第18話 アカシックレコード
「人間の最後に触れ、雅司は絶望した。まあ、それまでのやつも大概だったのだが」
「何かあったの?」
「契約の時に言ってただろう。愛された記憶がないと。親も含めて」
「……言ってた」
「やつの記憶にある親は、本当の親ではない。本当の親は、やつが物心つく前に死んでいる」
「……」
「事故らしい。それで雅司は、親戚夫婦の養子になった。その夫婦には長年子供が出来なくてな、喜んで引き取ったらしい。
だが……引き取ってすぐに、夫婦の間に子供が出来た。雅司にとっては、義理の妹だ。そのまま家族4人、幸せになれればよかったのだが」
「ならなかったのね」
「血を分けた子供が生まれたのだ。夫婦の愛情は、彼女に注がれることになった。そしていつしか、雅司を邪魔者と思うようになっていった」
「そんな……」
「やつらは幼い雅司に真実を語り、お前は本当の子供じゃない、面倒を見てやってることに感謝しろと言った」
「……」
「だが、雅司は挫けなかった。やつなりに親を、妹を愛そうとした」
「それが報われることは」
「なかった。妹も成長するにつれ、自分の立ち位置を理解したのだろう。雅司のことを見下すようになっていった」
「今は一人暮らしだけど、家族との交流はあるのかしら」
「金だけだな」
「お金?」
「ああ。今のお前があるのは俺たちのおかげ、恩を返せとやつらは言った。それを受け入れ、今も仕送りを続けている」
「中々に……きつい話ね」
「あの環境で生きてきて、よくもまあ、真っ直ぐに育ったものだと感心する」
「そんな彼にこそ、幸せになってほしいと思ってしまう。でも……」
「運命がそれを許さなかった」
「……よね」
「悪魔と契約したあいつには、死しか待っていない。どれだけ
「そうね」
「それなのにどうして、やつは仕事を続けるのだと思う?」
「それは……」
ずっと疑問に思っていたことだった。
彼は言った。生きてる以上、他のやつに迷惑はかけられないと。
だが、それだけでは納得出来なかった。
「そもそもの話、そこまで悩むのなら辞めればよかったのだ。その方が、死よりよほど合理的な選択だ。それなのにやつは、この仕事に執着していた」
「私も思った。もっと気楽な仕事に変わればよかったのにって。介護だけが仕事じゃないんだから」
「だがやつは、そうしなかった」
「……」
「そういうやつなんだ。自分がどれだけ絶望しようが、心がすり減ろうが関係ない。あいつはただ、目の前の人間を見捨てられないのだ」
「目の前の……人を……」
「雅司が何をしたところで、やつらの未来は変わらない。子供に捨てられ、自由を奪われ、心も体も壊れていくだけだ。
死ぬことを待ち望まれている邪魔者たち。そんなやつらのことを、雅司は見捨てられないのだ。
何も出来ないことは分かっている。幸せにも出来ないし、望みを叶えることも出来ない。それでも例え、一瞬でもいい、笑って欲しい。生きる喜びを感じて欲しい、そう思い、やつは働いているのだ」
メイの言葉に、ノゾミは雷に打たれたような衝撃を受けた。
昨夜の雅司。
利用者に罵倒され、暴力を振るわれ。
それでもずっと、笑顔を絶やさずにいた。
叶えられることのない嘘を並べ立て、少しでも安心させようとしていた。
自分自身、幸せとは程遠い毎日を生きている。親に捨てられ、誰からも愛されず、孤独な日々に押し潰されそうになっている。
それなのに彼らを慈しみ、励まし、包み込んでいる。
一瞬の笑顔の為に。
そんな彼を思い、胸を熱くした。
「そんなやつに、私は惚れた」
そう言って、ぬるくなったミルクを飲み干した。
「だから……ここまで言うつもりはなかったのだが、この際だ。私はな、ノゾミ。お前がやつと契約するのを待っていた」
「え……」
「お前が現れなければ、やつの人生はあそこで終わっていた。私が刈るからな。だが……そうしたくなかったのだ」
「どういうこと? 私に喧嘩まで売っておいて、意味が分からないんだけど」
「少しは本質を見極めろ」
「あんなに大泣きしておいて。あれも演技だったって言うの?」
「いや、あれは……負けたのが悔しくて……」
「確かにあの時、あなたから殺気を感じなかったけど」
「全く……そんな単純な思考だから、見てくれでしか私に勝てないのだ。中身は全く成長していない」
「私が子供だってこと?」
「ああそうだ、子供だ。私はな、ノゾミ。ある意味お前たち以上に、契約の意味を理解してる」
「どういうことよ」
「契約とはすなわち願望、魂の叫びだ。それが叶った時、契約者の心はどうなる?」
「達成感は幸せ。願いが困難であればある程、幸せも大きくなる。そうすれば、感情ゲージが更に上がって」
「やつの場合は?」
「絶望が喜びに……え、メイ、あなたまさか」
「理解したか」
「雅司に幸せになってほしい、そう思ってるってこと?」
「分かったのなら、改めて言わなくてもいい」
「でもそんな……任務を蹴ってまで、雅司に幸せを感じて欲しかったの?」
「……人間など、くだらん下賤の生き物だ。寿命も短く、浅慮で目先しか見えない愚か者だ。だが、それでも……幸せを感じるぐらい、あってもいいだろう」
「メイ、あなた」
「だからノゾミ、契約を果たせ。私がここまで言ったのだ。無理でした、出来ませんでしたなど、言わせんからな」
頬を染め、口をとがらせる。
「やつを幸せにしてやれ。絶望の沼で溺れている癖に、それでも他人の為に歩み続ける
メイの言葉に、ノゾミは心が晴れていく様な気がした。
「ありがとう、メイ。少し元気が出たわ」
「全く……何故に私が、こんなことを言わなければいけないのだ。いいかノゾミ、あんまり長引くようなら、その時は雅司の魂、問答無用で刈り取るからな」
「それをしたら協定違反、戦争になるわよ」
「うるさいうるさい! それならお前を滅するまでだ!」
「ふふっ……はいはい、私には勝てないでしょうけどね」
そう言って微笑んだ。
「ミルクのおかわり、いる?」
「ああ、頼む」
メイも微笑み、カップを差し出した。
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