と瀬上と並んで一番後ろの長椅子に座った。公園など屋外に置いてある黒い鉄製の長椅子だった。座ると氷のように冷たかった。三人とも、また外に出たような錯覚に襲われた。実際、建物の中には火の気がなく、外よりも寒いような気がした。牧多と杉原は小声で話した。

「教会の中が礼命会の教会に似てる。演台とか長椅子の置き方とか」

「教会っていうと、どこでも、こんな感じを思い浮かべるけど。でも、言われてみれば、そっくりだ」

似ていて当然だった。水越賀矢は、礼命会の教会をそっくり真似したのだから。理由は、立教までの時間が無かった。それだけだった。

 

・配置図

 

(一列目左)若者信者4名[通路](右)若者信者4名

(二列目左)若者信者4名[通路](右)若者信者4名

(三列目左)若者信者3名[通路](右)瀬上杉原牧多

 

真っ黒な衣装の水越賀矢が、演台に立っていた。瀬上芯次は初めて、写真ではない本物の水越賀矢を見た。彼女は声を大きくして言った。

「第一回の集会は入信の儀式の後、少ししかお話ができませんでした。今日の集会でしっかりお話ししたいと思います。ここにいる皆さんには共通した点があります。それは、この世からふと消えてしまいたいという漠然とした死への思い、所謂、希死念慮を抱いているという点です」

彼女の話を聞いて、一列目に座る男子信者が言った。

「みんな、僕と一緒なんだ。僕だけじゃないんだ。何だか、ほっとした。でも、何でそんなに、みんな、死にたいって思うんだろう?」

「いつも、漠然と死にたいって思っているから、これが当たり前だと思っていた。でも、考えてみたら、変よね。何故だろう?」

同じく一列目に座る女子信者が言った。

「そうだよな」

「原因は何だろう?」

二人の意見を聞いて、更に、信者の中から声がした。

そこで、水越賀矢は話を次に進めた。

「唐突ですが、私が子どもの頃は、『貧困状態』を貧困とは言わず、貧乏と言いました。そして、私の家庭は貧乏でした。父は酒乱で博打にのめり込み、母が生活費を稼ぐ。その生活費も父が酒と博打につぎ込んでいた絵に描いたような貧乏家庭でした。先回、皆さんにアンケートをお渡しして回答を頂きました。それを読むと私のような境遇の人はこの中にはいませんでした。偶然ですが、十九人全員が、平均的なサラリーマン家庭です。でも、皆さんの回答欄には共通して、生活が苦しいとあります。生活費、学費を稼ぐのにアルバイトばかりの毎日。経済的な問題で進学は諦めた。この先も苦しい生活が続くのなら、何のために生きているのだろう? このようなことが沢山書かれています。そして、死にたい。消えて無くなりたい。こんな思いに至ってしまっている皆さんがいます」

水越賀矢の話を聞いて、瀬上は切実に感じた。

父と母がともに市役所に勤めている彼の家庭は貧困家庭ではない。だが、子どもの頃から、同級生の家庭には、そんな家庭が沢山あることを彼は知っていた。

水越賀矢は、更に話を続けた。

「私は皆さんに自立した人間になって欲しいと思っています。皆さんもそう思っているはずです。でも、この国は、従来から、人の和を重んじる余り、自立心を嫌う傾向にあります。ただ、そのことは皆さんもよく知っていると思います。より深刻な問題はここからです。皆さんは毎日、自分の意志で生きているという実感はありますか? 自立した意志ということです」

三列目の男子信者が、大きな声でこう言った。

「そんな実感あるわけないですよ。生かされているんです。神や仏の力で生かされているっていういい意味じゃありません。俺たちは、みんな、死なない程度に、生かされているっていう感覚です。俺たちは、みんな、飼い殺しにされているっていうことです!」

水越賀矢は、演台を右の拳でどんと叩いた。

「辛いことです。でも、それが真実です。皆さんだけでなく、この国に生きる多くの人が飼い殺しにされています。特に若者の場合、飼い殺しにされた状態で自立ができますか? 根本的に矛盾しているのです。このことをまず理解してください!」

 

杉原と牧多は、以前のようなエキセントリックな彼女ではなく、真面目に話をする水越賀矢を見て、これは大丈夫だと思った。本当に若者を助けたいのだと理解した。二人とも仕事があるので集会を抜けることにした。瀬上にそのことを言おうと杉原が彼を見ると、じっと水越賀矢の話に耳を傾けているので、そのままにして外に出た。

