第4話 勇者と愚者は全てを欺く

魔王の間は静まり返っていた。

立っている影は二つだけ、魔王と勇者セルナだった。


「ふむ。シオドキか。オモったよりツヨかったぞ、ユウシャよ」

「もう、降参……する、か?」

「ふ、キョセイはよせ」


状況は魔王の言う通りであった。

魔王は戦闘開始時からほとんど動くことなく立っていたが、対するセルナは剣を杖にして辛うじて立っている状態だった。

セルナは魔王の用意した軍勢をたった一人で殲滅して魔王と一騎打ちの機会を得たが、善戦はそこまでだった。

魔王の力は強大すぎた。

たとえ、セルナが一人ではなく当初の作戦通り六人で来たとしても、魔王にとっては大した脅威ではなかっただろう。

最後の力を振り絞り、防御を捨てた攻撃でさえも、魔王の瘴気を消費させるのが精々だった。


セルナは万策尽き、最早魔王に殺されるのを待つだけのはずだった。

魔王は、セルナの戦いを見てそれ以前の「愚かな勇者」という評価を改めていたが、それでもここまで追い詰めればその心を折れると思っていた。


「人類にとって、ずっと、謎だった」


そんな魔王の内心を知ってか知らずか、セルナはその体勢のまま魔王を試すように言葉を続けた。


「なぜ、魔王は魔王領から攻め出てこないのか?」

「ヒトがあまりにヨワいからだ。ホロぼしてしまえば、アソびはオわりだ」

「だが、今回初めて、その法則が崩れた。一年前のあの襲撃だ。人違いなどとは言うまい? しかもあのとき貴様は、現れて名乗りもせず私たち弟子を狙った。人類との戦いを遊びだと言い放つ者の行動とは、とても思えない」

「ふむ、それならばどうカンガえるのだ?」


魔王は歩き出した。

セルナがわずかに後ずさりした。

できることならもっと素早く動きたいが身体が言うことを聞かない様子だった。

それを見た魔王はなぶるようにゆっくりした速度でセルナとの距離を詰めていった。


「魔王には魔王城から離れられない理由がある。そういう説がある。でも、その説も今回、魔王が養成基地に攻め込んできたことで、説得力を失った」

「それはザンネンだな」

「いいや? 私は見たんだ。あの時、貴様は転移魔法と見られる空間の歪みを維持したまま戦っていた。魔王といえども転移魔法の発動には時間がかかるから、という可能性は勿論ある。しかしそれならば、魔王だけでなく軍勢も共に転移させ、勇者たちを抹殺した後で人類連合圏を内側から蹂躙してしまえばいい。そうだろう? それならば、転移魔法を維持していたことにも理由があったとしたら?」

「ガクモンならばあのヨでやるといい」

「焦るなよ、らしくないぞ? 魔王。本題はここからだ。貴様の力である瘴気の源は魔王城にある、だから離れられない、転移魔法を使ったとしても繋がりを保たなければいけない!」


斬りかかる時もかくや、という勢いでセルナは結論を突きつけた。

魔王は答えなかったが歩みを止めることはなく、とうとう勇者の目の前に立った。


「最後に、一つ、言っておく。瘴気の源があるのは魔王領全体なのか、魔王城なのか、魔王の間なのか、あるいはさらに狭い範囲なのか? それだけは分からなかった」

「カコケイか。イマは、チガうとイいたいようだな?」

「ああ。舐めてくれたお陰でな!」


セルナはそう叫ぶと同時に、全身から浄気を放った。

それは魔王に対して目くらましとなった。


「ナンと!」

「はあっ!」


魔王の一瞬の隙を突いて、セルナは杖にしていた剣を床から引き抜くと、切っ先に浄気を込めて玉座へ投擲した。

勇者であるセルナの目は、玉座から魔王の足下に伸びる影は擬態であり、実態は瘴気そのものであることを見抜いていた。

セルナに手をかざしていた魔王は反応が遅れた。

しかし。


「オしい」

「うっ……!」


セルナの放った剣が魔王の横を通過する瞬間、魔王の頭に生えた角が床へと伸び、セルナの剣を粉々に砕いた。

セルナは投擲した姿勢のまま固まり、魔王はその様を見て肩をすくめてから両手も伸ばしてセルナを地面に縫い付けた。


「ぐあっ!!」

「オロかモノにしてはよくミヌいた、とイっておこう。だが、キサマがハジめてではない。ユエにこういうフイウちはネンのためケイカイしていたのだ。オしかったな。あとイッポだった」

