オートマチック

藤野陽

オートマチック

 



 そいつの彼女はよく笑っていた。まるでこの世の出来事がすべてギャグであるかのように。でも、時折ふと見せる虚無に染まった殻っぽの目が怖かった。その笑い声にかき消される――彼女の死んだような目が、暗い谷底のように見えた。


 連絡が来たのは午前二時だった。俺はまだ眠れていなかった。カーテンがなびくと、空が見えた。暗闇を切り裂く月の光がやけに眩しかった。薄っすらな文字だった。息を吹きかけたら、飛んで行ってしまいそうな気がした。


「死にたいって思うことない?」


 夜の手紙は恥ずかしいってよく言うから、彼女もその類いの連絡をしてきたのかと思った。俺は「あるけど」と返した。


「じゃあ、なんで死なないの?」


 酷い言葉だな、と苦笑した。俺はなんで自分が生きているかを考えてみた。


「生きるのは自動的だ」と返してみた。

「どういうこと?」すぐに返信が来た。

「死ぬのも自動的だ。どうせ死ぬんだから、静かに生きてるんだ」


 その後、既読がついてから十分ほど返信もなく時間が経った。俺はまた空を見ていた。彼女はゆっくりとタイプライターでも打ち込んでいるかのようだった。俺はその一音一音の打鍵音が聞こえてくるような気がした。そして、それが送信される。


「私もその考え方にしていい?」

「勝手にしろ」


 次の朝、彼女はそいつの後ろで、またいつものように笑っていた。俺と目が合っても、いつも通りを演じていて、まるで昨晩の会話がなかったように思えた。でも時折、俺をじっと見つめて、自動的な言葉を言う。俺がくだらない言葉を返すと、また笑う。そうやって日常は終わっていくのだろうと思った。もう一月だった。あと二ヶ月で、高校も卒業だった。



 就職先や大学の進路が決まっていく友達を見ていると、俺は一体何がしたいのかを考えてしまう。俺は進路提出に未定と書いた。担任に呼び出されて、放課後、じっくりと腰を据えて話をされた。担任はたくさんの進路先の資料を持ってきてくれた。どれも薄い紙っぺらで、これのどこに魅力を見つければいいのかわからなかった。


「先生。俺、わからないっす」

「大丈夫よ。きっと見つかるから」

「何になりたいわけでもないんです。俺は俺でいれれば充分なんです」


 自動的な生き方だ。俺は俺であれば、他のものを求めない。俺の考え方はひどく裕福だ。金に困ったことのない、ぼんくらの考え方だ。


 先生はいくつか宿題を出した。来週までに――つまりこの土日で――進路を見つけること。俺はたぶん、またそれもすっぽかして、こうやってだらだらと人生を消費していくんだろうなと思った。


 教室を出ると、ひとり待っていたその子を見つけた。彼女は珍しくひとりだった。そいつはいなかった。俺は気まずいなと思いながらも、「どうしたんだ?」と声をかけた。同じグループにいる以上、話しかけるのは鉄則だった。シカトすれば、代償がつく。


「また進路、未定にしたんだ」

「なんで知ってるんだ?」

「有名だよ。卒業間近で進路が決まってないの、君だけだし」


 そんなに知られているのかと思うと気恥ずかしくなった。俺たちは階段を下り、西日の差す下駄箱にやってきた。靴を玄関に落とすと、彼女は「自動的だよね」と言った。


「なにがだ?」

「人生」

「深いな」

「君が言ったんだよ?」


 俺は靴を履く。昨晩の話をしたいらしい。彼女は俺の首になにか冷たい金属をつけた。それはカッターだった。ホームセンターで売っているような長くてよく切れるカッターを俺の首につけていた。周りには誰もいない。


「例えば」と彼女は一息置いた。「私がここで君を殺しても、それは自動的だよね。世界がそうやって動いちゃったんだから。仕方ないよね」

「なにが言いたい?」

「冷静なんだね」

「お前よりはな」


 カッターの刃がさっきよりも強く押しつけられた。血はまだ出ていない。俺は動かないで目線だけを下に向けた。地面からいくつもの手が生えて、俺を縛り付けているみたいだった。俺はそのとき、律について考えていた。何かの流れ、その因果――流れっていうのは始まりがあるものだ。風も音も波も、生まれたから流れる。