「僕は、賀矢先生が、生きるのが辛いのは、あなた達が甘ったれているから。これから真に自立した人間になる修行をします。こういうことを言うと思っていた」

「俺も同じことを考えていた。礼命会の四年が賀矢先生を変えたんだ。早速、青沢先生に報告しておくよ。もう大丈夫ですって」

杉原と牧多はそう言うと、それぞれの車に乗って仕事に戻った。

 

杉原と牧多は、水越賀矢のことをよく知っていた。二人の話した通りのことを彼女は話すつもりだった。そして、これから修行をするつもりだった。だが、水越賀矢は急遽、内容を変更した。

杉原たちが集会を出て行った直後だった。彼女はこんな話を始めた。

「ところで、皆さん。話は変わりますが、不思議だと思いませんか? 礼命会悩み相談に訪れた皆さんと、悩みを聞いた当時の礼命会代表の私が、新教団で教祖と信者として、こうやって集まっていることを。普通なら、礼命会の代表と信者としてともに信仰をしているはずだと思うのですが?」

一列目の女子信者が言った。

「賀矢先生。私も不思議に思っていたんです。礼命会には、悩み相談には行っても、入信するのには抵抗がありました。でも、先生の立ち上げた新しい教団には、すぐに入信しました。同じ賀矢先生の教団なのに、何が違うんだろうと不思議です」

その声に、他の若者信者も言った。

「そうだよな。俺も同じことを考えてた」

「私も二つの教団の何が違うのか分からない」

 

信者の声を聞いて、水越賀矢は改めて皆を見た。

そして、演台の縁を握ると語気を強めて話し始めた。

「私は、礼命会の代表でしたが、あくまでも雇われの身でした。礼命会の本当の所有者は、礼命会の開祖である青沢礼命という男です。G大学医学部出身のエリート精神科医です。金持ちの家に生まれ、道楽で始めたのが礼命会です。けれど、結局、四年前に教団を投げ出して、医者に戻ったといういい加減な男です」

二列目の男子信者が言った。

「礼命会って、昔は、評判が悪かったんだよな。今、評判が良いのは、賀矢先生が改革したからなんだ」

水越賀矢は、その信者を見て笑顔で頷いた。

「皆さんの中にも知っている人がいるかもしれませんが、私は、パンクファッション専門店『ダムドール』の経営者でした。商売をしていると街の色んな情報が入ってきます。礼命会の悪評もよく耳にしました。それが、あるきっかけから、私が二代目代表になるよう頼まれ、私は、やるしかないと思いました。この街でずっと生きてきた私にとって、同じ街の中に堕落した宗教団体があることは許せませんでした。そして、私は代表に就任しました」

 

彼女は、まず、代表に就任して信者の年齢層が高齢者に偏っている状況を改善すべく勧誘活動を始めたことを話した。勧誘活動は一人で行った。信者は集まらない。徒労感に襲われることもしばしばあった。そんな時こそ大事なのが愚直な努力だと彼女は言った。そして、それは自分が以前に経営していた服飾店でも、その他、どの職業においても同じであることを若者信者に説いた。

「皆さん。覚えておいてください。仕事は結果を出さなければならない。でも、結果にとらわれず、今、目の前にあることを大切にする。そうすれば、必ず、結果に繋がります」

実際にそうやって結果を出してきた人間の言うことには説得力があった。若者信者は彼女の話に聞き入った。彼女は、高齢者ばかり約百人の信者の教団に、あらゆる年齢層の約八十人を入信させた。四年の年月がかかった。

 

三列目の女子信者が訊いた。

「それだけ努力する賀矢先生なら、普通なら、若者信者も入信させられたのではないでしょうか? でも、礼命会に若者はいない。理由は分かりませんが、若者は礼命会を敬遠しているのではないでしょうか? 悩み相談も、若者を集めるための一つの方法だった。でも、みんな、相談には来ても、やはり、入信はしません」

 

水越賀矢は、女子信者を見て笑顔で頷いた。

「ほとんど、正解を言われてしまったけど、改めて、若者信者の問題について、お話しします」

彼女は、先日、青沢礼命に礼命会は成熟した大人の宗教団体だから、若者が入信しないと指摘した。青沢礼命も、その通りだと思った。彼は、宗教家に転身した当初から、若者を視野に入れていなかった。その後も、若者を入信させるための努力を怠ってきた。例えば、イベントを開催するなどの工夫をして若者を集める努力をしなかった。青沢は、水越賀矢に指摘された点をすぐに改善しようと思った。それほど的確な見解を持っているにもかかわらず、彼女は嘘をついた。

