第15話 私の小さな宮殿

琥珀に会うため、片山は急いで馬車を走らせた。水晶の館に着いて早速、近くにいた女中に声をかける。

 

「もし、守背さんとお話ししたいねんけど」

 

 いきなり彼女を探すより、一応は琥珀の雇用主である守背に話を通したほうが自然だろうと、彼の元へと案内してもらう。守背はちょうど今から朝食のようで、紅茶を飲みながらくつろいでいるところだった。

 

「おはようございます。朝から急にお邪魔してすいません」片山は非常識な時間に訪問してしまったことに頭を下げた。

「片山様なら、いつでも構いませんよ。良ければ朝食をご一緒しませんか。お話ししたいこともありますので」

 

 部屋には焼きたてのパンやベーコンの香りが満ちていた。そういえば昨晩から何も食べていないことに気づき、空腹感が急に強まる。朝に押しかけた上食事までご馳走になるのはあまりにも図々しいと分かっていたが、守背の誘いを断りきれずにテーブルについた。

 

「片山様にも同じものを」守背は女中を部屋から出て行かせた後、にっこりと笑った。

「あなたには感謝しているんです」

「ボクに?」

「最近、琥珀様の表情がとても柔らかくなりました。これまではずっと思い詰めたような暗い顔で、おいたわしくてとても見ていられませんでした」

「ありがたいお言葉ですが…自分なんかがあんな尊い人と親しくしてええんか、時々恐ろしくなります。ほら、ボクは平民上がりやし」


 紫乃に罵られたせいもあるのか、守背の褒め言葉を素直に受け入れられなかった。彼も好好爺のような顔をして、自分のことを値踏みしているのかもしれない。


「輝石家の方々は、身分や出自は全く気になさいません。むしろ芸事の才能に溢れるあなたは琥珀様の憧れですよ」その時、女中が料理を持って部屋に入ってきた。

 

「片山様、今日のご予定は?」琥珀の秘密が知られないよう、守背が話を切り替えた。

「夜から一個漫談がありますが、それまでは空いてます」

「それなら庭をご覧になってください。うちの女中の琥珀が庭いじりをしていますから」

 

 当たり障りのない会話をして食事を終えた後、片山は庭へと向かった。徹夜で話した後に庭いじりとは。琥珀の若さが眩しく、片山の頬がひとりでに緩む。少し歩くと、大きな麦わら帽子を被った琥珀が何かを一生懸命運んでいるのが見えた。片山はふざけて声をかけようと忍び寄ったが、彼女が手にしているのが打ち捨てられていた輝石の像であると気づき、言葉が見つからず立ち尽くしてしまった。

 

「あら、片山様!紫乃様のお加減はいかがでしょうか?」こちらに気づき、琥珀の方から声をかけて来た。

「だいぶ落ち着いたみたいや。せっかく家まで来てくれたのに、慌ただしくてごめんなぁ。一言謝りたくて」

「私は全然気にしてないです。わざわざ来ていただいてありがとうございます」片山の視線が自分の手元に注がれていることに気づき、琥珀は恥ずかしそうに笑った。

 

「これ、輝石家の像なんです。家が廃された時、この像も叩き壊されちゃって。見るのも嫌だからずっと放置してたんですけど、なんだか急に片付けたくなって」地面にかがみ込み、瓦礫を撫でる。

「芸術はやっぱり素晴らしいものだって分かったから。復讐もいいけど、やっぱり自分の家を大切にしなきゃって」

「俺も手伝うで。瓦礫は重たいやろ」

「そんな、申し訳ないです」

「ええから」片山は瓦礫を持ち上げた。それはちょうど、片山が琥珀と初めて出会った日に見た、輝石家の紋章を抱えた腕の部分だった。あの女中とこんな関係になるなんてあの日は想像もしなかった。たったひと月ほど前のことだが、もうずっと昔のような気がした。

 

 黙々と手押し車に瓦礫を積み上げていき、終わる頃には2人の手は土まみれになっていた。

「たいへんや、おひいさんの手が」

「本当、汚れちゃいました」2人は顔を見合わせて笑った。無垢そのものの笑みを見て湧き上がる感情、これこそが愛なのだ、と片山は思う。俺は彼女が好きだ。この娘の血ではなく、この笑顔、この優しさを愛している。

 

「片山様のおかげですっかり綺麗になりました。ここには…そうだ、クチナシの苗を買ってきて植えましょう。あの甘い香り、大好きなんです」

「自分で育てるんか?」

「ええ。輝石家が滅んだのは、地に足をつけずに美を追い求めたからです。だから私は地と向き合って、美しいものをじっくり育ててみたいんです」


 えらいな、と思わず口から溢れた。小さな夢を語る彼女の顔は、この時だけは復讐を忘れているかのように明るく輝いていた。自分の運命にしっかり向き合って、進むべき道を模索している。そんな彼女を見て、純粋に尊敬の気持ちが溢れた。

