第3話 勇者は愚者に成り下がる

「あのとき動けなくなった俺たちをレイズが運んでくれたこと、そんな風に思っていたのか……? あいつが言っていただろう、自分にだけ魔王の攻撃が来なかったって!」

「それに、あのときの私たちは実際に無力でした!! 魔王が転移魔法を使えて、それをもって人類連合の領域奥深くへ直接乗り込んでくるなんて、過去に一度もなかったことでした」

「もう黙れっ!!」


勇者セルナが怒鳴ると場が静まり返った。

するとセルナは何が可笑しいのか、調子外れの笑い声を零し始めた。


「ああ、でも、リエリーは一つ良いことを言ったね。そう、あの頃の私たちは弱かった、でもだからこそ! 強くなったのだからもう魔王から逃げる必要はない、つまりレイズも必要ない!」

「ねえ、待ってくださいセルナ、どうしたと言うので……」


セルナの剣幕にリエリーは顔色を悪くしたが、セルナは止まらなかった。


「では意見が一致したところで次の作戦だ。先程リエリーから魔王の転移魔法の話が出たが、一年前のあの日以来、魔王が転移魔法を使ったという報告はない。従って、転移魔法の準備には数百年単位の時間が必要だろうと推測されているが、一方で、魔王は私が勇者として完成すればかつてない脅威になると考え、成長する前に芽を摘み取りたかったのだという説もある。しかし、魔王は千載一遇のチャンスを逃したのだ」


セルナの言う通りではあったが、その説を支持するのは勇者一行に媚びを売る者たちばかりだった。

故にリエリーはその説にあまり期待を掛けていなかったし、カイラスもそうだった。

セルナも同じ考えだと思って疑わなかったのだが、今のセルナを見ているとその自信は持てなかった。


「魔王は私に近づかれることを恐れていると言えよう。察するに今回は、私の進行を妨げるために最大限の物量をぶつけてきたのだろう。その点で、魔王の作戦が当たったことは認めよう。しかし冷静に考えれば、前線にそれだけの数を集めたということは、逆に魔王城は手薄になっているに違いない。つまり私たちが採るべき策は、目の前の大軍を馬鹿正直に突破することではなく、敵の手薄な本陣を奇襲し一気に攻め落とすことだ!」


おお、と少なくない出席者の感嘆が漏れた。

セルナの言葉には自信が満ちており、士気の落ちた者に夢を見させる力があったからだ。

しかし、カイラスやリエリー、その他一部の軍人は希望的観測を重ねただけの推論に落胆せざるを得なかった。


(一体、いつから“こう”なってしまったのでしょうか?)


恐らく、一年前の魔王襲来がきっかけだったのだろう。

リエリーの記憶では、それまでのセルナはどちらかと言うと大人しい性格をしており、レイズが放っておけないと思ったとしても違和感はなかったのだ。

しかし慕っていた師匠たちを失って、セルナは変わった。力を求め、力に頼るようになった。


(その傾向を放置した俺たちにも責任はある、か)


