第17話 揺れる心


 明日から連休。奇跡だと思わないか?





 帰り道。雅司が笑顔でそう言った。


「折角の連休だ。どこか遊びに行かないか」


 夜勤明けのテンションなのか、いつになく饒舌な雅司に苦笑する。


「ありがとう。でも疲れてるし、ゆっくり休むべきよ」


「これぐらい大丈夫だよ。いつものことだ」


「だから、何度も言わせないで。それがおかしいって言ってるの」


「おいおいどうした。何か気に障ったか?」


「そうじゃなくて……私が言いたいのはね、雅司には休養が必要だってこと」


「休養ね」


「毎日毎日、あなたはあんな環境で働いている。自分を殺し、人の絶望に触れて生きている。せめて休みの時ぐらい、自分をいたわって欲しいの」


「職場を見せたのは、失敗だったかな」


「そんなことない。あの場所に行かなければ、私はあなたを理解出来ないままだった」


「悪魔に同情される日が来るとはね」


「……馬鹿」


「でもな、そう思ってくれるんだったら尚更だ。遊びに行こう」


「だってあなた」


「俺のことを気遣って、休むべきだと言ってくれる。素直に嬉しいし、正しい休日の過ごし方だと思う。でもな、遊びに行くのは、俺にとっても大事なことなんだ」


「どういうこと?」


「確かに休めば、体の疲れは取れる。でも、それだけじゃ不十分なんだ。人間には、心の休息も必要だから」


「心……」


「俺の仕事、体力もだけど、それ以上に心をすり減らしていくものだ。毎日毎日、負の感情を受け止めてるんだからな」


「……」


「例え疲れるとしても、無理にでも何かする。仕事のことを忘れて遊びまくる。そうすることでまた、活力がみなぎってくるんだ」


「そういうものなのかしら」


「それに俺も、お前たちと遊びたいしな」


 そう言った雅司の笑顔に、ノゾミはまた動揺した。

 何なの、これ。こんな感覚、今まで感じたことがない。


「……分かったわ。じゃあ明日、遊びにいきましょう」


「よし!」


「ただし」


「……って、何だよ」


「今日はしっかり寝ること。それが条件よ」


 ノゾミの言葉に、雅司は微笑みうなずいた。





「で? しっかり社会見学してきたのか?」


 メイがそう言って、ホットミルクを口にする。


「そうね……色々と、思うところはあるんだけど」


 クッションに顔を埋めながら、ノゾミが力なく答えた。


 約束通り、雅司は家に着くとシャワーを浴び、ビールを飲んだ後で布団に潜り込んだ。

 定まらない視線で帰ってきたノゾミを迎えたメイは、やれやれと言った表情で座るよう促した。


「メイは……知っていたのよね」


「ああ。やつを半年見てたのだからな」


「あんなことを続けていたなんて……ショックだった」


「何がショックだった? 人間の末路にか? それとも、そんな環境に身を置くやつにか?」


「どっちもだけど……さっきね、雅司に聞かれたの。神が本当にいるのなら、どうしてこんな結末を用意したんだって」


「やつらしいな」


「私、何も言えなかった。何を言っても詭弁になるから」


「だな」


 カップを置き、ノゾミを見据える。


「神の御心は分からない。そんなもの、分かろうとすること自体傲慢だ。私たちはただ、そのご意志に従うまでだ」


「……そうね」


「幸せを求め、人間は戦い続けている。その中で、多くの幸せや不幸が待ち受けている。だが……行き着く先は皆同じだ」


「その運命から逃れられないなら、どうして人間は生きるの? どうして絶望しないの?」


「絶望してる人間なら、目の前にいるではないか。私たちにとって、とてつもなく価値のある人間が」


「……」




 私は雅司の魂を求めている。誰よりも深く絶望し、負の感情を抱く稀少な魂。

 これまでもずっと、そういう人間たちと契約してきた。

 でも。

 理解しようとしたことはなかった。

 下等な人間の絶望など、理解する価値がないからだ。

 その筈なのに。

 絶望の一端を垣間見た自分は、明らかに動揺している。

 それは、真実を見てしまったからなのだろうか。

 それとも。




「お前、雅司に深入りしてるな」


 核心を突かれた気がした。


「そうなの……かな……」


「今のお前は間違いなく、やつの絶望に触れている。魔族のお前が、人間ごときに振り回されている」


「……」


「しかしそれは、いい事なのではないか?」


「いい事……ね」


「お前は今、やつを理解しようとしているのだ」


 その言葉に動揺する。


「いい機会だ。雅司からは聞くことがないだろうからな、私が教えてやろう」


「何よ」


「あんな膨大な負の感情、私も初めてだった。この魂を刈ることが出来たなら、死神にとってこれ以上のほまれはない。そう思い、ずっとやつを見てきた。

 そして今のお前のように、やつの絶望に興味が湧いた。どうすれば、ここまでの絶望を抱けるのかとな。だから」


「まさかあなた、雅司の魂に触れたの?」


「ああ。どうしても知りたくなってな」


「全く……私でも滅多にしないのに」


「やつの生きてきた軌跡、その時の感情。それに触れた。そして……惚れた」


「え?」


 予想外の言葉に、ノゾミが声を漏らす。


「惚れたのだ、あの男に」


「惚れたって……あなたが?」


 顔を上げたノゾミが、メイを凝視する。


「な、なんだ、そこは食いつくところではないだろう」


「いえ、その……あなたの口からそんな言葉、意外って言うか」


「そうだな。冥界の住人たる私が、人間などという下等な存在に心奪われたのだ。驚くのも当然か」


「……どういう所に惹かれたのか、聞いてもいい?」


「まあ、今更隠しても仕方ないか。お前には借りもあることだしな」


 そう言って、小さく息を吐いた。



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