「ビリヤードって知ってるか?」

「うん。球を棒でついて、弾くゲーム」

「最初に白い球を打つんだ。それが密集していたボールに当たって、弾ける。ボールは散らばって、ある場所で止まったり、穴に落ちたり、まあ、どこかで静止する」

「それがどうしたの?」

「その球が静止する瞬間を予測したいとする。では一体、いつ、その球が静止するか考えてみてほしい」

「球が静止する瞬間? 球同士がぶつかった瞬間に、どこに散るかわかるんじゃない?」

「いや、違う」

「じゃあ、どこ」

「球を棒で打つ瞬間だ。そのとき、その衝突の力と作用、角度と当たった場所、あらゆる点が一度の集約するそのとき、もうボールがどこに散らばるかは決定されている」

「…………」

「ビッグバンって知ってるか。宇宙のはじまりってやつだ。今でも宇宙の百億光年も向こうで見れるらしい。この世界はな、全部決まってるんだ。ビッグバンが起きた瞬間、その流れが今もずっと続いているんだ」

「壮大な話。でも、嫌な話でもあるね」


 金属の感覚が薄れる。少し手を緩めてくれたらしい。


「どうあがいても、俺たちは決められたレールを走っているに過ぎない」

「じゃあ、努力も無駄?」

「したいやつがすればいい。それも決まっていることだ」

「君ってただのニヒリズムじゃないの?」

「そうかもな」

「私、死にたいと思ってる」

「そうなのか」

「彼の子がね、お腹にいる」

「なんだそれ」


 俺は思わず笑ってしまう。あいつはきっと知らないのだろう。俺はため息交じりに「なんでそれで死にたいんだ?」と言った。


「死ねないから、死にたいの。もうこの命は私だけのものじゃなくなったから。死ねない。この世界は自動的だから、このあと私は子どもを産んで、二十年ぐらいは子どものために生きないといけない」

「自動的だな」

「うん、とても」


 気がつくと雫が垂れた音が聞こえた。彼女はカッターを俺の肌から放した。俺は首筋に手を当て、血が出てないことに感謝した。Yシャツを洗うのが大変になるところだった。


「どうすればいいの。私」

「自分で選んだ道だろ。律に従え」

「律?」

「流れみたいなもんだよ。生から死までの道のり、それを律って言うんだ。まあつまり」

「つまり?」

「なるようになるさ」


 振り返ると、影のなかで彼女は、気が抜けたように笑った。


 その日の夜、またメッセージが届いた。だけど、それは彼女からのものじゃなかった。

そいつは皆から頼られる。色々なことを抱えている。そして、そのなかでたぎる暴力的なものが、彼女に向かってしまう。そういう奴だった。

そいつは「なあ、聞きたいことあるんだけど」と最初に前置きのように送ってきた。


「なんだ?」

「彼女が妊娠しちゃってさ」

「へえ。そりゃすごい」


「堕ろすことになった」


「あっそ」

「いやいや、真剣に聞いてよ」


 俺はなんだか世界のすべてが嫌になった気がした。そいつが今どんな顔をしてスマホをいじくっているのかが見てみたかった。そいつはたぶん真剣なんだろう。でも俺は胸くその悪い思いしか抱けなかった。


「堕ろすのはどっちが決めたんだ?」

「俺がアルバイトの金出すって言ったら、いいよって言った。まあ、ほとんど俺が決めた」

「それで? なんで俺に相談するんだ?」

「命殺すんだぜ。なんか気分悪いだろ。話したかったんだ」


 そいつの文字には自慢したい感情が滲み出ている。命を殺す経験をする自分に酔っている。俺はそう感じた。それに彼女はきっと、俺の言葉に従ったのだろう。律に従う。つまり、彼がそうしたいと願ったから、そうした。ひどく自動的だ。