 

「早よ瓦礫片付けて、手ぇ洗いに行こか。抱きしめたいけど、汚れたまんまじゃなんもできへん」

 

 重たい手押し車を押し、琥珀の後をついていく。てっきり瓦礫を捨てに行くと思ったのだが、彼女は途中にあった水道でバケツに水を汲んで館の脇を通り過ぎ、裏まで歩いていった。水晶の館は山を背にして建っており、裏庭と山の境目があいまいになっている。人の手が入っていない鬱蒼とした雰囲気の裏庭を、琥珀は軽やかに進んでいく。


「そういえば、海松茶では土の中に黄金が埋まってるらしいですよ。いつか探しに行ってみたいなあ」

「素敵やね。ほんで琥珀ちゃん?これどこに向かってはるの?」

「いいとこです」

「何やて?」

「輝石家の像だったものをごみ捨て場に捨てるのはちょっと寂しいから、ふさわしい場所に置いておくんです」

 

 少し歩くと、裏庭の隅に小さな廃屋があった。皆に忘れ去られたように朽ちているそこは、割れて地面に飛び散ったガラスからかつて温室であったことがわかる。かろうじてまだ機能を果たしているドアを開くと、腐り果てた植物の鼻につく臭いが片山を取り巻いた。ハエや無数の虫が飛び回るその場所は、お世辞にも“いいとこ”とは言えなかった。

 

「ぼろぼろで驚いたでしょう?昔は花が咲き乱れていて、天国みたいに綺麗な場所でした。呂色国に帰国した時はいつも、ここで長い時間を過ごしたものです。さあ、ここに瓦礫を置きましょう」

 

 片山は言われた通り、温室の片隅に瓦礫を積んだ。他の人から見ればごみでも、彼女から見れば大切な像だ。彼女の前でこれを瓦礫と呼んでしまったことを反省しつつ、黙々と作業をした。徹夜の身体に肉体労働が響き、段々と腰が痛くなってきたころ、ようやく全てを運び終わった。


「ふぅ、終わり!疲れたなぁ」

「付き合わせてしまってすみません。さあ、この水で手を洗いましょう」

「館に戻らへんの?」

「いいもの、これから見せてあげますから」琥珀は意味深に笑った。

「ほい、手ぇ洗ったで」

「じゃあ、30秒だけ目を閉じてください」片山は次に何が起こるか予想して、にやけながら目を閉じた。しかしいつまで経っても彼の唇は寒々しいままで、恐る恐る薄目を開けて確認すると、琥珀の姿が忽然と消えていた。

 

「琥珀?どこいってん」

 

 慌てて周囲を見渡したが、琥珀の姿はどこにもなかった。しかし彼の目の前に、先ほどまではなかったはずの大きい穴が開いていた。その穴は人が余裕で通り抜けられそうなほどの大きさがあり、恐る恐る覗き込むと小さな階段が下まで続いていた。琥珀はこの中に入ったのだろうかと躊躇いながらその空間を手で探っていると、彼女の白い手が暗闇からすっと出てきて2人の手が触れ合った。

 

「怖がらないで、下りてきてください」

 

 子供のような笑みを浮かべた彼女が階下から顔を出して手招きをした。床の穴は小さな暗い階段に続いており、かがんで通らなければならないほどの狭い通路の先に小さなドアがあった。繋いだ琥珀の小さな手を頼りにドアまで行き、彼女に続いて恐る恐るそこに足を踏み入れる。そして目の前に広がる光景に、思わず自分の目を疑った。

 

 ドアの先は、見渡す限りの黄金の楽園だった。きっと呂色国のどこを探しても、ここまで贅を尽くした空間はないと確信できるほどの豪奢な空間がそこにはあった。壁紙には金箔が全面に貼られ、目もくらむような輝きを振りまいている。壁には蔦のような彫刻が施されており、その周囲には琥珀や紅玉、真珠などが花びらのようにあしらわれていた。等間隔に埋め込まれた八角形の鏡は、恐らく本物の黄金で出来ているようだ。床は象牙のようなミルク色の大理石で、継ぎ目が全くない。家具は小さな机と小箪笥があるだけだったが、それはどうやら全て琥珀で出来ているようで、いったいどれ程の値が付くものか全く想像もつかなかった。天井には小さな電球が垂れ下がっており、その周りを金糸で織られたレースのシェードが覆っていた。


 いままで見たことのないほどの財宝に、彼の頭は千々にかき乱された。きらめく黄金に囲まれ、夢と現の区切りがだんだんとぼやけてくる。腐敗した花々の濃密な死の匂いが部屋に薄く漏れ入ってきて、その甘く重い香りがかえって興奮を掻き立てる。


