反感



 クルトが試合開始を告げてから、雄叫びを上げて教師が迫ってくる。

 

 カウンターも、回避をされることも警戒していない無謀な突進。おまけに遅い。

 俺が攻撃を受けようとしたらそのガードごと叩き斬れるとはいえ、余りに無防備すぎる。


 ——そんな遅すぎる突進から繰り出される攻撃を俺は軽く躱した。


「—— あぁ? 何避けてんだよ、おまえ!」

「悪いな、あまりにも遅すぎるもんで体が勝手に避けちまった。次は動かないでやるからしっかり当てろよ」

「…… ッ! この野郎ッ!」


 戦闘において一番の悪手は逆上する事だ。

 怒りに身を任せてただ剣を振っているだけじゃ魔物と変わらない。魔物はそれでも通用する肉体を持っているから何とかなっているのであって、弱すぎる人間がそれをやったところで通用しない。

 人間の最大の武器である知恵を捨てる行為、それが逆上だ。

 冷静になって相手を観察すれば見える隙や弱点を見落としている様では、いくら武装しても勝てることはない。

 それこそゴブリンの方がマシなレベルだ。それを目の前の教師はやってしまっている。


 —— 話にならないな。


 そんな感想しか出てこない。仮にも騎士学園に勤めている教師ならもっとマシだと思っていたのだが。

 騎士になれなかった落ちこぼれ—— という程度にしか感じられない。

 さっきから四方八方に剣を振っているだけで、もはや俺に攻撃する事すらままなっていない。辛うじて俺に当たりそうな攻撃も防ぐことは容易い、のだが—— 。


「どうしたぁ、俺に攻撃することもできないか⁉ そりゃそうだよなぁ! 俺は教師で、おまえは生徒なんだ! 俺の方が偉いんだからよぉ! 俺が勝って当然だよなぁ!」


 手あたり次第攻撃しているせいで攻撃されていないだけのことを、何を勘違いしたのか俺が攻撃できないと思っているらしい。


「—— お前、教師じゃないな。教師にしては弱すぎる。人に剣を教えられる技量すらまともに無いだろ、お前」


 その言葉に、教師を騙った男が逆上し、気勢を上げながら突っ込んでくる。

 —— このまま放置してもいいのだが。錯乱しているのか次第に俺以外の生徒の方へ寄っていっている。このまま行けば生徒が斬られるだろう。


 —— 騎士になりたいのであれば自分の身は自分で守るべきだが、今この状況でこの男をどうにか出来るのは剣を持った俺以外にいない。


 —— そんな理由から、隙だらけの教師の腹に突きを一発ぶち込んだ。


「—— ゴフッ⁉」


 そのたった一発の突きで、教師の身体は軽く吹っ飛び少し吐血した。

 が、まだ戦うつもりらしく、よろめきながら立ち上がろうとする—— 。

 その、フラフラになりながらも立ち上がろうとする教師の頭を模擬剣でぶん殴った。


「…… あがぁっ!」

「随分と無様だな…… その程度か? あれだけ啖呵きったんだ—— もっと根性見せてみろよ」


 そう声をかけたものの再び起き上がることはなく、どうやら完全に気を失ったらしい。大の字で地面に転がっている。軽く小突いても起き上がらないが、息はあるところを見るに死んではいないだろう。


 —— どうしたものか。


 乗り気で教師を打ちのめしたはいいものの、この後のことを全く考えていなかった。

 まだ授業は始まったばかりであり一時間と経っていない。

 だが俺が教師を打ちのめしてしまったことで、間違いなく授業は中止せざるを得ないだろう。なにしろ授業をする教師がいないのだから。

 いや、そもそも生徒に負ける程度の教師が悪いか。仮にも人にものを教える立場でありながら、教える相手より弱いというのは「一体お前は何を教えるんだ」と言われてもおかしくない。それも、見習いなら尚更だ。


 とはいえ、いつまでも考えていたって仕方がない。空いた時間は自分でトレーニングすればいい。

 とりあえず一旦寮に戻って、軽く支度をしてから王都の外に出ようか—— 。


「…… 何故そこまでしたんだ。ユーリス」


 寝そべったままの教師を一瞥して、寮に戻ろうと入口の方へ振り返った時—— ふと、クルトが怒りのこもった声をかけてきた。


「試合のルールは先に攻撃を当てた方の勝利だったはずだ。君が最初に攻撃を当てた時すでに決着はついていたんだ。それなのに…… 何故、立ち上がる先生に追い打ちをかけた! 答えろ!」


 憤慨するクルトから視線を逸らして周囲を見渡すと、他の生徒も同様に俺に対して怒りを露わにしていた。「ありえない」だの「そこまでする必要ないでしょ」だの、好きかって言っては俺に軽蔑した視線を向けてくる。


