第2話 勇者は愚者を認めない

「リエリー! しっかりしろ!!」


武神カイラスはぐったりした賢者リエリーを背負い、魔物の群れに背を向けて走っていた。

そうしていたのは彼一人ではなく、彼らを守る陣形を取る連合軍も同じだった。

全軍撤退である。

しかし、それを屈辱とは思わなかった。

それは、かつて自分が動けない状態で運ばれるという撤退を経験していたためだった。

カイラスは、愚者レイズのことを思い出さずにはいられなかった。


「くそ、くそ、クソ共がっ!!」

「ゆ、勇者様、殿は我々に任せてくだ――」

「黙れっ!」


少し後方から勇者セルナの怒号が聞こえていた。

無事に撤退できた後も立て直しには時間が掛かりそうだ、とカイラスは憂鬱な気持ちになった。


勇者一行を加えて臨んだ決戦は、魔王軍に大きく押しこまれる形で終わった。

勇者一行の参戦によって軍の士気は過去最高に上がっていたが、勇者たちの苦戦が冷や水を浴びせ、さらに賢者の重傷による戦線離脱が止めをさした形だった。

リエリーは重傷だったが、どうにか意識を取り戻すと自身に回復魔法をかけて一命を取り留めた。

リエリーの回復を受けて、勇者一行と連合軍司令部による合同軍議が開かれた。

戦闘前に軍議を行った基地は撤退時に放棄していたため、手狭な砦を使っていた。


「まず、申し訳ありません。今回の敗戦は、私たちが期待された働きをできなかったせいです。命を落とした方々には、お詫びのしようもありません」


開口一番、リエリーはそう言って頭を下げた。

軍将校たちは驚き言葉を失っていた。

彼女をよく知る者であれば、その行動を不思議には思わなかっただろう。

彼女の高慢さは自らの力量や実績に依るものだったからだ。

結果を出せなかったときまで高慢に振る舞うなどというのは誰よりも彼女自身が嫌悪する態度だった。

カイラスも続けて頭を下げた。


「俺も同じだ。申し訳なかった。その上で、厚かましいとは思うが、立て直すためのお願いがある」

「【愚者】レイズを探し出して、私たちが復帰を望んでいることを伝えてほしいのです」


リエリーのその発言によって、場にどよめきが起こった。

カイラスとリエリーはそれらを意に介さず、ただ一人セルナを見つめていた。

セルナは、敵意に近い気配をまとって二人を睨み返した。


「何のつもりだ、二人とも」

「言った通りだ。レイズに戻ってきてほしい」

「私たちには彼が必要です。恥ずかしながら、今回の戦いでようやく分かりました」

「あいつは追放した! それを今更、どんな顔で迎え入れる!?」

「どんなも何も、誠心誠意、謝るしかありませんわ」

「謝る!? 冗談じゃない!」


セルナが激昂し立ち上がった。

彼女の腰掛けていた椅子が勢いよく倒れて激しい音を立てた。

カイラスとリエリーは対照的に静かに立ち上がった。


「なあ、セルナ。最近のお前、少しおかしいぞ? 俺とリエリーは、レイズを突き放したのはあいつを死なせたくないからだと思っていた。だから、敢えて酷薄な仕打ちをしたんだと」

「ですが、それは彼を手放しても私たちの戦力が落ちないことが大前提です。優れた戦士であるあなたが、私たちさえ気づいたことに思い至らないはずがありません。それなのに、未だにあなたは彼を貶めようとしています。セルナ、本当は何を考えているのですか?」

