第4話 1月18日

 それから一週間後。

 武尊のスマホに「検査結果が揃ったので、医師から説明を受けて欲しい」と、女性から電話が入った。


「今すぐ聞きたい」と願ったが、それは翌日になった。


 職場で電話を受けた武尊は、翌日の休み申請を出す。

 病院の指定時刻は午後だ。丸一日休む必要もなかったが、美里の検査の結果を聞く前後に、とても仕事ができる気がしなかったから、それまで一人で家にいることにした。


 上司に休みを取りたいと願ったところで、何にも聞かれることはなく、あっけなかった。


 こうして急に休みを取りたいと申し出ても、大して問題がないことを、虚ろな表情でデスクに座る武尊は痛感する。


 里美が入院して以降、早く起きるつもりはないのに目が覚める。

 いつもなら即行極楽行きの二度寝もできない。

 朝の六時。いつもであれば美里が朝食とお弁当を作っているころだ。


「お弁当なんていらないのに」と言いながらも、毎日持たされていた。


 いざなくなれば、心寂しい。コンビニに立ち寄り素っ気ないパンを買う日々に変わった。


 この世に神や仏がいるとは、到底信じていなかった武尊だが、あの日以降毎日、仕事前に神社へ立ち寄り、「誤診でありますように」と願い続けていた。


 医師との約束の時間より早く着くように、緊張した面持ちで病院へ向かう。



 美里が入院する病棟へ到着した武尊は、ナースステーションのカウンター越しに、紺色のユニフォームを着た若い女性へ声をかける。


「すみません。勝木美里の夫ですが、妻と一緒に先生の話を聞く前に、一人で先に話を聞きたいんです。先生にそう頼んでもらえませんか」


 万が一、悪い知らせを聞けば、美里の前で取り乱すのを懸念した武尊が、駄目元で申し出る。


 すると、看護師と思しきその人物から「先生に電話してきますね」と、快い返事があった。


 ナースステーションの中をじろじろと見る武尊には、その看護師が電話をしながら、ちらっと自分を見る仕草が目につく。

 電話を終えた看護師が戻ってきた。


「先生も先にご家族とお話をしたかったようです。お部屋にご案内しますね」


 自分が願ったくせに、期待外れな答えが返ってきたため、項垂れながら看護師の後をついていく。

 通された部屋は窓もない殺風景な部屋だ。反対にもドアがあるがそっちは職員用だろう。


 白い天板の机にパソコンが一台置かれている。壁の時計の秒針がカチカチと部屋中に響くが、それ以上に武尊の心音が煩い。


「お待たせしました」

 と言いながら、三十代の女性が一人で入ってきた。外来で見た顔だ。美里の主治医だろうと立ち上がる。


「無理を言って、すみません」


「いえ、お気になさらず。ちょうど良かったです」


「やっぱり、美里は癌なんですか?」

「はい。だいぶ進行した子宮頸癌ですね」


「手術をすれば、問題ないんですよね」

「見立てではステージⅢですが、実際はⅣかもしれません。既に取り切れない段階に進んでいるので、手術の適応外です」


「え、それって、治療はできないってことですか?」

「いいえ。放射線や化学療法で癌を小さくできる可能性がありますので、そちらで治療をしていきます。ですが美里さんの場合は、既に肺などの臓器にも転移しているので」


「妻は助かるんですよね! お願いします。美里を助けてください。彼女が居ないと……俺は……」


「全力を尽くしますから、旦那さんは気をしっかり持ってください。これからご本人にもお伝えするので、ご家族が動揺していると、本人が何も言えなくなりますからね」


「い、いや、でも美里は少し前まで何も症状がなかったんです。それがどうして進行癌だって……。一緒に子どもを作ろうって言ってたくらいなんですよ」


「若いので、進行が速いんです。細胞分裂の活発な世代は、できた癌が急激に進行しますので」


「もしかして、十一月に来ていたら違ったんですか!」


「そうかもしれませんが……それは、誰にも分かりません」


「お、俺は、どうしたら――。美里がいなくなるのなんて、耐えられない。む、無理です……」


「ご主人の動揺が大きいので、ご家族には後から説明するということで、本人と二人でお話をしますね」


「ま、待ってください。俺も一緒に聞きます」


「分かりました、美里さんをご案内しますから、この部屋で待っていてくださいね」

 武尊がコクンと小さく頷く。


 それから間もなく、看護師に案内された美里が部屋の扉を開け、中にいる武尊の顔を見て、目を細める。


「来てくれたんだ! 時間になっても来ないから、休めなかったのかと思ったんだけど、ありがとう」


「ああ、まあな」


 休みくらい取れると続けようとしたが、結婚記念日の会話を思い出し口を噤む。


 一度退席していた医師が再び入室してきた。武尊にとってはデジャブのような説明を、美里の横でじっと聞き入る。


「では、すぐに治療を開始しますね」

 と言った医師が、治療の同意書を美里に書かせていた。


 部屋から出ると、美里があっけらかんと離し始める。


「ごめん。なんかお金がかかりそうな話になっちゃったね」


「別に金なんていいだろう。治療すれば治るならお金なんて惜しくないって」


「ありがとう。そ、そうだよね。先生が全部教えてくれたってことは、ちゃんと治るからよね」


「当たり前だろう。ってか、早く元気になってくれないと困るし……」


「なあにぃ~。私が家にいなくなってから、ありがたみが分かったんでしょう。これからはもっと敬ってよね」


「ったく、美里って能天気なわけ? 普通さぁ、癌だって言われて、よくそんな風に阿保なこと言えるな」


「どうせ治るなら別にいいでしょう。会社で昇進するらしい武尊が太っ腹に医療費も気にしないって言ってくれてるんだし」


「あっ、そういえば、あの出版社のイラストの仕事はどうなってるの?」


「絵なんて、タブレットがあればどこでも描けるし、もう完成に近づいてるからね。他の細かな仕事の依頼もいろいろあるけど、入院中でもできるから」


「そうか。そーだ。実家に連絡しなくていいのか?」


「う~ん。お母さんに知らせたら、変に心配かけちゃうし……。それに、治療が始まったら髪も抜けるから、そのうち伝えるかな」


「そのうちって……」


「いいの、いいの。次の年末年始に『癌の治療した』って教えてあげればいいし、病院に来られても、疲れるだけだもん。でも、また一年会えなくなるなら、治療が始まる前に無理してでも会いに行けばよかったね」


「そうだったな……」


 二人が病室にいると看護師が「処置をする」と訪ねて来たため、武尊は「また来るね」と病室をあとにした。

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