第4話 兄弟差別

私には、弟と妹が合わせて3人下に兄弟がいる。

母の出産の度に、私は祖父母の家に預けられ、祖父母と暮らした。私と一番下の妹は7歳違いだから、7歳になるまでは、ほぼ祖母に面倒を見てもらっていた。

正直幼少期の記憶は、祖母との思い出しかない。それでも、酔っ払った父に罵声を浴びせられ、焼酎をかけられ、掃除しろと雑巾を投げられたなど、僅かに両親との記憶がある。

数少ない両親との記憶のほとんどが、父は暴力暴言で、母は酒に溺れてヒステリックになることで、それ以外の楽しい思い出もあったはずだけど、割合的にそういう親のだらしないところだったり、目を背けたくなることばかりが本人たちへの印象になって、今も父には怖いとか、母はアル中で学が無い人という認識になってる。

だから、私が父や母に抱く印象と、妹が両親に抱く印象は全く違う。

妹の考えていることなんて、妹自身じゃないとわからないのでは?妹に直接聞いたのか?と思うかもしれないが、妹の両親に接する態度を見れば私でも確証が持てる。

一番下の妹が生まれて、2歳になった時、妹は失明した。

遺伝性の癌で、生まれた時から医者に病院で一度見てもらったほうがいいと忠告を受けていた。でも、うちの親はほっといた。

どんどん癌の進行が進み、妹は視力を失った。

その出来事をきっかけに、両親は自らを攻めて、鬱になってしまった。

それでも、真面目で真人間な父は、「そろそろしっかりしなきゃ、もう過ぎたことを悔やんでも仕方がない、子供達の未来のために立ち直らなきゃ」と母を勇気づけ、両親は頑張っていた。

妹の癌治療のために入院に付き添ったり、病院に通ったり、その一方で視覚障害者について勉強をしたり、通える幼稚園を探したりしていた。

その頃には、もうすでに父は以前の父ではなくなっていた。

毎週のように、夜遅くまで飲み明かし、終電で帰ってきたり、タクシーで帰ってきて財布を落としちゃったり、べろべろになって帰ってくると、寝ている私と弟を起こしたり、母をベルトで叩いたりする父ではなくなっていた。

細かい作法や、行儀を注意することもなく、理不尽に言葉選びを指摘することもなくなった。

私が口を開けば、「が!が!箸はじゃなくて箸が!!」というように、しょっちゅう怒鳴るように指摘され、今思うと子供ながらにノイローゼになりそうだった。

妹の癌治療で、通院することになった時、父は母と一緒に病院に通っていた。仕事があるから、行きだけだけど、満員電車にベビーカーで乗らなきゃいけないのは大変だからと付き添っていたらしい。

お昼休憩の時間になると、父の職場と妹の通う病院が近いことから、父は妹の病室に行き、パンを買って行ってあげていたとか。

私の時とは全然違う。

毎日毎日、怒鳴られ、蹴られ、反論しても向こうがヒートアップするだけだと気付いて、黙って怒鳴られていると、父はその態度にムカついてまたお腹を蹴ってくる。

私も病気だったらこんな風にしてもらえたのかな。あと、7年遅く生まれていたら優しくしてもらえたのかな。

長女じゃなくて、一番最後に生まれてたら、可愛がってもらえたのかな。

だから、妹は父と未だに仲がいい。

妹にとっては、きっと優しいお父さんなんだろうな。

それから、両親は病気の、目の不自由な妹につきっきり。

そんな訳で、私は両親との間に絆が結ばれないうちに、7年が経って、それから、今の今まで、私に目もくれずに妹しか見ていない両親と一つ屋根の下で暮らしている。

正直、生まれてほとんど、親から愛を注がれた気がしない。

私から見ればこんな 17年間。

両親には、どう見えているのか知らないが、距離をとりたくてとっている私に、寂しいとか、もっと家族なんだから話してよとか言ってくる両親はあまりにも都合が良過ぎじゃないか。

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