「よく、言う……。その、あと一歩が届かなかった顔を見たいために遊んでいたくせに……」


魔王はセルナを床に這いつくばらせたまま、角で彼女の頭部に狙いを定めた。

一年前にセルナたちを襲った、漆黒の瘴気が角の周囲の空間を歪め始めた。


「ニンゲンなど、ヒトリではナニもできない。せめて、キサマのナカマたちがもうスコしオロかでなかったならば、ケッカはチガったかもシれぬぞ」


それは勝利を確信した者の、敗者をどこまでも嬲ろうとする声だった。


「タノしめたぞ、サイゴのユウシャよ」

一瞬先に迫った死を前に、セルナは笑った。

なぜなら、知っていたからだ。

彼を「愚か」と見くびった者は必ず、後になって慄くことになったことを。


「すまない、『後は任せた』」


「つまらないユイゴンだ、なっ!?」


魔王の身体が大きく傾ぎ、角に集束させていた漆黒の瘴気が霧散した。

セルナを拘束していた両腕が半ばで折れた。

魔王は狼狽しきった様子で、錆び付いた道具のようにがたがたと震えながら後ろへ振り向いた。


「ダ、レ、だ、キサ……マ」


そこには、玉座に右腕を突き刺している男が一人。

彼は滝のような汗を流していた。

力任せに右腕を振り抜くと肩の近くで腕がもげて、玉座に残った。

そこでようやく彼は魔王へと顔を向けた。


「愚者、レイズ」


彼の笑顔の後ろで玉座が、そして彼が確と見据えていた魔王が、塵と化した。

それを見たレイズは一瞬意識が遠のくのを感じたが、踏み留まって歩き出した。

今動いておかないともう動けなくなる、レイズにはそう分かっていた。


魔王によって拘束されていた俯せのまま気絶していたセルナの隣に、倒れ込みながら腰を下ろした。

床から重い振動が伝わり、二人の身体を震わせた。

レイズはセルナを抱き起こし、自らの太腿を彼女の枕にした。

セルナが薄ら目を開いた。


「セルナ。倒したよ」

「レイズ。あり、がとう。動ける……? あ、右腕」

「ギリギリだけど、何とか。右腕は、やっぱり残せなかった」


レイズは右腕の内部に、先代勇者ダジルの双剣の欠片を仕込み、この一年間ずっとそこに浄気を溜め続けていた。

そのせいで本来の戦闘力を発揮できずに勇者一行の足手まといとなったのだが、それさえも作戦の内だった。

全ては、魔王の認識から外れ、さらに勇者が魔王の関心を最大限引くことによって、無警戒の急所に全てを込めた一撃を叩きこむためだった。


それは、仲間であるカイラスとリエリーにも明かさなかった、セルナとレイズだけの秘策。


「そう、私は動かない、から、一人で行って」

「また『追放』かな」

「時間がないのは、分かるでしょう」


セルナはレイズから視線を外し、魔王の間の天井を見た。

背中越しに伝わる振動は激しさを増し、既に魔王の間全体を揺さぶっていた。

魔王城の崩壊まで間もないことは明らかだった。

レイズも進行する崩壊を見回しながら、セルナに視線を戻して頷いた。


「やっぱり、魔王城自体も魔王の瘴気で造られていたようだね。急いだ方が良さそうだ」

「ねえ、本気で急いで! レイズ一人なら、どうにか」

「それはできない相談だ。一緒に逃げるよ」

「お願い!! こうなることも想定した上での作戦だった! レイズだって承知した! あなたには死んでほしくないの」


セルナは大粒の涙を零していた。

もう長い間、人前では流したことのない涙だった。

セルナの顔は、そして言葉遣いさえも勇者ではなく、ただ一人の少女のそれに変わっていた。

レイズはその涙を慈しむように彼女の頬に手を添えた。


「セルナ……僕だって同じ気持ちだ。君の言う通り『こうなること』は想定していた」

「レイズ! バカ! きらい! どっか行って!」


ついに天井が崩落した。

玉座があった場所に巨大な岩塊が落下し、その衝撃で床に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。

セルナが震える手を伸ばすと、レイズは残る左手で握った。


「『転移魔法』発動」

「え?」


二人を眩い光が包んだ。

一瞬の浮遊感があった後、二人は固い地面に放り出された。

それでもレイズはセルナを抱えて離さなかった。

セルナは光の中で瞑っていた目を開いた。

晴天を流れる雲が見えた。

レイズもその空を、周囲を見渡すと、力を抜いてセルナの隣に横たわった。


「どこ? ここ」

「養成基地の訓練場。元、だけど」

「そんな、転移魔法!? どうやって」

「魔王の転移魔法の再利用。師匠たちのお陰だよ。本当に、すごい人たちだ。あの魔王との戦いの中、転移魔法を解析し、魔王の気が逸れた一瞬で、自ら身体にその記録を残していたんだから」


レイズが師匠たちの「遺産」に気が付いたのは、セルナたちから偽装の追放をされて一人で動くようになり、師匠たちの墓参りに訪れた時のことだった。

先代賢者マキナの魔法の痕跡を感知したレイズは、襲撃後に捜索した際には見つからなかった先代勇者ダジルの腕を発見した。

その腕には魔王の転移魔法の解析結果、正確には再利用する魔法が記されていたのだった。

そう。

師匠たちもレイズたちと同じく、魔王の秘密を看破していた。

そしてレイズたちに、魔王の玉座に直接繋がる道を残していたのである。

ただし、レイズは師匠たちの思惑とは違う使い道を思いついた。


「白状すると、それを見つけるまでは、セルナを一人で置いていくくらいなら一緒に死のうと思っていたんだ」

「絶対に許さない」

「そう言うのは分かっていたから、黙っていた」

「はあ……つまりレイズは、私まで欺いていたのね」


レイズは笑って体を起こし、肘を立ててセルナの顔をのぞき込んだ。


「その通り。だから」

「え、なに?」

「僕の勝ちだ、勇者」

「——」


セルナは両手で顔を覆った。

その動きの素早さを見てレイズは、実はもう動けるのではと思ったが口には出さなかった。


「——勇者じゃない」

「うん?」

「魔王は倒した。だから、もう、勇者はいらない」

「そうだね」

「あなたも愚者じゃない」

「それはどうでもいいけど」

「これからは、二人でのんびりやっていこう?」

「そうだね、って、え?」


セルナは両手を顔から離し、すぐそばのレイズの頬を挟んで捕まえた。


「好きだよ、レイズ」

「僕も……好きだよ。セルナ」

「なんで言い淀むの」

「それは、ほら、先に言われたから」

「じゃあ、私の勝ちね」







「でも、カイラスとリエリーくらいには言わないとなあ」

「そうね。二人の所へ転移魔法で飛べないの?」

「ここと魔王の間の限定だからね。そもそも、もう使い切ったから無理」

「ちぇ」

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全てを欺く勇者たち 野分茜 @akanowa

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