脱走:2
「昏裂斬」
文字通りの間一髪。赤い閃光が迸り、系糸の真上を駆け抜けて行った。
「あっ…ぶな」
数ミリで顔が無くなっていたことを悟り、冷や汗をかく系糸。
「ていうか…何、これ」
起き上がった視線の先。壁面一直線に、深い傷が生じていたのだ。仮にあの場から全力で走ったとしても、射程距離内から逃げることはできなかっただろう。
「避けたな?貴様」
唐突に斬断が問う。
「え?いや、何言って――」
「儂が若造を一撃で仕留められぬなど、あってはならん。貴様はタブーを犯した」
斬断の血刃が紅く光る。
「工鳴七の命令はもはや関係ない。儂が貴様を、斬り殺してやろう」
「…もうここまで来たら、呪われてるとしか思えないんだけど」
指が折れるほどの強さで刃を握りしめる斬断と、やはり自身の運の悪さを嘆く系糸。静寂を切り、先に攻勢に移ったのは系糸だった。
(刃術の基準がわかんないけど、大宮のとは何かが違う。血刃そのものってよりも…)
刃ではない何かが伸びた、と。
「捕縛血糸!」
数度、浅くはあるが戦闘経験を積んだ系糸は、既に己の基本戦術を確立していた。サポートや妨害を好む性格だったのも幸いし、「血の糸」と言うのは実に彼と相性が良かったのだ。
「糸を操る刃術…鎖鎌、或いは分銅鎖のようなものか。しかし!」
斬断は糸を切断し、接近。
「儂にそんなものが見切れぬと思っておるのか、たわけが…」
声のトーンが下がり、殺意がより一層増す斬断。先程とは打って変わり、縦の大振りを繰り出そうとしていた。
(…足が…動かない)
その悍ましい殺意に、系糸は身震いした。足がすくみ、冷や汗が吹き出す。斬断の殺意、威圧感は、大宮や牙抜のそれとは全く比にならないほどの強大さであり、むしろこの場で卒倒しない方が不思議なのだ。
(僕は…本当に)
ドス黒いオーラを纏いながら深呼吸し、斬断が叫んだ。
「昏裂――」
走馬灯が見え始めた矢先だった。
「させるかァ!!」
響いた直後、斬断の腕が吹き飛ぶ。
「間に合ったぜ、系糸」
そこにいたのは、殆ど無傷の紅亡だった。
「…紅亡さん?さっきまで戦ってたはずじゃ」
「勝ったから来たんだよ!まだ死んでねえから、とっととこいつを殺して戻らねえと」
「とっとと…?儂をまるで雑魚のよ――」
言いかけて、斬断の頭は真っ二つになった。
「ごちゃごちゃ吐かすな。俺を警戒せずに殺されちまってんだ、雑魚以外の何物でもねえだろ」
倒れ込んだ死体に痰を吐き、紅亡は冷たく言い放った。
「行くぜ、系糸。こんな場所、さっさと脱出するに越したこたぁねェ」
呆然とする系糸。それもそのはず、今までは「ちょっとワルだがいい兄貴分」だった男が、何の躊躇いもなく老人を切り捨て、更に死体に痰を吐いているのだ。
(助けてくれたことは分かってるけど…これはあまりにも)
刃血鬼に変わり果てたのか、それとも元来こういう性格だったのか。今の系糸には知る由もなかった。
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