「なんで産まないんだ?」

「は? 産んだって育てられないだろ。俺だって大学行きたいしさ」


 女の子に子ども作らせて、堕ろさせる。だって自分は大学に行きたい。こいつも機械みたいなんだなって思った。俺と同じ、か。


「まあ、いいや。このことは秘密だからな。おやすみ」


 俺はスマホの電源を消すと、また眠れない夜を過ごすはめになった。そして、ふと彼女の言葉を思い出した。


「私、死にたいと思ってる」


 土曜日、俺たちのグループはカラオケボックスでまたくだらない話を交わしていた。学校がもう終わるだとか、この先はどうするだとか、そういう話もあった。でもそこに妊娠と堕胎の言葉はなかった。そいつはちゃんと隠していたし、もしかしたらみんな知っているだけで口にしないだけなのかもしれないし、俺はとにかく自動的に話を進めた。彼女が時折、ジュースを口に含むとき、やけに苦しげだった。ストロベリーの赤い色が、なんだか生々しく見えた。


 トイレに行くと言った。カラオケで歌っていたそいつは俺のことなんて気にもとめず、大好きな甘酸っぱい恋愛曲を口ずさんでいた。音階に合わせられた機械的な声。得点が九十点を刻むのに、全く心には響かない。機械的。機械的。俺はトイレの壁を殴っていた。


 トイレから出ると、ジュースを運んでいる彼女がいた。その手には二つ分。彼女のストロベリーと、自らの恋人のオレンジ。俺は横に並んでみた。彼女は何も言わない。もうすぐ部屋だ。彼女は立ち止まった。


「なるようになったよ」

「そうだな」

「それは正解だった?」

「この世に正解も不正解もない」

「じゃあ、何があるの?」


 彼女の声がしたたかに響いた。俺は「わからない」と言った。


「夢を見るの」

「夢」俺はその言葉を久しく聞いた。

「赤ちゃんをね、抱いてるんだ」

「…………」

「隣には君がいる」

「…………」

「ねえ、何か言って」

「あのな……」

「もういいよ――死ね。死んじゃえ――バカ」


 彼女は部屋に戻っていった。ボックスの扉が開くと、また甲高い笑い声が聞こえた。

 青い廊下の薄汚れた染みが浮かび上がってきた。それは一本の腕になって、俺の首を締めた。死ね。死んじゃえ。そうだなって思う。みんな死ねば――少なくとも――誰も泣かない。





 もともと、俺と彼女は学校の入学式で出会った。同じクラスになって、最初は何ともない関係だったが、なぜか気があって、よく図書室で待ち合わせて、階段下の物置に隠れて、ずっと話し込んでいた。それは世界の話だったり、嫌いな役者の話だったり、タイプの男の子や女の子の話だったり、なんでもよかった。俺は彼女のことが好きだった。でも素直になれなかった。彼女が俺をどう思っていたかはわからない。俺たちはこの関係が心地よかったから、このままでいいと思っていた。でも時間は過ぎ去る。転校生のそいつは、あっという間にクラスにグループを作った。平穏な学校に訪れた黒船みたいなものだ。そいつは好きなやつを集めて、毎日、親交を深めるために遊びに出かけた。俺も気に入られたひとりだった。彼女も、気に入られた。


 最初は別にどうってことはなかった。でも俺は彼女を捨ててしまったのだ。クラスでハブられるのが嫌で、そいつの言うことに従った。そいつの思うようになるようにした。すべては自動的に進むようにして、俺は彼女を無視した。二年間が過ぎ、俺は彼女と全く喋らなくなった。まるであの図書室前で待ち合わせていたのが全部夢だったかのようだった。


 俺たちのクラスが体育祭で優勝したとき、そいつは全校生徒の前で彼女に告白した。みんなが見守るなか、彼女はその告白を受け入れた。


 誰もが羨むカップルだった。誰もが受け入れる相思相愛のカップルだった。俺と彼女のなかには見えない糸が繋がっていたけれど、俺はそれを見て見ぬふりをして過ごしてきた。彼女が連絡をくれたとき、そして死にたいと言ったとき――妊娠したと言ったとき、俺は心が苦しく、怒りが煮えたぎると同時に嬉しくもあった。彼女が俺を頼ろうとしていることに俺は何故か嬉しくなってしまった。俺は醜い自分に吐き気がした。死ね。死んじゃえ。


