第三章(独立)
一.
牧多の実家の元中華料理店で、牧多と杉原は水越賀矢と話をした。二人は、水越賀矢が新しい教団を立ち上げるつもりでいることを聞いた。そして、礼命会には、もう戻れないという話も聞いた。二人は水越賀矢に、今すぐに青沢礼命に会って話をするように言った。突然、彼女がいなくなって以降、青沢は大変な毎日を送ってきた。だから、青沢に直接会って、今回のことの説明と謝罪をしなければならない。教団立ち上げの話は、その後にすべきだと説得した。彼女は素直に応じた。それから、牧多の車に乗って三人は丘の上の教会に向かった。牧多の車の運転はスムーズだった。夜の街を走り抜け、彼の運転する業務用ワゴン車は、あっという間に教会についた。車を降りると闇の中に教会の灯が見えた。杉原が腕時計を見ると、七時半になっていた。砂利敷の駐車場に車をとめた音が聞こえたのだろう。教会の入り口が開いて青沢礼命が迎えに来た。丘の上は冷える。彼は厚手のクリーム色のセーターの上に、防寒性の高い黒いジャンパーを着ていた。
面談室で話し合うことになった。四人が面談室で話し合う機会は、四年前にもあった。水越賀矢が礼命会に入会したいと初めて、教会を訪れた日だった。牧多と杉原も一緒にいた。その時、水越賀矢は神がかりになっていた。その彼女が、礼命会に入信することは不自然なことだった。だが、当時、既にこの地域で広く名前を知られていた礼命会の知名度を、自身の信者獲得に利用したいという“下心”が彼女にはあった。一方、申し出を受けた青沢礼命にも、若者を中心に人気のあったパンクファッション専門店『ダムドール』の元店長水越賀矢を利用して若者信者を獲得したいという思惑があった。そして、二人の思惑が一致した結果、一つの宗教に二つの神がいる『双頭の神』が生まれたのだった。その後、善意に基づく神へと変わったものの『双頭の神』の誕生は二人の宗教家の不純な動機がきっかけだった。あの時、テーブルを挟んで、青沢礼命と水越賀矢の間に、生々しい駆け引きが繰り広げられたことを、杉原は、今でもよく覚えている。
でも、この夜は違った。
水越賀矢は、半年間いなくなったことを謝罪した後、その理由を説明した。牧多と杉原も、この時、ようやく理由を知った。
「病院から連絡を受けた時には、既に全身にガンが転移していました。三年前、酒と博打に溺れた父が死んだ時には正直言って、清々しました。でも、母に対しては複雑な思いがあります。あんな男のために人生を無駄にしたと思うと怒りが湧きます。でも、そのことを憐れに思う時もあります。母が苦しみながら死んでいく姿を見て、最期まで報われない人だったと思いました」
青沢礼命は言った。
「私も父が自殺したことで、人生が暗転しました。でも、歳月を重ねるにつれて、自殺のことではなく、生きていた頃の父のことを思い出すようになりました。死の直後は真っ暗でした。でも、歳月は人の痛みを和らげます。お母様のことも、そして、時間はかかるかもしれませんが、お父様のことも、いつか優しい気持ちで思い出せる日が来ると思います。どうか、お気を落とさずに」
水越賀矢は思わず笑った。乾いた笑いだった。
「青沢先生のお父様と私の父はあまりにも違います。酒に酔っては暴れて母を蹴飛ばし、博打の借金の取り立てに、家にヤクザが来るような父でした。いつまでも原色のままで、セピア色に変わらない思い出もあります」
青沢も、さすがに「失礼しました」と謝った。
そして、次に教団の話をした。
「賀矢先生。教会のことですが、副代表として復帰して欲しいのです。代表の私と二人体制で教団の運営をしていきたいと考えています」
本題に入る時が来た。
水越賀矢が緊張した様子で切り出した。
「青沢先生。実は、私は、礼命会を辞めて新しい教団を立ち上げようと思っています。礼命会では集められなかった若者を対象とした宗教団体です」
「若者のための新しい教団?」
「はい。礼命会は若者にとっては大人の宗教団体なのだと思います。しっかりとした宗教団体ですが、若者の悩みに敏感に反応し難くいところがあると思います。そこで、私は新しい教団の設立を考えています」
水越賀矢の話を聞いた青沢礼命は、
「言わんとするところは、私にも分かります。でも、それは認められません」
と教団設立に反対した。
水越賀矢は問うた。
「青沢先生が、私の教団設立に反対する理由を説明してください」
すると、青沢礼命は答えた。
「何故なら、それが、皆にとって、そして、誰よりも、あなたにとって、良いことだと思うからです」
水越賀矢は青沢の言葉に再び問うた。
