第5話 幼少期
勉強したこととかもすぐ忘れちゃって、前の授業でやった内容も、教科書のページも全然覚えられない。
それって、〇〇の過去の話を聞いてると、小さい頃の習慣が関係あると思う。
〇〇が、黙っちゃうのとか、そうやって何も覚えてないとか、小さい子って忘れるしか自分を守る方法がないからじゃない?
ついこの間、中学時代から色々相談している友達にそう言われた。
すごく合点した。今まで、自分のよくないところとして、ずっと自分を責めて、「なんで自分はこんなに記憶力が悪いの?なんでついこの間のことすら覚えていないの?そんなに勉強が嫌いなの?」という風に考えていたのに、その友達は言語力がとても豊かで、私の行き場のない自分へのネガティブな感情を言葉に翻訳してくれて、原因を見つけてくれて、全てが自分のせいじゃないと気づかせてくれた。
そして、かつて忘れることが自身を守る術であったのではないかという言葉がカッコよく聞こえた。
小さい頃から親の色々言われて、奴隷のように過ごしてた気がしていた。親に罵声を浴びせられて、それに対して自分がどう思っていたか正直思い出せない。
最初のうちは対立して、言い放った直後に二段ベッドの二階に登ってもちろん、その後怒った父が追いかけてくるけど、流石に大人は登れないからそれ以上追いかけられることはなかった。父はその場で言い捨てるとそのままリビングに去って行った。幼少期の私にとって、二段ベッドの上の階こそが、誰にも邪魔されない、私を守ってくれる、パーソナルスペースだった。
それでも、幸せな日々は続かずというものか、二段ベッドを解体して、弟が使う下の階のベッドと私の旧上の階を隣り合わせにくっつけて使うことになった。
逃げ場を失った私は、とうとう家を追い出されてしまう。
外は雪でコート1枚引っ張ってきたのが救いだった。コートとは言っても、とても薄いコート。真冬の寒さを凌げるものではなく、その日は運が悪いことに雪が降っていた。
ジャストサイズのコートで、ポケットもハンカチを入れられないぐらい小さい。
かじかむ手を袖に引っ込めることも、ポケットに突っ込むことも出来ず、凍え死にそうだった。
頭が冷えて、父を怒らせてしまったのは自分でやっぱり、自分が悪いのではないかと考えたりもした。でも、父に言い返した自分の言葉を撤回したいとは思わなかった。
なんで、こんな理不尽な親の家庭に生まれて来てしまったんだろう。そんな風に答えのない疑問ばかりが頭の中を駆け巡り、マンションの階段で泣いていた。
体感40分ぐらいすると、母がやってきて「パパもう怒っていないから」と家に入れてもらえた。
そんな日は大体父とは顔も合わせずに終わる。
たまに父を怒らせてしまって、自分の部屋にこもって泣いていたことがあった。
自分の部屋とはいえ、クローゼットは父が使っていて、本棚には両親の読む漫画がずらっと敷き詰められていて、寝るときは弟と2人で使う部屋であり、勉強机とベッド以外に私のものはないのだけれど。
その時も母がおにぎりを作って来てくれた。「リビングに来づらいでしょ」と言って。
父に叱ってくれはしないけれど、私を気遣ってくれる優しい母で、当時は、自分もこんなお母さんになりたいと思っていた。
思い出話が長くなったが、父との喧嘩や会話の時の描写がないことに気づいただろうか。
父とどんなことで喧嘩して、どんなことを言われて、どう思ったか全然覚えていない。極たまに、すごく言われて傷ついた言葉を覚えていたりするが、沢山繰り返した言い合いや、一方的な八つ当たりの言葉の記憶を思い出せないでいる。
それが、私の友達の言う、忘れるというワザなのだろう。
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