 でも、俺はそんな醜い自分を押し込んで、また自動的に受け入れた。そういうもんだと口に出した。でも、口と心は違うと気づかされた。本当に大事な言葉は、ずっと頭の片隅に浮かんでいる。でも見ることも触れることもできない。自分を受け入れ素直になったとき、はじめて自分の言葉に触れられる。俺も素直になるときがきたのかもしれない。それが大人になるということなのかもしれない。ただひとつわかるのは 彼女が好きだったこの気持ちだった。


 日曜日の朝、俺は電車に揺られていた。人は多く、子ども連れの親が何人かいた。日曜の朝から子どもを連れてどこに行くのだろうか。動物園? 水族館? 俺はどうやったら親という存在になれるのかを考えた。俺は親になれるだろうか。きっとなれないだろう。でも彼ら彼女らはなった。子どもを産んだらいつの間にか親になっているのだろうか。どこでその意識は芽生えるのだろうか。流れる窓の外を見ていると、ひとりの子どもが俺の足に寄ってきた。彼は俺の足を抱きしめると、揺れる車内で俺を見上げた。


「すみません。ほら、駄目よ」


 親であろう女性が俺から子どもを引き剥がそうとする。俺はしゃがみ込んで、子どもの頭を撫でてみた。三才ほどだろうか。髪の毛も生えて、柔らかい頭がすべすべとしている。


「かわいいですね」

「ありがとうね。でも、この子ったらいつも男の人の足にくっつきたがるのよ」

「へえ。お父さんは?」

「ああ、うちシングルだから。たぶん、そのせいもあるのよね」


 子どもの目を見る。宝石が煌めいている。胸を上下させ、熱い息を吐き出し、俺をじっと見ている。その頬は緩み、俺を本当に父親かと思っているように心を許している。


 駅に下りた。シングルマザーとその子どもも、同じ駅だった。偶然な出来事だった。俺は「どこに行くんです?」と尋ねた。母親はまだ若く透き通った肌を紅潮させて笑った。


「散歩で、この先にある公園に行こうと思っていたの。ほら、あの大きい公園」


 俺たちは駅から公園に向かった。子どもと手を繋ぎ、母親と話す。


「あなたはどこに行こうとしてたの?」

「実は予定もなにもないんです。ただぼうっと電車に乗ってんです」

「ふふ、若いときのことを思い出すわね」

「あなただってまだ若い」

「いいえ、私はもう若くないわ。もうすっかり大人になっちゃった」


 母親の目は寂しそうだった。俺は並木通りの樹々の落葉した姿に目を向けて、吐き出すようにして言った。


「どうやったら大人になれるんですか」


 子どもが落ちている枯れ葉を踏みしだき、こちらを見た。子どもと大人。母親になった彼女は「そうね」と呟いた。


「気がついたら大人になっているのよ。みんな知らず知らずのうちに」

 

 公園に着くと、俺はひとしきり子どもと遊んだ。小さな彼はベンチに座った俺の膝上で眠ってしまった。俺はその眠った彼の体を撫でた。母親が隣に座っている。


 俺はそのとき、なぜか自分の思っていることを話していた。世界が自動的であること、妊娠したけれど堕ろす彼女のこと、決まらない進路のこと。俺の話を、母親は頷いて聞いてくれた。俺のドロドロとした感情や闇を、彼女は一身に受け入れた。


「あなたは怖いのね」

「…………」

「この世界が自動的だと思いたいのね」

「どういうことです?」


 心臓が痛くなるほど跳ねていた。それはきっと、彼女の言葉を理解しているからだった。


「いいじゃない。この世界は自動的なんでしょ。だったら、どんなに頑張っても、どんなに精一杯生きても、結局は決まっていることなんだから、生きなさいよ。誰よりも強く生きてみなよ」

