第2話

「お、やってんな」


 声の方へ顔を向ければ、無精ひげを生やしたおっさんが座敷に入って来るのが見えた。柄シャツにサングラスという怪しい見た目をしているけど、不審者じゃなくて、俺の伯父だ。


 伯父は、なぜかクーラーボックスを肩にかけていた。


「今日からお祓いするって伝えておいたのに、のんきに釣りかよ!」


 怒鳴る俺。しかし、伯父は俺とあかりさんを見るなり、腹を抱えて笑いだした。


「あーはいはい。分かってる、分かってるって。部屋から妖が逃げていくのが見えたから、急いで駆け付けたんだぜ。でも、お前それ、何で頭にクラゲをかぶせたままにしてんだよ。アヒャヒャ」


「かぶせてる訳じゃねぇよ! 何でか分かんないけど、こいつだけ逃げないし、引っ張っても取れねーんだよ!」


 雷に朱さんが打たれてしまうのは避けたい。だから、このクラゲを引っ張ってみることにしたのに、全然剥がれる気配がない。


「クラゲ?」


 幸いにも、クラゲに呑みこまれている朱さんは痛みを感じていないらしい。不思議そうに首を傾げている。


「そういえば朱さん、部屋で水の音がするとか、何かがいる気配がするって手紙に書いてあったけど、妖の事は視えてないのか?」


「見えてたら、今頃パニックになってるだろ」


 伯父が俺に耳打ちする。


「朱ちゃんには、クラゲを引っ張ろうとするお前が、自分の頭の上でおかしなパントマイムをしている変な奴に見えてるんだよ」


「早く言えよ!」


 噴き出した伯父を肘打ちしすると、朱さんに向き直り、咳払いする。


「どういう訳か、朱さんは海に住む妖達に取り憑かれているんだ。手紙でも聞いたけど、奴らを引き寄せてしまった理由について、何か心当たりは? たとえば、最近浜辺でおかしなものを拾ったとか」


「ううん。浜辺には去年行ったっきりだよ」


「海から上がって来た不思議なものを見てしまったとか」


「見てないよ。だってここ、海無し県だもん」


 朱さんの言う通り、彼女の家は、長野県の木曽にある。ほぼ日本のど真ん中、山の中だ。


 山の中に住む彼女が、どうして海の妖に祟られているのか。その理由は全く分からない。これでも、春に彼女と文通を始めてから、色々と調べてはみた。しかし、手がかりは何も見つからなかった。


 残された手段は、実力行使しかない。一匹一匹、ゆっくり、着実に引き剥がす。そうすれば、彼女に危険が及ぶリスクは少なくなる。

 時間をかければかけるほど成功率はあがる。だから夏休み全部をお祓いに捧げるつもりで、俺は初日の今日、ここへ来たんだ。


「さて、どの妖から異界へ送り返そうか」


 迷う俺の肩が、ポンと叩かれた。見上げれば、伯父が得意気な顔で俺を見ている。


「伯父さんが可愛い甥っ子にグッドニュースを持ってきたぜ」


 半人前の俺から見ても、伯父には霊媒師の才能がない。家督を父さんに譲って住所不定でふらふらしているのはその所為だ。


 でも伯父は、この世界じゃ誰もが認める腕利きの情報屋だ。


「何か分かったのか?」


「木曽の景勝地、寝覚ねざめとこには浦島太郎伝説がある」


「……浦島太郎って、亀を助けて竜宮城に行った、あの?」


「他にいねぇだろ。竜宮城から戻った浦島太郎は、海から遠いこの土地に移り住んで、寝覚の床で釣りをしながら暮らしていた。が、ある日うっかり玉手箱を開けて爺になっちまったんだよ」


「浦島太郎は海底にある異界、竜宮城と縁がある。でも、朱さんと浦島太郎がどう関係してるんだよ」


「朱さんは、その浦島太郎の子孫だ」


「はぁ!?」


 俺はポケットを探って、彼女から送られてきた便箋を取り出した。確かに、彼女の名字は浦島だ。でもまさか、浦島太郎の浦島だとは思ってもみなかった。


 伯父さんは言葉を続けた。


「朱ちゃんは妖を見るまではいかなくても、この家の中じゃ一番霊感が強い」


「じゃあ、何だよ。まさか、あの妖達は竜宮城の使いで、乙姫の言葉を伝えるために、霊感がある朱さんを頼って集まって来たってことなのか?」


「そのまさかだぜ。乙姫さんは、朱ちゃんを竜宮城に招待しようとしてるんだ」


「でも、なんで今頃? 浦島太郎は大昔の人間だろ」


 朱さんが「あっ」と、声を上げた。


「そういえば、私……春に寝覚ノ床で、ひっくり返っていたカメを助けました」


「繋がったな。そいつは竜宮のお偉いさんだったんだ。浦島太郎とそのカメには強い縁があったから、子孫の朱ちゃんは縁の力でカメの妖のことは見る事ができたんだ」


 そう言った伯父はまるで名探偵みたいな凛々しい顔をしていた。でも、言ってる事はめちゃくちゃだ。


「ウミガメが遠路はるばる川を遡って長野県に——って、そんな事あるかよ! どんな勇ましいカメだよ」


 叫んだ俺に向かって、伯父は溜息を吐いた。


「『泳ぎには自信があったけど、陸に上がったらダメでした』ってよ」


 誰かの代弁をしながら、肩にかけていたクーラーボックスを開ける伯父。その中には、手のひらサイズのカメがいた。


 カメは俺を見上げると、丁寧なお辞儀をした。

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