第15話 優しい嘘


「認知症の対応で、注意しなければいけないことがある。特にあの人たちの様に、施設で不自由な生活をいられてる人に」


「……」


「まず否定。誰だって、否定されたら気分悪いだろ?」


「……確かにそうなんだけど」


 罵倒されてる雅司を思い出し、素直に同意出来ない気がした。


「だから俺は基本、全てを肯定する」


「……」


「二つ目。真実が幸せとは限らないってことを、脳に刻みこんでおく」


「どういうこと?」


「例えば……そうだな、昨日の渡辺さん。何度も何度も、息子に会わせてくれって言ってただろ?」


「そうね。明日電話があるって言っても、すぐに忘れて聞きに来てた」


「あれ、嘘だから」


「え……」


 想定外の言葉に、思わず声を漏らす。

 雅司のことを、私はまだ数日しか知らない。でも、自信を持って言えることがあった。

 雅司は誠実だ。どんな事にも真摯に向き合い、信念に従って行動する。

 その雅司の口から「嘘」という言葉が出て来た。淡々とした表情で。

 ノゾミは困惑した。


「息子さんに連絡なんて取ってない」


「……じゃあ、あなたはずっと、笑顔で嘘をついてたって言うの?」


「そうだ」


「どうしてそんな」


「息子さんは、渡辺さんが早く死ぬことを願ってる。元々親子仲がよくなかったみたいだけど、認知症になったことで、存在自体が煩わしくなった」


「……」


「だからと言って、放置する訳にもいかない。ご近所にも迷惑かけるし、親を見捨てた息子、みたいな風評が立っても困る。

 でも、同居して面倒見るなんて無理だ。あの通り、夜になると攻撃的になるし、テレビの音量だって騒音レベルだ。突然怒鳴りだすし徘徊もある。とがめれば激怒する。そんな人、とてもじゃないけど面倒見れない。

 だから施設に入れた。お金はかかるけど、世間体は保てるし、自分の目の届かないところに追いやれる」


 さも、そういうものだと言わんばかりの言い様に、ノゾミの胸は苦しくなった。


「それでも毎月の出費は馬鹿にならない。昨日メイが言った様に、治る可能性はないし、未来がある訳でもない。だから一日も早く死んでほしいって思う。そういうご家族さん、結構いるよ」


「……」


「息子さんからも、会う気はないとはっきり言われてる。息子さんの中ではもう、渡辺さんとの関係は切れているんだ。哀しいけど、これは家族の問題。俺たちにどうこう出来ることじゃない」


「だったらなぜ、あんなこと言ったの?」


「なら聞くけど、渡辺さんに真実を話すか? あなたは息子さんに捨てられたんです。どれだけあなたが訴えても、息子さんは絶対に来ません。だってあなたのことを嫌ってるんだから。あなたは死ぬまで、ここから出られないんですよって」


「それは……」


「それを聞いた渡辺さんがどうなるか、考えるまでもないだろう。それにその真実は、渡辺さんにとって何の希望にもならない」


「……」


「真実こそが美徳、そう言う人もいる。でも……彼らには当てはまらないんだ」


「だから嘘を」


「ああ。それも誠実に、どんな真実よりも優しい嘘を。それが俺たちの仕事だ」


「嘘が仕事……」


「その嘘で、渡辺さんは希望を持つ。明日息子と話せる、その小さな希望が、渡辺さんの心を安定させる」


「辛くないの?」


「辛くないかって聞かれたら、正直辛いよ。でも仕事だから仕方ない、そう自分に言い聞かせてる」


「……そうなんだ」


「ただ……たまに思い出すことがある」


「何を?」


「子供の頃、大人から言われてたことだ。『嘘をついてはいけません。いつも正直に。そうすれば幸せになれますよ』って。俺もそう信じて生きてきた。いい子でいよう、誰に対しても誠実であろう、そう思っていた。

 ――でも俺は今、その嘘を仕事にしてる」


「……」


「長くなってしまったけど、そういうことだ。真実が必ずしもいい訳じゃないってこと」


「……他にもあるのかな」


「色々あるけどな。例えばそうだな、拘束に関しては、彼らはそもそも不自由な生活をさせられてる訳だし、そこは割り切るしかない」


「そうだ、聞こうと思ってたの。あの人たち、自分がどういう環境にいるか分かってないの?」


「ああ、よく分かってない。解釈はそれぞれ違うけど、介護施設だって理解してる人はいない」


「だから帰らせてとか、いつ帰れますかって聞いてくるんだ」


「それも、さっきの真実と一緒だ。真実を伝えたところで不安にさせるだけ、絶望させるだけだ。だから各々の解釈を尊重して、それに合わせてる」


「……」


「説明したところで、5分と経たずに忘れてしまうしな」


「……佐藤さんの息子も、今日迎えに来る訳じゃないんだ」


「ああ。たまにそれが当たって、たまたま息子さんが面会に来ることもある。そうすれば『昨日お伝えした通り、息子さん来ましたよ』って言う」


「その時佐藤さん、帰らせてって言うの?」


「それがな、いざ子供を前にしたら、絶対その言葉を口にしないんだ。向こうから言ってくれるのを待ってるみたいだ」


「なんだか……哀しいね」


「後はまあ、さげすみとか命令かな、やってはいけないこと」


さげすみは分かるわ。当然でしょ」


「でもな、ヘルパーの中には、そうしないと自分を保てないやつもいるんだ。『こいつは壊れてる。子供に捨てられた哀れなやつだ』って、さげすまないと耐えられないやつが」


「もう一つの命令、これも勿論駄目でしょ」


「そうなんだが、人間って知らない内にやってしまうんだ。『早く歯磨きしてくださいよ』とかね。そういうのも、こっちの気分で命令に聞こえてしまう。俺も気をつけてるけどな」


「……」


「でもほら、朝はどうだった? みんな穏やかだったろ?」


「そうね。佐藤さんにしても、帰るって一度も言ってなかったし」


「もう忘れてるから」


「え?」


 昨日あれだけ訴えていたのに、朝になると忘れてる? じゃあ、今日迎えが来ますって言ってたことも忘れてるの? ノゾミには信じられなかった。



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