「うるさい黙れ、『もう』私にあいつの助けなんて要らないんだ!」


カイラスとリエリーは、セルナの言葉を聞くと揃って「まさか」と零した。

二人の脳裏に浮かんだのは、遡ること一年前の苦い記憶。

魔王が五十年ぶりに復活した日であり、同時に、今のセルナたちを指導していた先代勇者一行が魔王によって殺された日のことだった。


***


人類の支配圏には、「養成基地」と称される都市が存在していた。

魔王領から遠く離れた地に築かれ、大抵の魔物では歯が立たない高く分厚い防壁で全周を囲まれており、建設されて以来魔物の侵入を一度も許していない安全領域だった。


そこには各国から才能を見出された若者たちが集められ、武神、賢者、そして勇者の後継者候補を決めるための訓練が行われてきた。

当代勇者一行であるセルナたちもそうして選ばれたのだ。

ただしレイズは違った。

彼は集められたのではなく、同じ村で共に育ったセルナが彼に養成基地までの同行を望んだという理由だけで、訓練にまで参加したイレギュラーな存在だった。


もっとも、声を掛けられていないのに訓練に志願する者は過去にもいた。

大抵は、自分が選ばれなかったことを不服に思う自信過剰なだけの「愚か者」だ。

その意味ではやはりレイズの理由は珍しかった。

初めのうちは、当時の勇者一行も連合軍から派遣されてきた指導官たちも、特に光る所のないレイズはすぐに訓練から脱落すると考えていた。

訓練生の多くはそんなレイズを【愚者】と呼んだ。


しかし、レイズが訓練についていけないという見込みは正しかったものの、彼は彼より才能のある者たちが脱落していく中でも残り続けた。

レイズが訓練に参加した理由であるはずのセルナが彼の身体を心配して訓練を止めるように説得しても、それでもレイズは受け入れなかった。

指導官が実力不足を指摘して訓練参加を拒絶しても、彼は他の者たちの訓練を見ながら真似て自主練をするようになった。

しかも、勇者、武神、賢者それぞれに特化して行われている訓練の全てを、である。


この段階に至ってようやく、指導官たちはレイズの異常性に気がついた。


「狂っている」

「魔物が化けているのではないか」


しかし当時の勇者たちは首を横に振った。

平凡な量ではあるもののレイズも浄気を有しているため、少なくとも魔物である可能性は無かったからだ。


「一体、彼を突き動かすものは何なのか」


勇者たちはレイズに、言葉では説明できない可能性を感じていた。

そして、その勘は皮肉な形で肯定されることになった。

【勇者】【武神】【賢者】全ての後継者が決まり、それぞれ一対一で実戦的な訓練を積んでいたある日。


「なんだ、あれは……!?」


訓練場の上空が突然歪んだ。

人類最強として幾多の戦いを経験してきた勇者一行でさえ初めて見る現象だった。

当時の勇者ダジルはセルナを、武神ヴァラウはカイラスを、賢者マキナはリエリーを自身の後ろに庇いながら、刻々と増していく歪みを警戒しつつ後退していった。

そして、歪みの中心の空間が耐えきれなくなったかのように漆黒に染まったとき。


「「「撤退!!」」」


勇者たち三人の声が重なり、同時に漆黒が膨張し生物のような歪な形状になった。


「ハジめまして、さようなら。キボウのタマゴたちよ」

「「「魔王だ!」」」


セルナ、カイラス、リエリーの三人は、歪みと同じ悍ましさを纏う漆黒が一直線に迫ってくるのを見た。

彼らの前に立っていたダジル、ヴァラウ、マキナがそれを押し返そうと攻撃したが、防ぎきれずに背後に庇った弟子もろとも漆黒に飲み込まれた。

三人は一瞬で意識を失い、次に三人が目覚めたのは武器用の運搬台車に括りつけられ運ばれている最中だった。


「よかった、気がついた!」


レイズの声が聞こえた。台車はレイズが引いているようだった。

三人は一瞬、現状を理解できず呆けていたが、すぐに気絶する直前の出来事を思い出した。


(師匠は?)


師匠たちが「魔王」と呼んだ歪みは何だったのか?

しかし聞こうとしても声が出なかった。

そもそも身体もほとんど動かせない。

どうにか身をよじった彼らが目にしたのは、周囲に瓦礫がばらまかれている更地で、巨人のような形状と化したあの歪みを囲んで対峙している勇者一行の姿だった。


賢者マキナが七色の魔術を放つ。

魔王に効いた様子はなかったが、それを陽動として勇者ダジルが双剣を構えて突っ込んだ。

双剣がまとう浄気が漆黒と激突する。

浄気と反発する性質から、漆黒の正体が瘴気であることは分かったが、勇者の浄気をもって拮抗するほど濃密な瘴気など見たことがなかった。

浄気と瘴気の激突の余波は、周囲の瓦礫をさらに吹き飛ばした。

もし、レイズに運ばれて距離を取っていなかったら三人も巻き込まれていただろう。


激突の結果は、瘴気の勝利だった。

ダジルの双剣は粉砕され、さらに両腕までも失っていた。

マキナは倒れ伏してピクリとも動かなかった。

崩れ落ちるダジルを悠然と見下す【魔王】、しかしその背後から完全に気配を消していた武神ヴァラウが渾身の槍を叩き込んだ。

彼らは、賢者の魔法と勇者の突撃の二段構えで陽動を行っていたのだった。

さらにダジルは突撃の直前、ヴァラウの槍の先端の一点に大半の浄気を纏わせていた。

その一撃によって魔王の背中から瘴気が飛び散り、その身体を構成していた歪みが萎み始めた。

屍のように動かなかったマキナが体を起こし、その歪みに膨大な魔力をぶつけて抑え込んでいく。

目鼻そして口からマキナは血を噴き出した。


「お、のれ……シカタあるまい。ケイカクとはチガうが、ユウシャドモはシんだ」


虚空の歪みは発生したときの逆再生のように薄まっていき、やがて元通りの穏やかな空になった。

それを見届けると勇者たちは崩れ落ちた。

台車を置いてレイズが駆け寄ったときにはもう、三人の命は尽きていた。


養成基地の面影など微塵も感じない、辺り一面廃墟の中で息をしているのは、三人が命と引き換えに守った次代の四人だけだった。

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