第3話 1月10日

 一月十日。武尊が出社する時間と大して変わらない時間から美里と二人で家を出た。


 産婦人科の待合室。


 お腹の大きな妊婦の横にも男性の姿はちらほらとある。二人で楽しそうだ。


 しかし、少しも嬉しそうにしていない武尊は、ずっとスマホの画面を見たまま時間を潰す。


 受付番号が診察室の前の掲示板に点灯し、美里を先頭にして歩みを進める。


 個室に入れば医師がパソコンと向き合っており、その横に、穏やかそうな中年の看護師の姿もある。


「勝木美里さんね」と美里の顔を覗きながら医師が発するため、緊張した声で「はい」と返す。


「どうしてもっと早く再診しなかったの?」


「ちょっと忙しくて」


「自分の体のことより大事なことはないでしょう」

 医師がそう言った先は美里だ。

 だが、自分を責められている気持ちになった武尊が、すかさず口を挟む。


「それで検査の結果って何ですか?」


 医師なりに、患者との信頼関係を作る会話だったのだが、ぶっきらぼうなもの言いの武尊をちらっと見た医師は、前段の会話を止め本題に入る。


 年齢は四十代にも五十代にも見える、金縁眼鏡の男性が言葉を選びながら説明を始めた。


「美里さんの検査の結果、あまりよくないものが見つかりました。専門的治療が必要なので、すぐに紹介状を書きますので受診してください」


「は? 何それ……」

 訝しむ表情を見せる夫から目を逸らした医師は、美里に尋ねる。


「何か症状はありませんか?」


「体がだるくて……」


 そうですか、と一言返して医師はパソコンに体を向ける。


「えっ⁉ 先生、どういうことですか。美里の病気は何ですか」


「おそらく癌です。前回検査した時から時間も経っていますし、次の病院で、再度検査をしてからICインフォームドコンセントを受けてください。その前に貧血の検査だけしておきましょう。美里さんを採血室へ案内して」


 医師の指示を聞いた看護師が、美里を廊下へと案内した。


 納得していない武尊がそのまま診察室に残る。それを分かっていたであろう医師が、診察を続ける。


「十一月の時点で、すでに手術ができるかどうかの瀬戸際でしたが……紹介先の病院で何て言われるか」


「それって、どういう意味ですか⁉ 美里は助かるんですよね」


「全身の検査をした結果、余命という言葉も出る可能性もあります。一番辛いのはご本人ですから、ご主人が支えてあげてください」


「そ、それって、十一月に受診していたら違ったんですか!」

 青ざめる武尊が震える声を出す。


「……どうでしょうか。そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。今は過去のことを言っても仕方ないので先の事を考えましょう。たぶん、このまますぐに入院になると思います。紹介先の病院には、日にちを置かずに受診してください」


「美里が死ぬなんて、俺、無理だから……。どうしてもっと早く受診しろって強く言ってくれなかったんですか!」


「奥様へ看護師から伝えているはずです。電話で質問されても答えられませんし、こちらとしては『早く受診して』と、何度もお願いしていたんですが」


 飲み込む唾もないのに、ごくりと喉を動かす。


 病院に付き添って欲しいと頼まれたとき、てっきり不妊検査を自分もさせられると思い、年内は休みを取れないと必死に抵抗した記憶が鮮明に残る。



 診察室から出た武尊は妻を探すが待合室には美里の姿はない。


 カタカタと小さく震える武尊は、幸せそうな夫婦を避けるように端を選ぶ。


 それから程なくして、採血を済ませた美里が腕を押さえながらやってきた。武尊の顔を見て、にこりと笑う。


「なんだか大袈裟な話になっちゃったね」


「医者は大袈裟に言っておかないと、駄目なんだろう。後から悪く言われたら、誤診だって騒がれるからだろう。どうせ検査したら問題ないって」


「うん、きっとそうだね」


 現実逃避のような会話をしていれば、看護師から紹介状を受け取り、「お大事にどうぞ」と、立ち去り際に告げられた。


 病気なんかじゃないと、内心苛立つ武尊が言い掛かりをつけたい衝動に駆られるものの、横にいる美里を見てぐっと堪え下唇を噛む。


 紹介された病院には、その足で向かった。


 先ほど診療を受けた医師から連絡が入っていたのだろう、診察までは驚くほどスムーズだった。


 ただ、この場での診断はなく、「入院して精密検査をしましょう」と医師が言ったため、武尊が前のめりに同意した。

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