「…………」

「まあ、私もそんなこと言えるような人じゃないけど。子ども産んで、ちょっとわかったんだ。私はこの子のために精一杯生きないといけない。例え自動的だとしても、この子を幸せにしないといけない。昔は一緒だったわ、何のために生きてるんだろうってずっと考えてた。でも、今は違う。私はこの子のために生きている」


「でも、俺はそんなもの作れませんよ。生きてて良いって思えるものなんて、出会えませんよ。俺みたいな人間が――」


「何言ってんのよ。もう出会ってるじゃない」

「え?」

「好きなんでしょ。彼女のこと」


 月曜日。学校に登校した。彼女は変わらない様子だった。ただ俺はみんなとは少し距離を置いていた。俺なりのけじめみたいなものだった。

俺は担任に呼び出された。進路のことだ。放課後の教室で俺は担任にその紙を提出した。


「就職します」

「決めたのね」

「はい」

「何があったの? この前とは見違えるようだけど」

「さあ、わかりません。大人にでもなったんじゃないでしょうか」

「馬鹿を言わないでちょうだい」


 教室を出ると、真っ赤な太陽が沈むところが見えた。夕陽は今日も変わらず沈むけれど、なんだかいつもと違って見えた。それはきっと、俺が変わったからだと思った。


 俺はふと、学校を見て回ろうと思った。どうせあと二ヶ月しかいられない学校だし、それに、変わった自分の目で、ちゃんと見ておきたいと思った。


 図書室の前に来たとき、俺はそこに佇んでいた彼女に驚いた。彼女は窓の外をじっと見ていた。彼女には、あの夕陽が何に見えるのだろう。俺は彼女の隣に立ってみた。懐かしい感じがした。一年生のときはよくこうしていた。


「進路、決めたよ」

「どうしたの突然」

「もう、逃げるのはやめることにしたんだ」

「君らしくないね」

「ああ、俺らしくない」


 沈黙が下りる。俺は夕陽を見ながら、はっきりと言った。


「俺、お前が好きだった」

「…………なんて?」

「俺はお前が好きだった」

「なんで過去形なの?」

「あ、そっか。俺、お前が好きだ」

「へえ。でも、もう遅いよ。てか遅すぎ」

「知ってる。ごめん」


 彼女はしばし黙り込むと「私も君が好きだったよ」と言った。


「過去形なんだ」

「だって、もう遅いんだよ。何もかも」

「今はあいつのことが好きなのか?」

「わからない。少なくとも好きじゃない」

「そっか」

「ただ……子どもは堕ろしたくない」

「そっか」

「もっと返す言葉があるんじゃないの?」

「そうだな。普通だったら、一緒に逃げ出さないかって言ってる場面だな」

「君の普通は普通じゃないよ。でも、それもいいかもね」

「どこに行きたい?」

「海の見える街」

「ありきたりだな」

「いいじゃん。ありきたりで。そこで子どもと暮らすの。君は働いてね。私は子どもを育てるから。それで、海に遊びに行くの。夕陽が落ちてきて、もうそろそろ帰ろっかって言うの。そういう日が何日も何日も過ぎる」

「いいな。なんか」

「他人の子どもでも育てられる自信は?」

「ないと言ったら嘘になる」

「ま、君とも作ればいっか」

「そういうこと平気で言うのな」

「悪い女だから」


 静かな時間が流れた。夕陽が落ちていって、海のさざなみが聞こえてきた。それは幻聴なのかもしれない。それか遠い未来で起こる予兆なのかもしれない。俺は彼女の顔を見た。懐かしい笑顔がそこにはあった。今までの空虚な仮面が剥がれ落ちて、彼女の澄み渡った微笑みが浮かんでいる。この笑顔を守るためなら、俺はどこにだって行ける気がした。


「これも決まっていたことなのかな」

「さあな」

「生きよう。精一杯」


 そのとき、空に一番星が浮かんでいた。いつの間にか、それは空にあった。何億光年と向こうで光続ける星は俺たちの目にちゃんと映っていた。あの星も俺たちを見ているのだろうか。

 そういうものだ、と俺は思った。

                  


                 終

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