カイラスとリエリーはセルナの策にも一理あるとは思ったが、やはりあまりにハイリスクであることが引っ掛かった。

故にまだ暫くは魔王軍の様子を探るべきだと提案したが、時間を稼ぐのは相手の思う壺だとセルナは取り合わなかった。

最後には二人も折れて、セルナの策に賭けることに賛同した。

しかし実のところは、失敗したときには殴り倒してでもセルナを連れて帰る、と二人揃って決意を固めたためだった。


***



「そうは言っても、なあ……これはあんまりだろう」

「ええ、まったく同感です」


勇者、武神、賢者の三名と、それぞれを補佐する連合軍の精鋭が一名ずつの、計六名。

それが魔王城奇襲隊の構成員だった。

連合軍と魔王軍のぶつかる戦場を大きく迂回した経路を進んだ奇襲隊はしかし、迂回路にも溢れるほど徘徊していた魔物に苦戦した。

そして負傷しながらも一人の脱落者も出さず、ようやく辿り着いた魔王城の前で敵軍を待ち構えている魔王軍を発見した。

魔王がほぼ全戦力を前線に投入したという見込みは誤りだったと分かった瞬間だった。


そのとき、カイラスとリエリーの頭にはすぐに撤退の二文字が浮かんだ。

この状況であれば、セルナも撤退を選ぶに違いない、とも。

カイラスは大きな岩場の陰に身を潜める仲間たちに小声で話しかけた。


「セルナ、皆。この状況はまずい。奇襲は失敗だ。撤退するしかない」

「そうですね。幸い、私たちがここまで来ていることはまだ向こうに気づかれていないようです」


その場にいた六人のうち五人の目がセルナを捉えた。

セルナはゆっくり目を瞑り、開くと力を抜くかのように苦笑して見せた。


「分かったよ。そんなに怖い顔で睨まないでも、賛成するよ」


カイラスとリエリーは静かに安堵の溜息をついた。

「ただし」とセルナが人差指を立てた。


「殿は私だ。私が言い出した作戦で窮地に陥ったのだから、そのくらいの責任は取らせてほしい」


まさか勇者に最も危険な役割をさせるわけにはいかない、と他の五人は難色を示したが、セルナは頑として譲らなかった。

敵軍間近で議論し時間を浪費するわけにもいかず、五人が折れる形となった。

カイラスを先頭に、四人目がリエリーとなって来た道を引き返し始めたのだが。


「ゆ、勇者さっ……ま!?」


隊列の先頭側の四人が何事かと振り向いた瞬間、その頭上を五人目の精鋭が追い越した。

さらに間髪入れず、先程まで六人で身を潜めていた岩場が轟音と共に崩壊した。

セルナの姿はどこにも見えず、声だけが五人に聞こえた。


「君たちは囮だ」

「ふざけるなっ、何のつもりだセルナ!」

「分からないのかい? 君たちはこれで魔王軍に見つかった。ほら、魔物どもが押し寄せる音が聞こえるだろう。あの軍勢は君たちを追撃する。手薄になった魔王城に私が乗り込み、油断している魔王を討つ」

「そんな都合良くいくわけがありませんわ!」

「悪いが、君たちに逃げる以外の選択肢はない。足を止めてあの大軍とやり合うのでなければね」

「クソッ、行くぞ皆! そこの『愚か者』のことは忘れろ!」


カイラスが怒号を飛ばしたのを合図に、五人は前だけを見て撤退していった。

幸いにも、岩場の崩壊があまりに大規模であったため、魔王軍は五人を追いかけるまでに大いに手間取った。

セルナはカイラスの「愚者」呼びという当てつけにも動じることなく、暫くその様子を見ていた。

やがて迷いを振り切るように頭を振り、一人魔王城へ足を向け――


「ようこそ、オロかなユウシャ」


魔王の眼前に辿り着いた。

迂回路で戦っていたため無傷とはいかなかったが、セルナの知る限り、過去にここまで余力を残して到達した勇者は一人もいなかった。

少なくともその点に関しては、セルナの作戦とも呼べない蛮行は功を奏したと言えた。

セルナは不適な笑みを浮かべて剣を構えた。


「奇遇だね。つい先程も、愚かだと言われたばかりだ」

「ジジツであろう。ヤツはタダしい」

「その言い方からすると、私たちのことをのぞき見ていたようだ。そんなに、私たちがいつやって来るか心配だったかい?」


魔王はセルナの挑発を鼻で笑い、手を掲げた。

すると王の間に、どこに隠れていたのかと思うほどの魔物の群れが現れた。


「どうカンガえるのもキサマのカッテだが、あれほどオオきなオトをタてておいてミつからぬわけがなかろう。キサマほどオロかなユウシャはハジめてユエ、イノチのツきるトコロをすぐチカくでケンブツしたくなった」

「成程。つまり、私がここまで入って来られたのは魔王のお情けだと。恩着せがましいことだ」

「ほう……こういうチエはマワるようだな。ますますオモシロい。もっと、ヨをタノしませてみせよ」


魔王がセルナに向けて手を振り下ろすと、魔物の群れが一斉に襲いかかった。

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