第5話

「この海にもオニヒトデの妖はいますが、あそこまで大きくはありません。あのあまりにも巨大な妖は、別の異界で生まれ、何者かに持ち込まれた外来種です」


「何者かって、まるで竜宮城を乗っ取ろうとしている奴がいるような口ぶりだな」


「左様でございます。ですが、裏切り者はずる賢く、いまだ尻尾を出しません」


 俺達に気付き、動き出したオニヒトデ。奴に近づけば近づくほど、その巨大さに驚かされる。何より恐ろしいのは、体を覆う毒の棘だ。地獄にある針の山は、きっとあんな風に聳え立って、亡者を震え上がらせるんだろう。


 オニヒトデの腕が上から振り下ろされた。あんなものにぶつかったら、針や毒でやられる前に潰されてしまう。


 雷を放つ——が、水中では拡散されて威力を発揮しない。


「任せな」

 舟幽霊がかいを一振りすれば、とても手漕ぎとは思えない速さで舟はオニヒトデの腕を躱した。


 奴の腕が海底を叩いた。砂埃と共に生まれた海流で舟が押し流される。しかも、奴の腕は一本だけじゃない。次から次へと、腕が振り下ろされる。


 海流に負けず、舟幽霊は舟を漕ぐ。しかし、避けた先にはもう一本の腕があった。


 目の前に迫る巨大な影。その時——。


「フハハハハ!」


 如何にも悪役らしい高笑いが聞こえた。声のする方へ顔を向ければ、朱さんがいた。しかし声の主は彼女ではない。頭に取り憑いているクラゲが、得意げに笑っている。


「浦島太郎の子孫も、霊媒師輝飛もこの程度! ついに龍宮が、我が手に落ちる時が来た!」


「裏切り者ってお前かよ! というか、喋れたのか!?」


「浦島太郎の子孫をり殺すのには失敗したが、ワタシの持ち込んだオニヒトデに敵はなし! 頼りの綱の雷も、この異界では拡散して役に立たないようだな。フハハハハ!」


「貴様!」

 逃げるクラゲを甲さんが追う。


 舟はヒトデの腕を避けようとして大きく揺れた。


「きゃあっ」


 舟から落ちかけた朱さんの手を掴み、舟の縁を掴ませる。


 彼女の長い黒髪がなびいて、彼女の顔を隠した。


「避けきれん!」


 思わず見惚れていた俺は、舟幽霊の声で我に返る。舟幽霊に彼女を任せ、鎖を手に取った。


「後は任せな!」


 声を合図に、オニヒトデの周りから竜宮の妖が一斉に散った。妖達は、俺達が逃げ回って時間稼ぎをする間、この鉄の鎖の先をオニヒトデに巻き付けていた。


「雷獣よ、ありったけの気を持っていけ!」


 迫るオニヒトデは異変を感じて腕を引っ込めようとした。だが、もう遅い!


 俺の体に宿る雷獣が雄叫びを上げ、鎖を伝う激しい稲光がオニヒトデを打った。


 ————————————


 黒焦げになったオニヒトデが、元の世界へと逃げ帰っていく。


「やりましたな」


 いつの間に戻ってきたのか、エチゼンクラゲを捕まえた甲が嬉しそうに声を弾ませた。


「乙姫様は大変お喜びでございます。ぜひ、お二人を竜宮城へご招待したいと——」


「いや、遠慮する。このまま俺と朱さんを寝覚の床に帰してくれ」


 気をほとんど持って行かれたせいで、意識が飛びそうだ。でも、招待だけはちゃんと断らないといけない。


 おそらく、竜宮城の中に入らなければ大したことはない。でも中に入ったら、次に出られるのは三百年後だ。


 竜宮城の中と俺達の世界の時間の流れはあまりにも違う。浦島太郎がそれを証明している。俺はともかく、朱さんを浦島太郎のような目に遭わせるのはごめんだ。


「輝飛君、大丈夫?」


 朱さんの声に、「ああ」と返事を返す。でも、目が霞んでしまって、彼女の顔はよく見えなかった。


「それでは、元の世界へお送りいたします。しかし、この度のお礼は、後日必ずさせていただきます」


 舟が竜宮城とは反対方向へ動き出した。


 安心感からか、目の前が暗くなる。

 自由が利かず、崩れるように倒れた俺の体を、誰かが優しく抱き留めてくれた。


「ありがとう。おつかれさま、輝飛あきと君」


 朱さんの声が耳元で聞こえた。まるで幸せな夢の中にいるような気分だった。

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