 

「礼命会の高齢信者は全員、富裕層に属する人々です。平たく言えば、金持ちですが、何故、高齢富裕層ばかりが教団を立ち上げた時から、礼命会の信者になったのか? それは同じく富裕層出身である青沢礼命が意図的に集めたからです。つまり、礼命会とは高齢富裕層のための特権的な宗教団体だったのです。青沢礼命は精神科医です。彼の精神医学の知識を利用して、人生の終焉が近づいている高齢富裕層たちに、人生の残りの時を快く過ごさせると約束しました。実際に、その約束が果たされているのか? この目で教団内部を見た私には疑問です。ただ、青沢礼命が行っていること自体は罪になることではありませんでした。問題は、そのために、高齢富裕層信者が法外な寄附を教団に納めていたことです。いくら富裕層とはいえ、札束をボンボンと大きな木箱に放り込むことを私は見過ごすわけにはいきませんでした。私は代表就任とともに、すぐに高額の寄附を禁止しました」

二列目の男子信者が言った。

「この街にそんな宗教団体があるなんて。怖い……」

「安心してください。私が、礼命会を改革したことで、教団はかなりの部分、正常化しました。但し、半年前、青沢礼命が教団に戻って来ました。青沢は教団の開祖であり、今も所有者です。私は、青沢の代表復帰と同時に、代表を解任され追放されました」

 

そして、いよいよ若者信者が集まらない理由を彼女は話した。

「若者が礼命会に集まらない理由を説明します。高齢富裕層信者が、若者を嫌っているからです。彼らは圧倒的な金持ちです。でも、若者には勝てません。若さは金で買えないからです。彼らは老いる自分、最期が近づいている自分を見たくない。その気持ちは分かります。でも、その思いが強すぎて、彼らは若者を呪っています。そして、その高齢富裕層信者を操っているのが、青沢礼命です。彼は私の神がかりとは違う不思議な力を持っています。彼の専門領域の精神医学を悪用したのでしょうか? 青沢礼命は街の丘の上にある礼命会の教会から百人の高齢富裕層信者とともに、若者に向けて、『死への誘惑』という呪いの教典を読んでいます。若者信者の皆さん。思い出してください。皆さんは、生活苦という悩みから、ただでさえ、ふと消えてしまいたいという希死念慮を抱いています。その皆さんに、丘の上から、呪いの教典が日々降りかかってきているのです。希死念慮が、本当に自殺をしようという自殺念慮にいつ変わっても、おかしくないのです。皆さんは、呪われているのです。そして、この街の若者は、皆、呪われているのです!」

 

水越賀矢の話が終わると一斉に若者信者が立ち上がり、

「この街の若者を守るため、礼命会を解体しなければならない!」

「青沢礼命を糾弾しなければならない!」

こう叫んだ。

若者信者の目は血走っていた。

瀬上芯次は、まだ入信していないため、一歩引いたところから状況を見ていた。丘の上で呪いの教典を読んでいるなんて荒唐無稽だと呆れた。でも同時に、こんな話に熱狂している若者信者を見て、これが、水越賀矢の神がかりの力なのかと思った。

 

若者信者全員が、演台の水越賀矢のところに集まっていた。

「礼命会は悪魔の教団だ!」

「青沢礼命は、マッドドクターだ!」

その声を聞きながら、瀬上芯次は、青沢礼命のことを考えた。青沢礼命は僕の命の恩人だ。彼はマッドドクターなんかじゃない。青沢礼命が危険だ。今、僕ができることは? 『救済される魂たち』に入信することだ。そして、自ら進んで諜報係になることだ。瀬上は覚悟を決めた。

 

熱狂の集会が終わり、教会には、水越賀矢と瀬上だけになった。瀬上は演台のところにいる水越賀矢のところに行った。

そして、入信を申し出た。

「瀬上君は、ホームページを見て、この集会に参加してくれたの?」

瀬上の話を聞き、さっと彼女の表情が明るくなった。

「はい。是非、入信させてください」

瀬上は緊張して言った。

「あなたのお陰で、十九人が二十人になった。あの時と同じに。瀬上君。あなたは真の神の使いです。我々とともに信仰を深めていきましょう」

彼女は、瀬上が元ダムドールの前で杉原と一緒にいた高校生だとは分からなかった。そして、彼女は喜んだ。それは瀬上が少し戸惑うほどの喜びようだった。それから、不気味な地獄絵に二礼二拍手して入信の儀式が終わった。

この瞬間、瀬上芯次は『救済される魂たち』の信者になった。

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