「青沢先生。それでは答えになっていません。思っていることをはっきり言ってください」
それまで黙っていた牧多も話した。牧多は久しぶりに会った青沢礼命に笑顔で挨拶し近況を伝えた。その後、面談室に入ってからは黙って話を聞いていた。皆、彼に注目した。
「若者の信者の件は、俺には分かりません。それよりも、『双頭の神』のことを話します。青沢先生が賀矢先生に代表を任せた時、ずっと、賀矢先生が礼命会の代表であり続けるとは考えていなかったと思います。いつかは、この教団から離れると思っていたはずです。理由は、賀矢先生から聞きました。『双頭の神』はいつかは解消される宿命にある、ということです。賀矢先生は、その時が来たと感じています。だから、もう礼命会に戻るのは無理だと言っています。青沢先生なら、賀矢先生が訴えていることの意味が分かるはずです。それなのに何故、反対するのですか? 理由を教えてください」
牧多の話を聞いた青沢礼命は、ため息をついた。そして、頭の後ろで両手を組んだ。しばらくその姿勢のまま黙っていた。それから、意を決したように「賀矢先生。反対する理由をお話しします」と言った。
青沢礼命は、四年前のペンダント売りの話をし始めた。水越賀矢も、牧多も、杉原も、またその話かと内心思った。彼女の問題というと常にこの話が出るからであった。そして、実は、青沢もこの話に触れるのは気が重かった。
ペンダント売りとは、名目は修行だった。水越賀矢が、ダムドールを経営していた時に、全く売れなかったペンダント五百個を二十人の若者信者に売り歩かせた。クモのペンダントだったが、安く製作するためにデザインが簡略化され、ヤツデのように見えた。安価で仕入れたペンダントを一個三千円で若者信者に売らせた。一個三千円だけを見ると、それほど問題ではないようにも思われる。だが、五百個全て売れた場合、百五十万円という金額になった。但し、ほとんど売れなかった。そして、そのことが水越賀矢にとっては、大事だったのかもしれない。売れないため、彼女は、ある言葉を添えて若者信者たちに売り歩かせるようにした。「このペンダントは、信者仲間の両親の工場で作っていたものです。先日、工場で火事があり、焼け残ったのはこのペンダントだけです。どうか助けると思って買ってください」。全くの嘘だった。他にも諸々の問題を抱えたこのペンダント売りは、地元の新聞に記事にされた。そして、それこそが水越賀矢の狙いだった。彼女は、ダムドールの経営に疲れたある日、新聞記事で礼命会の代表青沢礼命が市の美術館や福祉施設に多額の寄附をしていることを知った。彼女は商売をしている関係で、街のことはよく知っていた。礼命会が拝金主義的な宗教であり、高齢富裕層信者ばかりを集めて、優雅な宗教活動をしていることも知っていた。『毎日、必死で商売をしている自分と比べて、この宗教団体は生きることを馬鹿にしている』。彼女はその時、激しい憎悪が湧いた。その後、神がかりという奇蹟を得た彼女が、その力を使ってまでして行ったことが、『礼命会を貶める』ためのペンダント売りだった。結局、青沢礼命によって阻止され失敗に終わった。
「これが四年前、礼命会を揺るがせた問題の顛末です。どう思いますか?」
青沢礼命から改めて聞かされると、水越賀矢も、さすがに、気まずい思いがした。
「あの時はご迷惑をおかけしました。青沢先生が教団設立に反対するのは、私が、また同じ過ちを繰り返すのではないかと懸念しているからですか?」
「若者のための教団と言いますが、若者を使って、何故、あそこまで礼命会を貶めようとしたのか? まず、若者をあなたに任せて大丈夫なのか、という疑問があります。それと、神がかりという力を得たにもかかわらず、その力をローカル宗教団体の礼命会を貶めるためだけに使ったというアンバランスさ。更に、礼命会代表に就任して四年。信者数を増やすなど、あなたは、積極的に代表として働いてくださっています。また、ダムドールについては十五年もの長きに渡り、経営者として手腕を発揮してきた。そのあなたが、一方で、礼命会憎しと突き進んだのです。しかも、あなたとは思えない杜撰なやり方で。この落差は一体何なんだろうと思うのです。これらの疑問が残ったまま、私は、あなたの教団設立を認めるわけにはいきません」
青沢礼命は水越賀矢の教団設立に反対する理由を説明した。
「青沢先生の疑問に対する答えは、全て私の人間的なバランスの悪さだと思います」
水越賀矢がそう答えた。
すると、青沢礼命はこう言った。