「ここにあるものが、輝石家の全て。私の宮殿です」

「何やの…この部屋。こない凄い部屋、初めて見た」

 

 片山は手を伸ばし、金糸で織られたランプシェードをつついた。小さな明かりが揺れると、金糸や壁の黄金に反射してあたりが星のようにきらめく。


「ここは、輝石家当主が誰にも邪魔されずに読書するための秘密の部屋だったんです。王家ともなると、落ち着いて本も読めませんからね」琥珀は自分と同じ名前の石で作られた豪奢な小箪笥の一番下の段を引き出した。そこから大粒のダイヤのネックレスをずるりと引きずり出すと、片山の手のひらに置いた。

 

「廃家になった時に持ち出せた宝石は、ここに隠してるんです」


 まぎれもなく真正のダイヤの、ずっしりとした冷たい重みが片山の手にかかる。以前紫乃にねだられてダイヤの耳飾りをプレゼントしたことがあったが、それは小指の爪ほどの大きさの石にも関わらず、小さい家が余裕で買えるほどの値段だった。今手のひらにあるネックレスなら、これ一つで田舎の県くらい買えてしまうのではないか。もはや感嘆を通り越し、片山の背中を冷や汗が伝う。


「他にもありますよ」エメラルドのイヤリング、ルビーの指輪、サファイアのブローチ。恐ろしいほど貴重な品が、小箪笥から魔法のように出てくる。琥珀は文字通り宝物を見せびらかす小さな子どものように、誇らしげに宝石を掲げた。

 

「売って金にしたりせえへんの。こんだけあれば、昔と変わらん暮らしができるやろ」

「ここにあるものはどれも国宝級の代物です。普通の質屋なんかで売ろうものならすぐに経路を辿られて、財宝を隠し持っていることが氷冠王子にバレてしまいます。だからこうして、たまに身につけて楽しむだけにしてるんです。父上の形見でもありますし」琥珀は今にも泣きそうな顔で笑顔を作った。


「この部屋の存在は守背も知りません。世界で私と片山さんだけの秘密」

「なんでそんな大事なこと、俺に教えてくれるん」

「昨日、私に出会ってから良いことずくめだって言ってくれたじゃないですか」琥珀はダイヤの上から片山に手を重ねた。


「私もなんです。片山様に会うまでの私はいつも怒りでいっぱいでした。輝石家を潰した王族たちも、私たちを見捨てた呂色国も、何の役にも立たなかった芸術も、全部、全部。でもあの日片山様が口づけをしてくれて、血が…怒りで満ちていた血が、初めて感じる喜びで震えたんです」琥珀が真剣な顔で片山を見つめた。


「復讐が終わったら、氷冠王子を道連れにして死のうと思ってました」片山が息を呑んだ。


「でも今は、あなたと一緒に居たい。あなたと一緒に年を取って、ずっと仲良く生きていきたい。復讐の先の未来をくれたのは、片山様、あなたなんです。だから私の全部をあげたい。知ってほしいんです」


 琥珀は片山に抱き着いた。2人の身体がぴったりと近づき、琥珀の鼓動が手に取るようにわかる。彼女の熱い息が耳にかかり、片山の心は激しく揺れた。


 琥珀が今何を求めているか、それは明らかだった。彼女の腰に添えた手をそっと下ろし、スカートの中に滑り入れる。柔らかい太ももに優しく触れると、琥珀は身体を固くした。

 肩に顔をうずめている琥珀の顎を持ち上げ、お互いの視線を絡ませる。彼女の瞳は熱で潤んでいたが、財産と貞操を全てさらけ出す覚悟に満ちていた。指先にごわついた下着が当たる。これを脱がせてしまえば…脊髄を欲情が駆け抜け、お互いが求めているものを満たしあうことしか考えられなくなる。荒い息で自分のベルトに手をかけた瞬間、片山の頭に紫乃の言葉がよぎった。


 あなた、よほど没落した令嬢が好きなのね。


「あかん…今はできひん」片山は琥珀を押しのけた。このまま彼女を抱いてしまえば、何か取り返しがつかないことが起こる気がした。全てを捧げて片山に向き合おうとする琥珀を受け止めきれる覚悟が、まだできていなかった。


「はしたない真似をしました。ごめんなさい」琥珀ははっと身を離し、耳まで真っ赤になって俯いた。

「ちゃうねん。するならちゃんと順番通りにしたいねん。勢いでやるんちゃうくて、その…」自分でも呆れるほどすらすらと言い訳の言葉が出てきて、我ながら大した嘘つきだと情けなくなる。だが哀れな琥珀は素直に受け取ったようで、その美しい顔が喜びで輝いた。


「嬉しい。私、片山様と一緒になれるんですか」


 片山はその質問には答えず、彼女の唇に口づけをした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る