第5話 雨上がりにかかる虹のような妻との約束
武尊は、美里が入院してからというもの、毎日LINEでメッセージを送っていた。
とはいえ「元気か?」やら「どうしてる」などを送ったところで、美里も返事に困るだろう。
違う方がいい。そうなれば何かネタが必要だ。
街路樹の下に咲く花や神社の境内から見た町並み。テレビ番組で気になるものがあれば、パシャリとスマホに収め、すかさず美里に送る。
テーマパークに新しいアトラクションができたというニュースの画像に、「今度ここに行こう」とメッセージを送信した。
そうすれば「いいね!」と反応がある。
メッセージでは存外元気だが、ここ最近は、病院へ行くと、ぐったりしているときも珍しくない。
金曜日だが、休日出勤した振替の休み。美里と二人であれば行きたい所は思いつくが、一人となれば特にない。部屋に一人で居るのも気が滅入る。
そうなれば、足は妻の元へと向かう。
「お~い、元気かぁ~」と、個室の扉を開けながら告げた。
「……まぁまぁかな」
と言った美里は、顔を武尊の方に向けるものの、起き上がる様子はない。
「調子が悪いってことは、悪い細胞も死んでるって証拠じゃないのか?」
「そうね、そうだといいわね」
「早く退院できるといいな。俺、めっちゃご飯作るの上手くなったから、早く美里に食べさせたいんだ」
「本当! 料理なんかできない武尊が?」
「人間、やればできるんだって」
「食べるの楽しみだな~」
「一応、リクエストは聞いてやるよ。退院祝いは何がいい?」
「じゃぁ、ビーフシチュー」
「は? 無理、無理、無理。そんな上級者向けのは、俺にはまだ難しいって。ってか、俺、美里のがいいし、作り方分かんねーもん」
「退院したら、一緒に作ろうか」
「そうだな。キッチンの広い部屋を借りて正解だったな」
うんと、美里が頷く。たわいもない会話を小一時間ばかりしてから、美里に別れを告げる。
病室から出て、エレベーターへ向かう途中、駆け寄ってきた看護師から引き止められる。
「先生が、美里さんのご主人と相談したいそうです」
「あ、はい」
医師から説明があるとなれば、退院の話だろうと期待して、以前通された小さな部屋で医師の到着を待つ。
武尊が入って来た側とは違う方の扉が、ガラッと開く。
「急に申しわけありません」
そう告げた医師へ「別に構いません」と、さらっと返す。
美里の治療は順調に進んでいると思われていたが、実際そうではないらしい。
「このまま化学療法を続けていても、効果は低く、むしろ美里さんの体力を奪うだけなので、中止しようと考えています」
「そ、それって、もう治療はしないってことですか⁉」
「まあ、そういうことになりますが、今より美里さんの体調も安定すると思います。ご主人にはお話されていないかもしれませんが、全く食事が摂れておりませんし、トイレへ行くのも難しいくらい、体力が落ちています。このまま治療を続けるとむしろ危険ですので」
「急に治療をやめたら、美里だってどう思うか……何か違う点滴をすることはできませんか?」
「治療と治療の間で時間を空けるという説明はしてあるので、問題ないでしょう」
納得しきれないながらも、選択肢もなく、分かりましたと承諾する。
◇
武尊のポケットの中でスマホが振動する。美里からのLINEだ。
『なんかね、最近すごく調子がいいんだ』
『まじか! 治療の効果が出て、良くなったからじゃないの!』
『そうかもしれない』
明るい話を助長するように武尊が返す。内心どんな反応をするだろうと不安を抱いていたが、美里は思いのほか楽観的だとホッとする。
治療もなくなり退院話が浮上してきた、そんなタイミングのことだった――。
武尊の送ったメッセージが何時間経っても既読にならない。こんなことは初めてだ。
病院を訪ねようと考えていれば、ちょうど電話のコール音が鳴る。美里の入院している病院からだと、慌てて受けた。
「すぐに来てください!」
その言葉に、なりふり構わず病院に向かい、目を開けることのない美里と対面する。居合わせ医師から、昏睡状態だと説明された。
「美里! ごめん……俺が、あの日、すぐに病院へ行くって言わなかったから。お願いだから、一人にしないで」
意識のない妻の横で、目を開く妻の顔を想像し続けたが、その日は来なかった。
雨がザーザーと降りしきる三月のある日。美里は、退院祝いとはほど遠い帰宅をした。
葬儀の際には、妻の両親から「どうして知らせてくれなかった」と責め立てられたが、返す気力もない。
「悪いのは、全部俺なんです……」と弱々しく告げるのが精一杯だった。
もう読まれることはないと分かりつつも、「ご飯を作ったよ」と、妻へLINEを送る。既読の付かないそのメッセージに、涙がこぼれる。
それから一か月以上、どんな風に過ごしていたか分からない日々が過ぎていた武尊のスマホが、一通のメールを受信した。
『明日は祝日だね! ビーフシチューの材料とレシピを、武尊に伝授しよう。朝から材料を買えば、夜に食べられるよ。次に会うときは、私にご馳走してね。先に行って待ってるから、ゆっくりおいで』
「嘘……これ、美里が予約してたのか……。ってことは、自分がどうなるのか、分かっていたのか――……」
メールの予約機能だろう。それから毎日、美里からメールが届く。
気がつけば、その日の何時にびっくり箱のようなメールが届くだろうかと、心待ちにしながら過ごしていた。
今日は美里が描いたイラストが本の表紙となって、店頭に並ぶ日だ。
それを買いに行こうと本屋の新刊コーナーで、そっと立ち止まる。イラストレーターの名前を見なくとも、武尊には妻の色使いだと分かる。
美しい希望の虹が描かれた里美の絵だ。特設コーナーに平積みにされた虹をしばらく見ていれば、ポケットが揺れる。メールだ。
『お誕生日おめでとう! 一緒にお祝い出来なくてごめんね。私の人生は、あなたの妻で幸せでした――』
光る画面を見る武尊は、泣いているのか笑っているのか分からない滲んだ視界で文字を追った。
「いつか会える日まで、気を長くして待っててくれよ――」
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◆完結◆雨上がりにかかる 虹のような妻との約束◆短編◆ 瑞貴@10月15日『手違いの妻2』発売! @hauoli_muzu
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