第16話 根源


「夜勤の仕事は、利用者に安心して眠ってもらうことだ。その為なら、どんな嘘でもつく。言い方は悪いけど、朝になれば全部リセットされてるしな」


「あなたは一晩、彼らを騙し続ける。それが仕事だって言うのね」


「ああ。真剣に考えたらやりきれないよ。笑顔で嘘をつき続けるんだからな。彼らの人生が終わるまで」


「ごめんなさい、私……雅司みたいに受け入れられない。頭の中がぐちゃぐちゃで」


「気にしなくていいよ。これは俺の仕事だ」


「あの拘束だって……私、雅司なら一人になったら外すと思ってた。いくら事故を起こさない為とは言え、従うとは思わなかった」


「失望したか?」


 ノゾミが大きく首を振る。

 分かってる。仕方のないことなんだと。

 それでも昨日の雅司を見ていると、真剣に彼らと向き合っていた。そんな雅司が受け入れるとは思えなかったのだ。


「自分の信念を貫き、拘束を解いたやつがいた。でもそのせいで利用者が転倒、それから死ぬまで寝たきりになった。この話はしたよな」


「ええ」


「それ、俺なんだ」


「え……」


「俺はその人の人生を滅茶苦茶にした。あの怪我がなければ、今でも元気だったかもしれない」


「雅司……」


「だから俺は、会社に従うことにした。逆らう資格もないからな」


「……」


「とにかくまあ、無事朝を迎えられた。それだけで今は満足だ」


「無事……ね」


「なんだなんだ、まだ何か言いたそうだな」


「だってそうじゃない。私からしたら、何が無事なのよって感じよ。利用者に罵倒されて、引っかかれて首を絞められて。それに便の処理だって」


「ああ、伊藤さんね。あんなの普通だよ」


「だからそれがおかしいんだって。オムツの中に手を入れて、便をつかんで食べてたのよ? 布団に擦りつけてたのよ? あの後雅司、彼女を洗って、シーツも交換して」


「ノゾミノゾミ、ちょっと声下げて。みんな飯食ってるんだから」


「あ……ごめんなさい」


 どこにいるのかを思い出し、顔を赤らめうつむく。


「まあ、あれぐらい何てことないよ。ある程度回数をこなせば、対応するのも早いもんだ」


「人間って」


 ストローに口をつけ、ノゾミがつぶやく。


「もっと自由なんだと思ってた。我が物顔で資源を浪費して、気ままに生きてる存在だって」


「まあ、そうだよな」


「でも……彼らを見てると、とても世界の覇者には見えない」


 雅司が自嘲気味に笑う。


「どうしてメイが今日、ノゾミに施設を見せたのか。今なら分かるんじゃないか?」


「え……」


「確かに俺たち人類は、この地上で最も繁栄した種族だと思う。他の生物の居場所を奪い、自然を破壊し、文明を築いてきた。

 おかげで今、それなりに満ち足りた生活をしている。でも」


「……」


「最後に行きつく場所は、みんなあそこなんだ」


 そう言った雅司の顔を、見ることが出来なかった。


「科学の発展、医学の進歩。おかげで人間は、寿命すら伸ばすことが出来た。でもその代償として、新たな苦痛を生むことになった。認知症なんてのも、例外はさておき、高齢化の反動だ」


「……そうね」


「俺には昔、尊敬する先輩がいた。その人が口癖の様に言ってた。『努力すれば、人は幸せになれる』って」


「そうね。それも真理だと思う」


「でもな、努力……頑張ることが幸せの条件だって言うんなら、どうして彼らは今、あんなことになってるんだ?」


「それは……」


「彼らは俺より、ずっと長い時間生きてきた。辛いこともあった筈だ。俺なんかには想像も出来ないぐらい、悩み、苦しんだ筈だ。でも頑張ってきた。

 なのに今の彼らはどうだ? 頑張った結果があれなのか? 子供に捨てられ、自由を奪われ。好きな物も食べられず、外に出ることも出来ない。しかも、どうしてこうなっているのかも理解出来ていない。

 これが人生の終着点なのか? 俺たち人間は、こんな未来の為に生きているのか?」


 雅司の言葉が胸に突き刺さる。何も言えなかった。


「そんなことを考えていたら、生きるのが馬鹿らしくなってきた。どれだけ努力しても、幸せな未来はこない。みんないつか、壊れていくのだから」


「……」


「なあノゾミ。お前は魔界、メイは冥界の住人だ。悪魔や死神がいるのなら、きっと神もいるんだろう」


「……否定はしないわ」


「なら教えてくれないか。どうして神は、人間にこんな結末を用意したんだ? それともこれは罰なのか? 神を捨て文明を選択した、人間に対する罰なのか?」


「だからあなたは……死を望むのね」





 ノゾミは思った。


 でもね、雅司。それでもあなたは、目の前の不幸から逃げていない。

 どれだけ絶望にさいなまれても、あなたはそこに留まっている。


 死を選択し、そこから逃げることが出来ない存在。

 それなのにあなたは、あの地獄に行くことをやめない。

 自分の命が尽きるまで。


 任務のおかげで出会えた、不思議な人。

 私はあなたのことを愛さなければいけない。


 でも……


 契約の為に愛する、その考えを捨てよう。

 それはきっと、あなたの魂に対する冒とくだから。

 あなたが彼らに向き合う様に。

 私もあなたと向き合おう。

 昨日より、もっと正直な心で。



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