「俺が一撃入れた時点でお前が試合終了だと宣言すればよかっただろうが。…… なのにお前はしなかった。それだけだろ」


 そうは言ったものの、あの見習い教師の暴走が試合終了と言われて止まったかは怪しいところだ。我を忘れてただ剣を振るだけのヤツに呼びかけたって応じるわけがない。

 となれば、俺のように気絶させるしか方法はないだろう。


「—— それより、いいのか?あの教師を放っておいて。今は気絶してるだけだが、放置してたら死ぬぞ」


 俺がそう脅しをかけると、クルトは焦ったように教師の方へと駆け寄っていった。

 実際に戦った感覚からして、あの見習い教師よりクルトの方が間違いなく強い。

 つまり、クルトがあの教師に教わることなど何もない訳だ。


 それなのに教師を尊重しているクルトの考えは—— 正直、バカとしか言いようがない。クルトが今より強くなろうとするのであれば、自分でトレーニングするだけで事足りるだろう。

 聖剣の所有者でありながら俺より弱いのはそういうところだ。

 尊重する価値もない相手を尊重して、自分自身での努力を怠っている。

 そのことに気付けば、クルトは今より格段に強くなるだろう。


 —— もちろん俺の実力の方が上だが。


 要するに、クルトは強くなれるチャンスを自分から潰している訳だ。

 それを見ていると無性に怒りがこみあげてくる。

 —— 俺より弱いくせに、努力しようとしないアイツの心持ちが我慢ならない。


   ◇


「—— チッ」


 そんな、吐きどころのない怒りを舌打ちに乗せて吐き出して、今度こそ寮に戻ろうと歩き出そうとした時—— 、


「待て!君が先生を侮辱したことを僕はまだ許してない!」


 そのクルトの言葉にさっき感じていた怒りが再燃し、持っていた模擬剣を地面に投げつけた。直後、短く鋭い悲鳴が上がる。


「…… いい加減にしろよ、お前。聖剣を持ってるからってつけあがってんのか? おまえに許されなかったらなんだよ。お前も所詮ただの学生だろうが」

「あぁそうだよ!君と同じ学生だ!学生は先生を尊重するべきだろう。それなのに君は、あろうことか貶したんだ!それは許されることじゃない!」

「—— だから、お前のそこが気に食わねぇんだよ!生徒は教師を敬うべきだってのは普通の学園の話だろうが! ここが騎士学園だってこと分かってんのか⁉」


 大声を張り上げるクルトに対して俺も怒鳴り声を上げた。

 そんな俺らの怒りが伝播したのか、クルト以外の奴らも互いに怒鳴り合っている。

 まさに地獄絵図—— そうとしか言えない程に、修道場の空気が最悪になった。


「騎士学園だってことも分かってるさ! 君の方こそ分かっていないんじゃないか? 

 騎士は弱者を守るのが義務だろう! なのに…… 君がやっているのは周りの人間を攻撃しているだけだ!」


 たったそれだけの言葉だった。

 クルトが言った「君がやっているのは周りの人間を攻撃しているだけ」の一言。

 その一言が、怒鳴り声にまみれた修道場を静まり返らせた。 —— そう思ったのは俺だけ。

 それまで互いに怒鳴り合っていた生徒たちは、クルトが言った一言で一瞬、怒鳴り合うのを止めたものの再び罵声を上げ始めた。


「そうだよ…… 全部お前が悪いんだよ!」

「クルト君が言った通りじゃん!他の人を傷つける人間が騎士になれるわけない!」


 三十人近い人間が一斉に、俺だけに向かって罵声を上げ始めた。


 —— ふざけるなよ。


 俺は今まで努力してきた。どんな魔物でも殺せるように、子供の頃から剣を握って努力してきたんだ。

 その結果、今や聖剣を持っているクルトより強くなった。

 —— そう、力が無ければ魔物に殺されるのをただ眺めていることしか出来ない。


「…… 騎士は弱者を守るのが義務—— それはそうだ。なら、お前らはどうやってその弱者を守るんだ? 周りの人間を攻撃されてるのに何もできないお前らが…… !」


 この世界じゃ力が無ければ何も出来ない。地上に魔物が蔓延って思うように移動できないのも、誰かに守ってもらわなきゃろくに生きられないのも。

 そういった障害が目の前で起こっているのに、こいつらはそれを見ず騎士の理想像を語っているだけだ。

 所詮、綺麗事でしかない。 —— そんなものじゃ、何一つ守れやしない。


「—— たしかに今の僕たちは力不足かも知れない。だけどそれは君の行動が正当化される理由にはならないだろ!」

「何もできなかったことを力不足で正当化してるのはお前だろうが! 自分が弱いってことから眼を背けて、互いの傷を舐め合ってるような奴が騎士になれんのか⁉ ——なれるわけねぇだろ!」


 そう吐き捨てて、修道場の入口を塞ぐように立っているクルトの横を通り抜けた。

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