「人間的なバランスの悪い人に、十五年も服飾店を流行らせることはできません。経営にも接客にも、バランス感覚が重要だと私は思うからです。それより、私はこう考えています。神的、霊的な力のない私には推察しかできませんが、神がかりになると、あなたの場合、狂暴になるのではないか? そして、その結果として、平衡感覚も失うのではないか? あなたのこれまでの歩みを考えてみて、そう思います。あなたがペンダント売りの問題を起こしたのは、まさに神がかりの状態がピークにあった時ではないでしょうか? それ以外の時のあなたは優秀な経営者、優秀な教団代表であった事実も見逃せません」
水越賀矢は初めて聞く話に驚いた。
「私ですら全く気づかなかったことです。さすが、優秀な精神科医の青沢先生は視点が違います。そして、それが、青沢先生が、私の教団立ち上げに反対する本当の理由なのですね? だとすれば、先生の話は、興味深くはあっても、あくまでも推論に過ぎません。ですから、私は、若者のための新しい教団を立ち上げます」
すると、青沢礼命は、更に、自論を述べた。
「もちろん、仮説であり推論です。ただ、あなたが、ダムドールを経営している時には、”経営”という重しがありました。そして、礼命会の代表を務めていた時は、周囲の目がありました。あなたより年齢の高い信者の厳しい目、地域の目、そして、以前、問題を起こした時に記事にした地元のマスコミの目。それらが重圧になって、あなたに自重的に振る舞うよう抑制をきかせていたように思うのです。あなたが神がかりとしての力を濫用した時、あなたは『礼命会ダムドール支部長』でした。でも、あの支部は、現実には、『水越賀矢教団』でした。だから、あの時のあなたは既に独立教団の教祖だったのです。つまり、新しい教団を立ち上げた時、私は、あの時の水越賀矢に、あなたが戻ることを危惧しています。それが、私があなたの教団設立に反対する最大の理由です」
「青沢先生。推論をいつまでも聞かされても時間の無駄です。私にはそんな余裕はありません。今すぐに教団を立ち上げます!」
青沢の執拗な追及に水越賀矢は苛立ちを見せた。
「もう少し待ちましょう。何故、そんなに急ぐのですか?」
「青沢先生もお父様の死に接してご存知のはずです。人は死ぬ。私は母の死を見て痛切に感じました。人生は短い。私には残りの人生でやらなければならないことが沢山あります。私には時間がないのです」
「私もあなたも、決して若くはありませんが、まだ死を恐れる歳でもありません」
「死は突然襲ってきます。自ら命を絶った先生のお父様も同じだったはずです」
青沢は、父の自死を例に出されても、この場合は違う気がした。だが、そのことより、水越賀矢の教団設立への強い執着を見て、これは止めても無駄だと思った。そこで、彼はこう提案した。
「賀矢先生。あなたは神がかりになってから、礼命会に入信しました。結果、礼命会は『双頭の神』という状態になっています。とはいえ、あなたは、事実として、礼命会に入信し、その後、代表まで務めた人です。そう考えると、新しい教団も礼命会を母体として独立した教団ということになるはずです。教祖が礼命会出身なのですから。そこで、礼命会の開祖青沢礼命として、あなたの教団からの独立を認めます。但し、礼命会を母体とする限り、礼命会からの一定の制約は受けることになる。この条件を受け入れてください。そうでなければ、私は、あなたの礼命会脱会と新しい教団の設立は認めません」
水越賀矢はしばらく考えた後、頷いた。
「分かりました。青沢先生の提案を受け入れます。ただ、実際に教団を立ち上げて運営していく中で、礼命会とは違う性質の教団になる可能性は否定できません。礼命会では成し遂げられなかった若者のための教団を設立するのですから。その点は、ご理解ください」
青沢も頷いた。
話が終わり、二人とも疲れていた。
杉原は、腕時計を見た。十一時を過ぎていた。
教会からの帰りの車は沈黙が続いた。
牧多が気を使って、後部座席に座る水越賀矢に話しかけた。
「これで無事に教団が設立できます。良かった。ところで、先生。教団の名前はもう決まっているんですか?」
「救済される魂たち」
「それが教団名ですか?」
「今、多くの若者の魂が消えてしまいそうになっている。それを救いたいという意味です」
牧多は水越賀矢の説明を聞いて深く頷いた。二人は感性が似ていた。
杉原は、水越賀矢らしい教団名だと思った。
そして、彼は、新しい教団が、礼命会ダムドール支部の時のように、水越賀矢教団にだけはならないことを願った。
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